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糸井 |
中沢君って
いつもおもしろいんだけれども、
しょっちゅう足し算されるのが
おもしろいね。
友だちのおもしろさって、そこだな。
「あいつね、これまで黙ってたけど
こうだったんだよ」
というような発見がおもしろい。 |
中沢 |
でも、吉本さんだって、
きっと足し算されていますよ。 |
糸井 |
そうだね。 |
中沢 |
吉本さんの頭の中で動いていることは、
最近、ものすごく正確で
高速度になっていると感じます。 |
糸井 |
この前おっしゃってたんですが、
吉本さんは、若いときに
なんでも分かるんじゃないだろうかという
時期があったそうです。
今では、さかんに
そのことを反省なさっていました。
腕っぷしを見せたいという、
男の拳ってものは
しょうがないものなんですね。
きっと中沢君もそうなんでしょうけど、
自分より腕の立たないやつに、
切れない刀で切りつけられたりすると、
「うるさいな、なにを」って
やっつけちゃうでしょう。 |
中沢 |
うん、なんだか、悔しいんだよ(笑)。
吉本さんに対する批判なんかを見てると、
あきらかに「ちょこざいな」なのに、
吉本さんは、タイマン張られると
本気になってバーッと
刀をふり下ろしてる。 |
糸井 |
錆びた刀で傷つけられると
痛ぇじゃないか、ってね?
吉本さんはすごく切れる刀を
持っているわけですから。
でも、今の吉本さんは
「それは、ちょっとは馬鹿だったと言える」と
おっしゃっていました。 |
中沢 |
どんな思想でも学問でも、
根本の認識は、表現で言うと単純なものです。
それが言えるかどうかなんじゃないかな、と
僕も成長を遂げて
よく分かるようになってきたんですが、
若い時分は剣豪ぶりますからね。 |
糸井 |
中沢君は、昔はもうちょっと刀を研いでた。 |
中沢 |
研いでた、研いでた。
鶴見俊輔さんが
『雪片曲線論』の本の解説で
中沢君は佐々木小次郎である、と
書いてくれました。 |
糸井 |
長い刀で、ツバメ返し。 |
中沢 |
いちいちムッとして、「えい!」(笑)。
若いときは、
自分を客観視できなかったですけど、
もうあんな刀は嫌だね、と思います。
どうせなら、塚原卜伝みたいに、
なべぶたでいきたいね。
あの境地に入れたらすごいだろうな。 |
糸井 |
ああ‥‥!
なべぶた、いいよね。
今の吉本さんは、なべぶただ。 |
中沢 |
ね? |
糸井 |
自分があきんどだったら
暖簾のマークを
なべぶたの紋所みたいにしたいくらいだ。 |
中沢 |
なべぶたねぇ。 |
糸井 |
なべぶたは武器ではないわけだから、
超武器ですよね。 |
中沢 |
吉本さんの言葉も、
なんでもない、なべぶたなんですよ。
それで大事なことを
ストンと言い当てちゃってるんです。
そのなべぶたのことを、
かしこまって言うとするなら、
吉本さんはきっと、
自由と言うんだね。 |
糸井 |
そうですね。
自由と平等と言いますね。 |
中沢 |
人間にとって芸術はなぜ重要かというと、
それは自由への通路を
ちょっとでも開くことだと
吉本さんは言います。
中野重治さんという詩人の
有名な「歌のわかれ」という詩があります。
あかまんまの歌を歌うな、という詩ね。
つまり、情的な歌を歌うな、
自分たちはこれから抒情を
捨てていくんだという詩です。
これについて、吉本さんが書いた
文章があります。
確かに中野さんが言っていることは
一理はあるんだけども、
別に抒情だって
人間を自由にする通路を
小さい穴でも開けたんだったら、
それでいいじゃないか。
重大なのは抒情か抒情じゃないかと
いうことじゃなくて、
それがひとつの自由を開いたかどうかだ、
という言い方をなさっていました。
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糸井 |
今は、左派でも右派でも
いろんな立場の人たちから
「ちゃんとやれよ」と言われるような
ムードがあります。
景気悪くなったからちゃんとやろうよ、とか、
自然を大切にしよう、愛が必要だ、
節約だ、さまざまなことが
どんどんきれいになって整理されていく。
いい加減な人たちの居場所が
なくなったときには、
人間理解が壊れていくんじゃないかな、
という危機感を
僕はずっと持っています。
吉本さんは、
先に勉強したやつが
自分で勝手にやるのはいいけども、
人が楽しんでいるところを
「やめなさい」と言って
水をかけるようなことをやって、
それはいいことだ、というものは
全部ダメだとおっしゃいます。
吉本さんのような人が
そんな長老の役をしてくれると、
俺たち村の若い衆も元気になりますよ。 |
中沢 |
うん。そうですね。
若い衆がこの年になっちゃったけど(笑)。 |
糸井 |
この話を聞いてくれている
若い人たちがいるなら、きっと
元気になってくれるんじゃないでしょうか。
(続きます)
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