韓国のエンターテイメントが
ちょっとおもしろくなる授業、その2です。
韓国語のドラマや映画の字幕翻訳を
手がけられている朴澤蓉子さんに
翻訳の世界について教えていただきました。
字幕ってどう作られているんだろう?
翻訳家はどんなことを考えて訳している?
いろんな好奇心がくすぐられる
現場のお話を、たっぷりご紹介します。

協力:小池花恵(and recipe)

>朴澤蓉子さんプロフィール

朴澤蓉子(ほうざわ・ようこ)

1985年生まれ。宮城県出身。
東京外国語大学在学中よりアルバイトで
韓日映像翻訳に携わり、
2010年からはフリーランスとして活動。
映画『ミッドナイト・ランナー』『最も普通の恋愛』
『詩人の恋』の字幕翻訳やドラマの吹き替え翻訳など、
手がけた作品は100タイトル以上。
2020年、「第4回日本語で読みたい韓国の本
翻訳コンクール」で最優秀賞を受賞。
同受賞作『ハナコはいない』をクオン社より刊行。

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(1)朴澤さんが映像翻訳家になるまで。

──
ほぼ日の學校、今日は映像翻訳家の
朴澤蓉子さんの授業です。
朴澤
よろしくお願いします。朴澤蓉子と申します。
韓国のドラマや映画の字幕翻訳や、
吹き替え翻訳の仕事などをしています。
映像翻訳講座の講師もしています。

──
翻訳するのは基本的には映画やドラマですか?
朴澤
そうですね。
駆け出しの頃というか、最初は
バラエティ番組ばかりやっていたのですが、
いまは映画やドラマが多いです。
アルバイトを含めると15年以上やっています。
──
具体的に名前を出せる担当作品ってありますか?
朴澤
少し前だと、共訳ですがドラマ
『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』の字幕翻訳、
『二十五、二十一』の吹き替え翻訳、
チョン・ジョンソ、ソン・ソック主演の
『恋愛の抜けたロマンス』という映画の
字幕翻訳などをさせてもらいました。
──
映像翻訳家になろうと思ったきっかけって、
なにかありますか?
朴澤
もともと漠然とした憧れがあったんです。
中高生のころに洋画を字幕で見るのが好きで、
かっこいい仕事だなと思っていて。
なぜ韓国語になったかというと、中学生のときから
地域のジュニアオーケストラに入っていて、
そこに朝鮮学校に通ってる
オンニ(お姉さん)がいたんですね。
恥ずかしながら、
そのとき初めて在日コリアンの存在を
知ったのかな。
「アンニョンハセヨ」「マシッソヨ」とかの
簡単な言葉を教わって、少しずつ興味が出て。
そのあたりから日本と東アジア、
特に日韓・日中の
関係や歴史に興味が湧いて、
東京外国語大学の朝鮮語専攻に進みました。
「隣の国の言葉くらい、知っといたほうが
いいんじゃないかな」くらいの気持ちで、
なにも知らないまま。
──
じゃあ、韓国語は大学から?
朴澤
はい。うちの大学では
1、2年生はけっこう詰め込まれるんです。
ハングルを覚えるところからはじまるんですけど、
語学の授業が週に6コマあって、
毎日のように単語テストがある。
でも言葉の勉強については、
あまり苦にならなかった記憶がありますね。
あと1年生は大学祭で
専攻する国の料理の屋台を出すんです。
韓国語だったら韓国料理、
トルコだったらトルコ料理とか。
そういうこともすごくたのしくて、
どんどんハマっていった感じです。
──
その頃って、韓国のドラマが
日本で流行りはじめていた時期ですか?
朴澤
そうですね。私が入学した年がちょうど
「冬ソナ」(冬のソナタ/韓流ドラマの
第1次ブームのきっかけ)の
BS放送が始まったときなんです。
あと大学入学の1年前が日韓ワールドカップ。
深田恭子さんとウォンビンさんの
『フレンズ』というドラマもあって、
ちょうど日本で韓国のいろんなコンテンツが
ガッと熱くなった時期。
だからわたしも最初は大学で
歴史の勉強をしたいと思ってたんですけど、
言葉の勉強が面白くなって、
毎日、たのしくてたのしくて(笑)。
それで
「韓国語を使って仕事をするというより、
韓国語を突き詰める仕事をしたいな」と、
大学3年生のときに翻訳会社で
字幕翻訳のアルバイトをはじめたんです。

──
お、そこから。
朴澤
はい。その会社では本当に
いろんな経験をさせていただいたんですけど、
まさに韓日映像翻訳の需要が
一気に高まった時期だったんですね。
「KNTV」という韓国専門チャンネルがあって、
そこはもともと在日コリアンの方や
日本在住の韓国の方向けの
放送局だったんです。
だから当時、ドラマは字幕がついてましたけど、
ニュースやバラエティはついてなかった。
それを「こういった番組にも字幕をつけよう」
となりはじめたときに私が翻訳会社に入ったので、
バラエティの字幕からはじまって、
徐々にドラマの担当まで
させてもらうようになりました。
とにかく韓日の字幕翻訳者が足りていない、
すごくラッキーなときだったんです。
──
当時からドラマもたくさん見てましたか?
朴澤
そうですね。たとえば先ほどの『冬ソナ』は
大学に入った年にスタート。
ただ、その頃はレンタル屋さんにも
韓国ドラマがそこまで置かれてなかったので、
神奈川や埼玉のテレビでやってるのを
録画して見てました。
あとはKNTVに入ってる人から
録画したテープを借りて、みんなで回して見たり。
作品としては『オールイン 運命の愛』
『美しき日々』とかですね。
そういった作品を何回も何回も見ながら
自分で字幕を書き起こして、勉強したんです。
──
あ、もうそのときから。
朴澤
はい。
「字幕」と「聞こえた文章」を書き比べて、
聞き取りの練習したりとか。
聞き取れなかったところは
とりあえず聞こえるままカタカナで書いて、
毎週行っていた新大久保の勉強会で
韓国人の子に聞くんです。
──
そういう勉強会があったんですね。
朴澤
日本語を勉強中の韓国人と
韓国語を勉強中の日本人で
互いに会話の練習をするような
勉強会に通っていたんです。
そこで韓国人の子に
「字幕がこうで、私にはこう聞こえる。
何て言ってると思う?」
「たぶんこうじゃない?」
みたいに予測してもらう。
そうすると自分がどう聞き間違いやすいか、
癖が分かってくるんです。
いまだとNETFLIXとかで
韓国語字幕と日本語字幕を同時に出して
比べながら見ることができますし、
もっと勉強しやすいと思うんですけど。
──
いまよりずいぶん勉強が大変だった時代。
朴澤
でも、それもたのしかったんです。
テープが擦り切れるまで見てました。
あとは大学4年のときに
韓国の延世大学に1年間留学もして。
──
すっかり韓国語漬けですね。
朴澤
でも、留学から日本に帰ってきて
就活をしたんですが、
なかなかうまくいかなくて。
韓国のエンタメに携われそうな映画会社、
制作会社、テレビ局とかを
受けたんですけど、受からなくて。
──
思いはすごくありそうなのに。
朴澤
それが、うまく3次面接とかまで行っても、
がんばってきたこととかを聞かれるので、
「字幕の翻訳をやっていて」とか喋っていると、
ついつい熱くなっちゃうんです。
そうすると面接官の方に
「それだけやりたいことがはっきりしてるのに、
なんで就活してるの?」
「そうですよね‥‥」
みたいになって、諭されたりとか。
でも、なんとなく「新卒」という機会に
社会経験を積んでおいたほうがいいのでは、
という漠然とした不安があって。
それで悩んでいたら、当時アルバイトをしていた
翻訳会社の社長が、
わざわざ取引先の制作会社の方に
「うちの朴澤がこういうことで悩んでるから
話を聞いてくれないか」
ってかけ合ってくださって。
本当にお会いして、相談に乗ってくださって。
でもやっぱりその方も
「それだけやりたいことが明確なのに、
何の役に立つかわからない
社会経験を積むために、数年やりたいことを
やらないなんてもったいない」
って言ってくださって。
そこで気持ちが固まった感じですね。
そのとき決断できたことは、
いまでも本当によかったなと思っています。

(つづきます)

2023-02-06-MON

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