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糸井 |
つまりこれは単純にいうと、
歌謡曲で歌われているような、
口紅買って彼に会いに行ってうれしい、という話を
認めるか、認めないかという話です。
「口紅か、そうか、よかったね」
という長老がいるか、
「そんなことしている場合じゃないだろう今は」
という長老がいるかで、
世の中は変わっていくわけです。
吉本隆明という人を、
今たくさん語る必要があると思うのは、
口紅買ったんだ、と言ったらきっと
「へぇ」と一緒に笑ってみせてくれる
人だからです。 |
中沢 |
「どれどれ」と言って、ごらんになりますね。
いちおう目を近づけて見て、
「俺には分からないけど」「へぇー」って言う。
吉本さんなら、そうしますね。 |
糸井 |
吉本さんは、ときどき言葉にして
このあたりのことをおっしゃってます。
そういう部分がなかったら、
人間の歴史の七割は
なにもなかったことになっちゃうんだよ、と。 |
中沢 |
「口紅なんか買って」って
というふうに行きがちですからね。 |
糸井 |
口紅のない君こそがきれいなんだよ、
健康な娘さんは
そんなことしなくたってきれいなんだから、
美は内面にあるんだよ、
そういうロジックって、
みんなやられるじゃないですか。
正しいから、「そうか」と
見事に言いたくなるんですよ。 |
中沢 |
さっきの虚数「愛」の
交換みたいになっちゃいます。 |
糸井 |
そうそう。きっと、
口紅を塗りたい気持ちが
どこから出てきたか、
自分にも分からないんです。
口紅を塗って
誰かに好かれたいという気持ちは、
いつだって秘密で、
誰にも言わない、沈黙の行為です。
見栄を張ってきれいな格好をしているのに、
普段着だと言いながら出かけたり、
彼より早く行っていたいのに、
ちょっと遅れて試してみたり、
そういうことまでするのが
人間というものの属性です。
ああでもない、こうでもないとやってきたことが、
楽しかったり楽しくなかったりすることを
招きます。
ほんとうは、そっちのほうが歴史じゃないの?
ということを言ってくれる人が
どこかにいてくれないと、
本当に嫌な時代になると思うんです。 |
中沢 |
そういうことは、歴史が添削されると
消されちゃうようなことですからね。 |
糸井 |
そういえば、吉本さんが好きな
太宰治の文章のことなんだけど、
もしも今、太宰が
カルチャーセンターに行ったとしたら
すごく添削されちゃうと思う。
「君の個性は分かる。でも、
デビューしてからにしなさい」 |
中沢 |
(笑)言われるだろうね。
でも、それで彼は長いこと
評価されなかったわけでしょう。 |
糸井 |
みんなにいやらしいと思われたんでしょうね。
ところが吉本隆明は、
それをいやらしいと言わなかった。 |
中沢 |
そうですね。
吉本さんが『万葉集』の歌が好きなのも、
そのあたりのことが
関係しているんじゃないでしょうか。
すごいことばかりがすごいわけじゃないし、
だいいち、すごそうな人って、
たいしたことない人が多いですよね。
なんでもないことをダメだと決めてしまうのは、
表現ということの運命を
全体で捉えていないと思うんです。 |
糸井 |
そういうことですね。
「立派とはなにか」という絵は
描いておけるけど、
「立派とはなにか」という絵は、
人間には小さいんだと思うんです。
人間という自由な生きものは、
立派のいれものをはみ出してしまう。 |
中沢 |
しょうもないことも含めて、
人間は、入りきれませんね。
立派のいれものに人間を押し込めようとした
小さな思想ほど
過激になったりしますから。 |
糸井 |
それはやっぱり
刀がまだあるんですよね。 |
中沢 |
ええ、やっぱり持つべきものは
なべぶたじゃないと。
吉本さんは、いつも
思想がゲームになることを
拒否しているところがあると思います。
境界を作って
規則の中でやり取りすることは、
学者がよくやるんですよ。 |
糸井 |
比叡山に行ったきりの人と、
比叡山を降りてきた人の違いを、
吉本さんはよく言います。 |
中沢 |
比叡山には、
巨大ではあるけれども有限な
観念のプレイグラウンドがあって、
その中ではいかようにも
自由に思想を展開できるし、
いかようにも過激に
考えを展開することができるわけです。
だけど、比叡山を降りるということは、
このプレイグラウンドの枠を
外すということです。
そうなると、さっきまで観客席にいた
酔っ払いの親父なんかが、乱入してくるわけです。
乱入してきた親父たちと一緒に、
ひとつの思想行為をやるということを、
吉本さんは大思想と言っています。
親鸞はまさに、この酔っ払い相手に
なべぶたでやっていたわけですからね。
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糸井 |
限定的なことはダメだよ、という考えは
吉本さんのなかで
一貫して働いていますね。
条件がちょっとでも変更されたら
すぐに変わってしまうことを、
吉本さんは、言うわけにはいかないから。
それをえらそうに、切れない刀で
こうです、ああですと言うと、
二、三十年経ったときに笑われるよ、って。
千年、万年持つ言い方があるはずだ、
そういうところを触りたいんだよ、
ということは──考えてみれば、
今のあの吉本さんの場所にいなかったら
難しかったでしょうね。 |
中沢 |
そのとおりですね。 |
糸井 |
あの人が大学の先生をもし引き受けていたら。 |
中沢 |
ダメだったでしょう。
そして、東京という
世界普遍のことを考えることを可能にする、
数少ない都市にいた、ということが
吉本さんの思想を展開できた
ひとつの原因だとやっぱり思います。
パリは、世界普遍じゃないんです。
EU普遍を考えることはできるんだけれども、
アフリカやオーストラリア先住民や
アメリカ・インディアンや、
あるいは何十万年の人類史を抱え込みながら、
全体性を考えることはできない。
そういう都市は、
東京をおいて他には少ないと思います。
ですから、今日の主題は
吉本さんの思想については、
すごく本質的だったんじゃないかと思います。 |
糸井 |
もう時間ですね。
ありがとうございました。 |
中沢 |
ありがとうございました。
(これで、おしまいです。
ありがとうございました)
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