NANASHI
中卒でいいんじゃない?
名無権兵衛・15歳・デビッドリンチ目指す。

第33回 今はまたマンハッタンにいます。

ビルが好きです。
昔から、高層ビルとオフィス街が大好きでした。
日本にいた時は、家から都庁舎が見えたんですよ。
つまり西新宿が近かったわけです。
西新宿なんて、もう、最高の街ですね。
ビルだらけだし。
あの街だけ、ちゃんと未来先取りな感じなんですよね。
もう21世紀になったって言うじゃないですか。
なのに技術は未来のイメージと
かけ離れているじゃないですか。
しかし西新宿は違います。
あの街を歩いていれば、
ちゃんと21世紀にいる事が実感できます。
西新宿のビルは概観も素晴らしいけども、
登っても素晴らしいです。
ヤバいですね、高層ビルの上からの眺めは。

ちなみに僕は高所恐怖症なのですけど
(飛び込みが嫌で水泳を辞めたくらいの恐怖症です)、
ビルの上は恐くないんですね。
何故かと言うと、ビルは安全ですから。
「落ちようと思えば落ちれる」っていう状況が
恐いんですよ。
「どうしても落ちなきゃ」っていう危機に立たされた時は、
実は高いところなんて全然恐くないんですね。
その場合はむしろ落ちるほうを
優先して考えているわけだから。
だけど、水泳の場合はどうでしょう。
あれは別に飛び込まなくてもいいんですよ、
だって飛び込まなくても泳げるじゃないですか!
必要ないダイヴなんです。水泳の飛び込みは。
だから、「嫌々落ちる」という
変なシチュエーションが
毎回毎回繰り広げられるわけですね。
落ちる必要が無いならわざわざ落ちなくてもよい、
と、合理的に考えていきましょうよ、ねえ?
21世紀なんだし。

で、ビルなんですけど、
実はあれは落ちようと思えば落ちれます。
屋上から飛べば一発だし、
窓なんかを割ればそこからも落ちれるし。
ただ、僕の言ってることはそういう事ではないのですね。
普通、ビルから地面に落下しようとは
考えないわけじゃないですか。
普通に高層ビルの屋上にいても、
落ち着いて下を見ていられるわけじゃないですか。
落下の可能性を考えないという事は、
落下するという選択肢が自分の中に無い状態です。
当然、「ビルから落ちる!」とも思わないです。
ならば恐怖なぞ湧いてきません。

なのでもっと切羽詰った状況を考えましょう。
「今、ここで手を離せば落ちる!」とか、
「少しでも後ろに体重をかければ落ちる!」とか、
選択の余地があるとね、恐いですよね、これは。
落ちれるんですよ。この場合は。
割と自分の近くにある可能性として。
でも、こういう状況は、
実は過去に何度もあった事なんだと思います。
「落ちようと思えば落ちれるなあ」という状況は
過去に何度もあったのです。
何度もあったからこそ、
こうして高所恐怖症にもなっているわけです。
で、結局は一度も落ちてないんですよ。
まあ、もしかしたらジャングルジムの上から
落ちたことくらいはあるかもしれませんよ。
ただ、高層ビルの天辺から落ちてたら
普通死にますからね。
だから高層ビルから落ちた経験は無いと思います。

じゃあ、何故高いところは恐いのか。
妄想です。
おかしな妄想が発生しているんですね。
高いところにいると。
落ちる可能性が発生してくると。
自分の意思次第で、すぐにでも落ちれる状況になると 。
「耳切ったら痛いだろうなあ」と思い始めれば、
最終的には耳を自ら切断する以外には
この痛みの妄想から逃れるすべは無いんですね。
これはゴッホさんのケースですけど。
僕の場合は高所にクるわけです。
最終的にはビルから落ちない限り、
永遠に妄想はつきまとうでしょう。
まあ、落ちやしませんが。
とにかく、この微妙なスリルですね。
危機感、へんな焦り、そういうものを
無意識のうちに求めていたのかもしれませんね。
西新宿に。未来都市に。

そう言えば、
東京中野には中野サンプラザという建物があります。
あれは滑り台みたいな形をしてるんです。
んで、中野生まれ中野育ちの僕としては、
あれで滑ってみるのが小さいころの夢だったわけです。
というか、中野育ちの子供は
みんな同じ妄想にとらわれたかと
思いますけど、結局誰も滑ってなかったように思います。
まあ、僕も結局滑んなかったしなあ・・・。

と、普通に書いてきましたけど、
随分ご無沙汰していました。
様々な理由でこちらで書くのをやめていたのですけど、
最近のマンハッタンのビル群を眺めていると、
是が非でもビルについて語りたくなってしまったのです。
相変わらずの駄文で申し訳ないですが。
テロ以降、三ヶ月ほど日本に帰っていました。
そして、今はマンハッタンに来ています。
詳しい事はまた書こうと思います。
今回はこの辺で。おやすみなさい。

2002-02-19-TUE

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