「ただいま製作中!」などで、
すでにお知らせしていますが、
きちんと報告しておきましょう。
このたび、ほぼ日刊イトイ新聞を運営する
東京糸井重里事務所は、引っ越しました。
(といっても、地下鉄の駅半分ほどの距離ですが)
2016年の仕事はじめである1月6日より、
新しいオフィスで働いています。
広くなりました。
会議室も増えました。
メゾネットタイプの2フロアーで、
天井も高くなりました。
ええ、新しいオフィスは、たいへん快適です。
まえの場所も好きでしたけどね。
さて、ほぼ日が創刊されてから、早17年半。
その間、私たちは何度か引っ越ししています。
せっかくですから、ちょっと振り返ってみましょうか。
1998年の創刊当時、
「ほぼ日」のオフィスは麻布の住宅地にありました。
大きめの一軒家を借りてまるごとオフィスにしていて、
その建物は通称「鼠穴(ねずあな)」と呼ばれてました。
「あ、知ってる、知ってる」っていうあなた、
けっこう古株ですね。
長く読んでいただき、ありがとうございます。
鼠穴には2001年の夏までいました。
そのあと引っ越したのは、三田の魚らん坂にある
通称、「明るいビル」です。
その名の通り、建物の通りに面した部分がガラス張りで
たいへん「明るいビル」だったんです。
下の階にはフィットネスジムが入っていて、
みんなで急に体を鍛えたりもしましたっけ。
ちなみに、ですが、「ほぼ日」の乗組員たちは、
「じぶんがどのオフィスのときに入ったか」で
社員としてのジェネレーションを確認し合う、
という傾向があります。
ぼくの場合でいうと、
‥‥あ、書いているぼくは永田ですが、
ぼくの場合でいうと、
入社したのは「明るいビル」の時代でしたから、
「明るいビル組」ですね。
元木あたりから奥野くらいまでが
だいたい「明るいビル組」です。
さてさて、続く引っ越しは2005年の年末。
場所は青山、骨董通り。
場所の通称はとくにありません。
いまは「九曜ビル」と呼んでますね。
いまも続く「フグカメラ」は
ここへの引っ越しとともにはじまりました。
そして、「鼠穴」から数えて、
ひぃ、ふぅ、みぃ、よっつめのオフィスが
去年の年末までいたところ。
ええと、思えば、はっきりした通称はないですね。
表参道の、青山通り沿いの、外苑よりのところ。
古い建物でしたが、
内装を手がけた三角屋さんが
「木」をふんだんにつかって
仕上げてくださったこともあり、
独特の雰囲気のある職場になりました。
ここには、2011年から約5年間いました。
はい、そんなわけで、「いま」です。
2016年1月、ほぼ日刊イトイ新聞を運営する
東京糸井重里事務所は、
通算5つ目のオフィスに引っ越しました。
最寄り駅は銀座線の外苑前。
ラグビー場や神宮球場が、すぐそばにあります。
陽当たりがよく、眺めも素敵です。
キッチンも広く、新しくなりました。
共有スペースもたっぷりあります。
明るくて、気持ちのいいオフィスです。
幸い、「ほぼ日」は、
年々、いっしょに働く仲間が増え、
会議室がどんどん埋まっていくので、
引っ越すたびに、ちょっとずつ
じぶんたちの場所が大きくなっていきます。
引っ越してきたばかりのこの広い場所も、
いつか狭く感じるときが来るのでしょうか?
とりあえず、いまは、新しいオフィスを
うれしく満喫しながら、働いています。
2016年1月、引っ越しました、
という報告でした。