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中沢 |
だけど、世の中には
「吉本隆明が言っている世界普遍なんて、
そんな大げさなものじゃないよ。
そんなもの、すぐ手に入るよ」
と言う人たちもいます。
それは、ヨーロッパで勉強したり、
ヨーロッパ語で書かれた文章を読んだ人たちです。
ヨーロッパ語の世界には、
自分たちの作り上げた世界は普遍である、
ということが
確固たる自信としてありますから、
西洋の文物や思想を学ぶと、
自分はいきなり世界普遍と
一体化しちゃったように思えるわけです。
そして、その場所から
日本を照らし出すことになってしまうのです。 |
糸井 |
よく見える地図を急に持ったことで
日本はまだ不完全であると
言い出してしまうわけですね。 |
中沢 |
そうなんです。
日本の明治以後の知識人は、
たいていはこのパターンの
世界普遍の獲得をしたわけです。
ヨーロッパの学問を勉強して、
それによってアジアや日本のことを照らし出す。
だけど、吉本さんは、
そのやり方は世界普遍なんてもんじゃないよ、
ヨーロッパ人が作ってきた文物が、
人類が作り得る普遍だなんていうことは
考えられないじゃないか、
ということを、ずっと言い続けてきました。 |
糸井 |
それはきっと、日本からすれば
母国語のないロジックに
入っていっちゃうことですもんね。 |
中沢 |
そうなんです。
一方、考えてみれば
吉本隆明という人は、
日本という、極東の小さな島国にいて、
しかも生活圏といえば
東京の佃や千駄木という、
狭い地帯で行ったり来たりしながら
これまで日常生活を送ってきた人です。
そんな人が、世界普遍へつながるようなことを
考えることができるのでしょうか。
これは、吉本さんがご自分でおっしゃる
「悪戦苦闘」ということにもなりますが、
そういった考えと「東京」が
本当は深いところで
つながっているんじゃないかなと思います。
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糸井 |
この前、吉本さんのご自宅にうかがったときに、
「誤差」についての話になったんです。
言葉というものを研究するために
チンパンジーの研究をしようとしたとします。
しかし、人間を研究しようとするときに
サンプルとしてチンパンジーを研究することは
誤差が大きすぎると、
吉本さんはおっしゃるわけです。
鉄砲を撃つにしても、
手元ですこしだけ、たとえば二度でも
角度がちがったら、
当たる場所はとんでもなく変わるわけです。 |
中沢 |
うん、そうですね。 |
糸井 |
チンパンジーと人間の間には、
そういう誤差があるはずだ、
その誤差に惑わされないように、
もっと戻らなくてはいけない。
さあ、どこまで戻るんだ、ということになると、
宮沢賢治は水素まで行ったというわけです。
吉本さんは、そこまで戻ると
考えようがなくなっちゃうので、
植物までなら戻れると思った。
これなら誤差がいちばん少なくなって、
ものを見ることができるから、と
おっしゃるんです。
この話というのは、いろんなところで
思い出すんですけど、
吉本さんって、そういえば、
海外に行ったことが一回もないんですね。
──あの、話は変わるけど、植草甚一さんも、
長いあいだそうだったらしい。 |
中沢 |
そう。植草さんは、
僕はびっくりしたんだけど。
あんなに外国のことばっかり書いているのに
行ったことがなかったなんて。 |
糸井 |
(笑)そうですね。
吉本さんも、ヘーゲルやフーコーについて
よく知っている人のように
付き合ってきたはずですが、
漱石や鴎外がやったように、
「そこに実際に行ってみて」という発想を
なさっていないんです。
それと同じように、
東京という場所についても、
基本的には、
皇居と上野を中心にしたあの界隈のことを
指しているんじゃないだろうかと思います。 |
中沢 |
世田谷はきっと、
おそろしく遠い場所なんじゃないですか。 |
糸井 |
もう、横浜ぐらいの感じで(笑)。 |
中沢 |
吉本さんの地図は、おそらくそうでしょう。 |
糸井 |
つまり、
少しでも多く参照する場所を知ったことで、
自分のいる場所が分かる、なんていう発想は、
したことがないんじゃないでしょうか。
その場所にいたままで、
どこまで根源的に考えられるか、ということで。 |
中沢 |
僕が最初に吉本さんにお会いしたのは、
ちょうどチベットから戻った直後でした。 |
糸井 |
ああ(笑)。 |
中沢 |
僕は「行ってみて」の経験のすぐ後で
お会いしたものだから(笑)、
僕を吉本さんのところに連れて行ってくれた人が
気の毒なくらいでした。
外国の事例を出したからって、
人間のことなんか分からないよ、
それでなにかが分かったというのは、
間違いなんじゃないのか、
と、大きく言えばいうそういう反応で、
そんな、全く不調に終わった(笑)、
出会いだったんですけれども。
(続きます)
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