東京なべぶた流、 世界の普遍に通ず、 自由の穴をあける。 中沢新一+糸井重里talk about吉本隆明

3 一万年の通路へ。
糸井 でも、その中沢君の出会いは、二十年後、
あの『チベットのモーツァルト』の文庫版に
吉本さんが書いた解説で、
みごとにつながるわけですから。
中沢 そこにつながるまでに、
僕は、吉本さん、梅原猛さんと三人で、
『日本人は思想したか』という本の
仕事をしたんです。
梅原猛という人がいて、
吉本隆明という人がいて、
僕は、言ってみれば、つなぎ役みたいなもの。
話をはじめてみて僕はびっくりしたんだけど、
ふたりとも、あんまり人の話を聞いてないんです。
吉本さんは、聞いてるんだろうけども。
糸井 わかるわかる、聞いてても、
その文脈に乗らないんだよ。
中沢 そうなんです。吉本さんは、乗らない。
梅原さんは、わりとこう、はっきりと
聞いてらっしゃらないです。
すごい、すごかったです。
僕は、本当に焦りました。
糸井 それはすごい。
中沢 吉本さんがヘーゲルについて
自分の考えてきたことを語られて、
僕はつなぐ役ですから、当然
「梅原さん、ヘーゲルについて
 どうお考えになりますか」
と聞くと、梅原さんが
「わしはデカルトやな」とおっしゃる(笑)。
糸井 はははははは。
中沢 それは空中戦のようであって、
たいへんおもしろい体験ではありました。
しかも、その対談は何度か、
京都でやったんです。
梅原さんが祇園の歴史に蘊蓄を傾けて
説明なさっても、
吉本さんは京都というものに
ほとんど関心が、ない。
糸井 はははははは。
中沢 これはさきほどの話に出た、
世界普遍の問題と深い関わりがあると思います。
京都の特徴でもあるんですが、
京都の学者さんは、みなさん、やはりすごく
世界普遍ということを考えるんです。
しかし、その足場になっている部分は、
京都という空間です。

京都は、平安京が作られた時間があって、
基本的に、そこから出発している都市なんです。
周辺部には、平安京以前につながっていくような
部分もあるんですけれども、
都市の中心部は千二百年の歴史です。
それはものすごく見事に独特で、
日本的で比類のない文化です。
だけど、吉本さんからすると、
それは世界普遍にはつながらないよ、という
感覚があると思います。
糸井 「千年」という単位が。
中沢 そうです。
吉本さんであれば、
京都でも、端っこに残っているものや、
外側へ出て行くもの、空間に
目を凝らすでしょう。

京都学派が作り上げたものは
大変に優れたものです。
そして、世界普遍というものに
なんとか近づこうと努力を重ねたけれども、
吉本さんから見るとちがう。
見事に比類なきものとして作り上げられた
千二百年の伝統の外へ出られないんです。
糸井 それが、東京はちょっと
事情がちがったんでしょうか。
中沢 東京という町は、ちいちゃくて、
ローカルな場所にできた都市です。
だけど、吉本さんが世界普遍と考えているものに
通じていくような、
いろんなツールが作られている、
ずいぶん変わった町なのではないでしょうか。

東京湾近郊に作られた東京という都市は、
縄文時代であったり、海民の伝統であったり、
原始的なものにもつながっていきます。
列島の南北から言うと、
沖縄とアイヌにつながっていく。
つまり、千年の文化ではなく、数千年単位、
あるいは一万年を越えていくものに
つながっていく通路が、
いたるところに放置されているのだと思います。

例えば、千駄木の裏道の、
おばあちゃんやおじいちゃんが
一生懸命育てている
あの路地庭をたどって歩いていくと、
一万年への通路が開いているわけです。
吉本さんが書かれた関東についての文章で、
内面から突き上げている声のようなものを
聞いた気がしたのでしょう、
僕が『アースダイバー』という仕事をやった
理由のひとつは、
吉本さんが書かれたことが、深いところで
刷り込みになっていたのかもしれません。
糸井 千年単位の刻み方を、
僕らは学校の歴史の授業で手にしました。
最初に受け取った物差しが
千年単位の物差しですから、
通貨みたいに基礎になっちゃってます。

さらに言えば、
現在進行形で生きている人間にとって、
未来の千年というのは、
容易には見えないはずです。
人間はたいてい百年以下で死にますから、
先のことは、実感として
百年きざみでしか見られないように
僕は思うんです。

ですから、千年というまとめ方は、
最近の人たちが区切った、
無理やりな物差しでしょう。
千年単位の物差しがみんなに渡されて、
流行しきっちゃったお陰で、
何が忘れられてきたかというと、それは、
「ものすごく長いものをはかる物差し」です。
その意識が吉本さんにはずっと
あったのではないでしょうか。
そして、中沢君も、それを
感じ取っていたのだと思います。
エジプト四千年五千年といったって、
もっと前に人間がいたのを
どうしてくれるんだ、と。
中沢 エジプト四千年というのは、
平安京の千年と
はかりかたが似ていますね。
糸井 人類の歴史というのは、
今の研究だと五十万年ぐらいのところまで
語られるようになっているでしょう。
そのころの人は、今の人間と
ほとんど変わらないと言われるようになったけど、
物差しはあいかわらず千年のままです。

そうすると、その何十万年の文化はすべて
「あったけどないこと」になっちゃう。
「あったけどないこと」の分量のほうが
圧倒的に多いのに、
そちらがないことにされてしまった。
自分たちが今、
存在しているということのおおもとにある、
四十九万年以上の長さに
いったい何があったのか。
『チベットのモーツァルト』の解説で、
吉本さんは、
中沢君の考えていたことはそうだったのか、
言葉で記録されていない時代に
少しずつ伝承された
しぐさであるとか感じ方であるとか
修行の仕方であるとか踊りとか、
記録しにくいけれども残ってきたものについて
この『チベット』で言いたかったんだな、
ということを改めて思って、
ああ、自分がやっていたことと出会った、
というような後書きを書いたわけです。
中沢 はい。
糸井 それを見た僕まで、
すごくうれしかったです。
吉本さんと中沢君が出会ったことも
うれしかったけど、
言語以前にあった
四十九万何千年分の歴史に重心がかけられたら、
今、僕らが生きることも
ぜんぜん変わってくるんじゃないかと
思えた解説だったから、うれしかった。
中沢 僕はこんなふうに理解してくださる人がいたんだ、
ということに、非常に感動しました。
その──僕はだいたい、
誤解されるのが好きだという
悪い癖もあったものですから。
糸井 あまりに真面目になるのが嫌だったんですよね。
中沢 そうなんです。
だいたいずっと誤解されて、
褒められたり貶されたりすることが
続いていました。
ふだんは糸井重里みたいなのと
一緒になって変なことをやってるし(笑)、
だけど、吉本さんに真芯を打たれました。
吉本さんはほかの雑誌にも
僕のことを書いてくださったんですが、
それを読んで、
おお、俺にも芯があるのか、と思いました。
糸井 自分では芯を認識してなかった、と。
中沢 きっと、芯を表に出して戦うまでには、
自分はまだ力が足りないと
思っていたこともあったんです。
それから──けっこう努力したんです。
糸井 そうですね。
いままで、長く生きてますからね。
中沢 そうなんです。

(続きます)

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2008-09-22-MON

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