MIRAI-CHORYU
「ほぼ日」に出会った
「未来潮流」
また、いつもの良い癖がでて、
「せっかくだから、うちにも取材日記というようなものを
連載してみませんか?」
と、もちかけてみました。
編集の大詰めでタイヘンな時期なのに、
村山ディレクターは引き受けてくれたのでした。
放送日までの間に、4回の集中連載をいたしました。

第4回

みなさん、今日はなんの日だか知ってますか?
9月12日(土曜日)、
今夜21:00〜22:15 はテレビの前にバリバリ集合っす!
3チャンネル教育テレビ「未来潮流」という75分番組で、
「ほぼ日」の裏側、「ほぼ日」の
すべてを観ておくんなまし。

ムラヤマさん
村山ディレクター(右)は
音入れの真っ最中。

というわけで、
短期集中連載「ほぼ日に出会った未来潮流」の
第4回は、編集部が見た、番組制作現場をおとどけしよう。
主人公は、「未来潮流」の担当ディレクターで、
忙しいなか3回めまでの原稿を書いてくれた、
村山クウキさん(32歳)です。

ちなみに3回めの原稿を仕上げるために、
村山さんは、 釣りに行く
オトーサンでもないのに、 金曜日の朝5時に起きて、
出社までの数時間がんばってくれました。
番組づくりのために
4日間も奥さんの待つ家に帰れない人が、
ホントにごくろうさまです。
こもる。
こういう部屋に何日も
こもらにゃならんのよ。

村山さんに番組制作の流れを聞きました。
私が見たことも含めて、かんたんに、説明しましょう。
まず、企画が通った段階で、
村山さんはネズアナ通いを始めました。
ほぼ毎日、夕方になるとフワリと現れては、
ネズアナに出入りする人々を観察し、会話し、
ご飯を食べ、ミーティングしました。

村山さんが、ネズアナメンバーの一員であり
クウキであるという、
素敵なポジションを築きあげたころ、
NHK取材班がネズアナに撮影ロケにやってきました。
隊長はもちろん、村山クウキさんです。
(写真が連載第1回にあります)
また、「ほぼ日」に関わるひとびとの
インタビューを撮るために、
北は北海道から、
南は北九州までロケに飛んでいました。
コンピュータを介したメールでの
やりとりを取材するために、
生身の村山さんチームが現地に飛んでいったことが、
実際に人と会うことの
スゴさを思い出させてくれました。

撮影したテープ(映像と音声)は、いちど編集します。
手紙を書くときの下書きですね。
その下書きをもとにして、
こんどは放送用のきれいな画質で、
編集しなおすそうです。
手紙を清書する、と。

台本
「ほぼ日」ページを文字にすると
すごい量です。
原稿作りも村山さんの仕事。

つぎに、音を入れていきます。
本番用に編集されたテープに合わせて、
音楽や効果音、
ナレーションを録音していくのです。
第3回で村山さんが書いているように、
音入れが終わると。
「番組は、ようやく「ほぼ」完成しました。」
と言えるのです。

最後に、スーパーや、
テロップなどの文字を
映像に入れて完成です。
さきほど(金曜日の夕方)電話したら、
文字入れ作業も終わり、
「あとは土曜日に最終チェックをしまーす」
と元気になった声で
話してくれました。

村山さんの職場におじゃましたのは、
9月9日(水)の午後。
渋谷のとあるビルの地下1階、
薄暗いスタジオで、
音入れがおこなわれていました。
つまり、音楽やナレーションを録音する作業です。

そのときすでに、
村山さんは4日間家に帰らずに、
スタジオワークに没頭していました。
取材の前日に電話で話したら、
いつもより妙に笑いが多くて、アレ? 
と思いました。
「村山さんて、あんなに笑う人だったっけ?」
連日のスタジオワークで、
ハイになっていたにちがいありません。

声優さん
声優さんの、読む速さ、
正確さ、間、声の調子、
心情まで考えて指示を出す。

ひさしぶりに会った村山さんは、
薄暗いスタジオで、無精ヒゲを生やし、
上司さんたち(プロデューサーとデスク)や、
スタッフ、声優さんたちにかこまれて、
陣頭指揮をとっていました。
まさに現場監督ということばがぴったりです。
モニターに映ったメールの文章(書き言葉)にあわせて、
声優さんの音読を録音するのですが、
これがタイヘン!
音読されることを考えて書かれていない文章を読むのは、
対談を音読するのとはわけがちがいます。
なんなら、「ほぼ日」コンテンツでためしてください。
その文章に合った声優さんは誰か、声の高低、読むスピード、
句読点の間、感情表現、軽い声、思い声、漢字の読み、
カッコはどうすんの?
それに、読みまちがい、原稿のまちがいもある。
長い文章だから、声優さんも間違えないで読まなきゃと
緊張する。

ムラヤマさん
すべてのミスを
自分のせいにしながら、
村山クウキさんは
仕事を進める。
マジ、かっこいいっす。

その中で、村山さんは
すべての人に気をつかう役だった。
上司さんの意見を声優さんに説明するときも、
村山さんの段階で、かなりソフトに
翻訳しなければならない。
長時間の細かい作業で、
みんな疲れているのはアタリマエ。
うまく回すには、村山さんが「スミマセン」を
連発するしかないのだ。
つまり、ツライ役どころ、ああ、中間管理職。
しかし、現場を動かしているのは、
まちがいなく村山さんだった。
自分がここまで引っ張ってきた番組を成功させようと戦う姿。
「ああ、ネズアナの村山さんは
クウキ役だったけど、職場では、すべての責任を背負う
現場監督なんだ・・・」
つまり、グッとくるものがあるんですね。見てると。

スタッフのみなさん
上司さん、声優さん、
スタッフに囲まれた
難しいポジション。
ああ現場監督・・・
村山さんガンバレ、
がんばれクウキさん!
マジ、かっこいいっす。

つい演歌なレポートになってしまいました。
秒刻みの録音だったので、スタジオにいる間、
ほとんど話らしい話はできなかったけど、
クウキさんの愛称をもつ村山さんが戦う、
貴重なシーンを目撃できて、
得した気分というか、「ほぼ日」は幸せだった。

村山さん、NHKスタッフのみなさん、
仕事中おじゃまさせていただき、
どうもありがとうございました。

では、今夜21:00、
3チャンネルでお会いしましょう。

1998-09-12-SAT

第3回

番組は、ようやく「ほぼ」完成しました。

結局パソコン画面の「文字」「ことば」の撮影は、
夜中の3時までかかりました。
それでも足りずに、まだ撮影する予定です。
「レレレ」を撮り損ねてしまったからです。

これほど、パソコン画面が出てくる
番組もめずらしいんじゃないかと、
スタッフ一同があきれるほど 、
山のような電子の文字やことばが、
出てきます。

で、番組では、かっこわりーと言われようと、
なんと言われようと、
その文字やことばを、律儀に全部読みました。
出てくるホームページやメールの文章すべてに、
声優さんが、声をあてました。
のべ10人、入れ替わり立ち替わり、
収録現場は大騒ぎでした。
(あ、セイヒローさん、ありがとうございました、
何のおかまいもできずに、すいませんでした。)

声: 「また、糸井重里からだっ!まいったなあ。」
私: ちょっと、今のだと「!」が抜けた読みです、
すいません、もう一回。
声: 「また、糸井重里からだっ!まいったなあ。」
私: 今度のは、「!」はあるけれど
「からだっ!」の「っ」が
抜けていたような気がするんですけれど。
上: (たまりかねて、上司が)
要するに、またメールを書いちゃったよ、
本当はこんなに書きたくないのに、
だから、まいったなあ、
という感じだと思うよ、この一行。
だから、「また」は、気分として「まあーた」
「書いちゃったよ、ふーっ」
というところの「また」で、
「まいったなぁ」は
「困っちゃうんだなぁ」という意味だと思う。
私: でも「!」があるので、前半の「!」までと、
後半の「まいったなぁ。」では
感情が違っていて、アンビバレントな・・・
声: わかりました、ではすいません、もう1回いきます。
「また、糸井重里からだっ!まいったなあ。」
私: 今度は「また」がちょっと重すぎで・・・

などと、言っている私も、上司も、声優さんも、
メールやホームページの独特の文体を前に、
どうやって声に出して読めばいいのか? 
と頭の中ぐるぐるでした。
本来声にするためのものではない、
とわかっていながら
「無謀な」試みでした。

テレビで「文字」や「ことば」だけを写して、
あとはお読みくださいというわけには
やはりいかないのです。

うまくいったところ、ずっこけたところ、
包み隠さず出ています。
何から何まで手探りで作った75分でした。

でも、「電子のことば」は、
間違いなく人を変える、という実感だけは
糸井さんたちの、
ことばや文字を通してお伝えできるのではと、
勝手に思っています。

ぜひ、ご笑覧いただけたらと思います。

糸井さん、「ほぼ日」のみなさん、
本当にありがとうございました。

では、これから最後の仕上げ、テロップ入れです。

1998-09-11-FRI

第2回

前回、番組タイトルを申しそびれました。
まだ(仮)ではありますが、
「糸井重里のインターネット・トーク
電子のことばが世界を変える」です。
インターネット・トークって何だよ!
とつっこみは入れないでください。
とにかく糸井さんのトークがあるんです。はい。

それでいま、編集室では、
「電子のことば」をめぐって壮絶なことになっています。

上:「あまあまでいいのかねぇ。」は撮ってないのか。
私:いいえ。「なーんて」しかありません。
上:「ひゅーっと」というのも、アップが必要だろ。
私:はい。そうでした。
上:「!」までないのか。「!」はどうした。
  だいたいパンが短いよ。
   「!」までいかないとわからんだろう。
私:すいません。

上司と私の会話です。
今回の番組は、主人公は糸井さんだけではありません。
そう、ホームページやメールの「ことば」です。

繰り返しになりますが、
「未来潮流」は75分もあります。
うちの「固め」の番組は、ふつう30分か45分。
長くて60分です。
75分は、特集とかスペシャル枠でなく、
ウイークリーのレギュラー番組としては、
異例の長さです。

ですから、「未来潮流」は、
対論ベースであることがしばしばです。
番組のホスト役の人をたてて、ひとつのテーマをめぐって、
その人が4人ぐらいの人と対論を重ねていきながら、
番組内容を深めていく・・・
そんな構成であることが多いのです。
たとえば、山田太一さんが、現代の家族論を、
小浜逸郎さんや
新藤兼人さんと語り合うというような内容です。
このとき、ディレクターは、
頭の中で、彼と彼の対論で
20分はいくな、次の対論は30分ぐらいはもつだろう、
などと「尺計算」をしながら、テープを回します。
極端に言えば、
対論が生産的な方向へ向かおうと向かうまいと、
二人の議論があれば、
とにかく番組上の時間は流れていくからです。

今回も、糸井さんが、インターネット論を、
学者やホームページ制作者などと対論していくという、
ごく当たり前の構成も頭には浮かべたのですが、
すぐにうち消しました。
インターネットについて評論的な議論は、
いろいろなところで出尽くしている。
それより糸井さんのインターネット生活を、
カメラで追い、語っていただいた方がずっと
「リアル」なのではないか。
いままでにない、「熱さ」を持った
インターネット番組になるのではないか。
対論が必要になったら、往復メールでやっちゃえ、と。

かくして、
ホストとゲストが向かい合った対論が
一切ない構成になったのです。
「75分で対論なしは暴挙」と先輩から言われながら、
腹をくくったのです。

そこからです。はた、と困ったのは。
糸井さんの話はとても面白い。
でも、それだけで75分はいくらなんでも。
「ほぼ日」のみなさんにも話を聞く。
「RRR」の方たちにも取材する。
そうすると、ホームページに書かれたものや、
メールに書かれたものをきちんと紹介しないと、
それぞれの方が持っている世界は表現できない。
「まかないめし」も表現できない。

つまりは、インターネット上の独特の、
不思議な「言い回し」や「ことば」がとても重要になる。
でもしかし、
テレビは映像先行のメディアで、文字を長く映すのには
まだまだ適していないように思います。
ソファーに寝転がってぼーっと見ている画面が
文字ばっかりだったら、チャンネルかえたくなりませんか?

「電子のことば」をどのように見せるのか?
放送ぎりぎりまで、ない知恵を絞ります。

これからまたパソコン画面に映った
「ことば」の撮影です。
今回は「あーそうですか」を
しっかり撮ってこないといけません。
(つづく)

1998-09-07-MON

第1回

「イトイさんの話はどこへでも飛んでいくので、
インタビューを
撮影していて、ズームのタイミングが、
ちょっと難しかったぞ。」
という取材後の印象を語ったのは、vカメラマンのTさん。

NHKのみなさん。
スタッフのみなさん

「ダイニング部が素晴らしかったっす。
ぼくもまぜてほしいです!」
と、うつむき加減で語ってくれたのは、
スタッフで一番若い、音声のNくん。独身です。

「人がインターネットをする姿というのは、
薄明かりがちょうどいいんでしょうな。」と、
シンプルに感想をもらしてくれたのは、
照明のSさん。

という3人に加えて、「くうき」と糸井さんから
命名されたディレクターの私の
総勢4名は、NHK教育テレビ、
毎週土曜日夜9時から放送の75分番組、
「未来潮流」で、今回、糸井重里さんと、
「ほぼ日」のみなさんを取材する機会に恵まれました。
(放送は9月12日の予定です。)

発端は、私が糸井さんに、
(「未来潮流」とは関係のない)ある番組の
出演交渉をするために、6月初め
(取材メモを読み返すと、
日付は6月10日でした)に
鼠穴にお邪魔したことにあります。
このとき、何を隠そう、私はせっぱ詰まっておりまして、
糸井さんから出演を断られたら、番組収録に間に合わない!
という状況でした。

2階の打ち合わせ室で、どきどきしながら待っていると、
確か白いポロシャツにサングラスの糸井さんが、
とても眠たそうな、くたびれた姿で現れ、
たばこに次々火をつけながら、
いま、自分はインターネットに夢中であること、
料理屋の板前さんが余った食材で作る
「まかないめし」のような
ホーム・ページを目指していること、
インターネットで人格が変わっちゃうこと、
それは「生き方」に密接につながること、
などを一気に話してくださいました。

私は、新入サラリーマンたちの前で、
不況時代をどう生き抜くか
語っていただくような番組を企画しておりまして・・・
などという出演依頼は放り投げたまま、
くたびれてはいるけれど、
切実な語り口の糸井さんの言葉に、
ずっと身を任せていました。
帰りのタクシーの中で、少し胃が痛くなりましたが、
インターネットは生き方である、
という意味の糸井さんの言葉に
ハイになったことは、今でも鮮明に覚えています。

そこからです。
このときの糸井さんとの出会いをきっかけに、
ネットワーク論や、マルチメディア論に収斂しない
インターネットの番組はできないものか、
とネット歴半年の私は考え始めました。
放送枠は、教育テレビの実験場
(と、勝手に私が呼んでいる)
「未来潮流」しかないと、
上司に企画を提案し、承諾を得て、
鼠穴に通うようになったのが、7月下旬のことです。

「くうき」になりすますことを、糸井さんに許され、
糸井さんや「ほぼ日」のみなさんが、
インターネットのある日々を
どう暮らしているのか、じーっと眺めていました。
そこで、目にしたことや耳にしたことは、
あまりにも膨大で
うまく書き記すことが今はできないのですが、
帰宅が深夜になることがしばしばだったほど、
長い時間あきることなく、鼠穴で過ごしました。

妻に言わせると、私は、番組制作中になると、
うーんと唸るような寝言をよくいうのだそうですが、
その妻曰く、このときの私は、
「イトイ新聞」という名前を連呼したあと、
ゲラゲラ笑うという、
不思議な寝言で汗をかいていたとのこと。

実際、番組の構成を考え、ロケをすることになって、
はたと困ったことがあったのですが、
それは次回にさせてください。
このあとまたロケがありますので。
(つづく)

村上クウキさんへの激励や感想などを、
postman@1101.comに送ろう。

1998-09-01-TUE

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