第37回 公園。
1984年(昭和五十九年)12月26日、
東京都中野区のとある病院で二人の子供が誕生しました。
一人はお昼前の11時頃。
もう一人はそれより三時間遅れて午後1時頃。
まあ、先に産まれたほうは実は僕なんですが、
問題はもう一人の方です。
名前を大島といいまして。
大島家は昔から中野に家を持っているので、
彼奴は産まれてからずっと中野に暮らしていたわけです。
で、僕の方は引越しなんかが多かったんで
中野にはいなかったわけです。
ただ、中学生のときに奇跡的に再会しました。
僕は学区域とかが複雑だったので
中学校進学当時にどの学校に通うかを
三つの学校から選べたわけです。
そのうちの二つは
小学校のときの友達も何人かいたりしたのですが、
僕は敢えて未知の学校に行くことにしたのです・・・・
そこで奇跡の再会を果たすわけです。
結局、大島と僕が
双子級の境遇で産まれてきたことに関しては
中三になってから分かったことなんですけど、
発覚したときは寒気がしましたよ。
だって、同じ日に同じ病院でって・・・
しかも奇跡的な確率の再会を果たすなんて・・・
もう双子としか言えないじゃないですか。
全く似てなかったからよかったものの、
もし妙に似てたりしたら
ちょっとしたスキャンダルに発展するところですよ。
彼は生まれついてのサッカー少年であるため
毎日サッカーサッカーで激忙しい感じなのですが、
中学校を出てから
僕は頻繁に大島家に入り浸るようになったのです。
同時に、大島家の隣にある大島公園(愛称)という公園で
遊んでいたりしたわけです。
去年の年末に帰国したときも毎日大島家、
大島公園にてヌルい青春を紡いできたわけですが・・・
この大島公園というのが、
もうどうしようもない公園で・・・
狭いわ、公園のど真ん中に邪魔な木があるわ、
夏になると凶悪な怪虫が大量発生するわ、で。
とにかく、何にもできない公園なんですよ。
それでも無理矢理工夫して
様々な歴史を刻んだ公園なのです。
僕らにとっては(おそらく、僕らにとってのみ)
大事な公園だったわけです。
もう、ファンサイトを作っちゃうくらい
大事な公園なんです(実話)。
過去に、この公園では河童が出現したことがありました。
その日は、朝から曇天の豪雨。
誰一人外なんか
出歩いちゃいないような日だったのに・・・。
ずっと嫌な空気が大島公園を包んでいました。
翌日、空はカラッと晴れました。
急いで大島公園に行ってみると、
案の定使い古されたブランコの後ろに
おかしなものが置いてあります。それは、ビワでした。
果物のビワ。大量のビワ。
丁寧にも大きな葉っぱの上に乗せられて
実に神々しく鎮座していたのです。
「これは河童様のご厚意に違いない!
皆の衆、集え、集え!」・・・・
というわけで僕や大島や数人の仲間たちは
公園内に簡易河童塚を建設し、感謝の意を示したのです。
その数分後、河童塚は大島の蹴った
サッカーボールによって粉砕しましたが、
アレはマジで河童の仕業だと思うんですよ。
豪雨の中、公園にビワを備えていく生き物なんて
河童以外考えられないですよ!・・・・
まあ、その後、河童が現れたと思しき現象は
起こっていないのですが・・・・。
それでも怪奇現象は後を絶ちません。
ある日、公園内に突然古墳が出現したこともあったし、
砂場の前にスリッパが一揃え
綺麗に並べられていたこともあったり
(潜ったんだと思います。砂漠に。砂女だと思います)。
利用者が極端に少ないこの公園の実態は
魑魅魍魎がゾロリ蠢く魔宮です。
そして 、粗大ごみが人知らず捨てられ、
いつの間にか消えていく場所。
いつも曇っている、時間が止まったかのような場所です。
こんな嫌系公園ですが、
いつかこの公園での出来事を
一つの作品に仕上げるのが僕の今のところの夢です。 |