吉本 |
僕が親としてダメだったことはあります。
ふたつ覚えています。
これは本当にダメ親だという証拠です。
奥さんになんだか不服があって、
おもしろくなかった日がありました。
うちの上の子がまだ小さいときです。
子どもがちょっと反抗的なことを
言ったのかもしれない──そのあたりは
覚えていませんが、
僕が、そばにあった時計を
ぶん投げたらしいんです。
僕はそんなことは覚えてないけど、
それが、うちの子の
一生の恨みで残っています。
僕の受けている恨みは、もうひとつあります。 |
糸井 |
受けている恨みが(笑)。 |
吉本 |
やっぱりダメ親だというところです。
子どものうち、ひとりが小学生、
もうひとりが小学校にあがる前でした。
奥さんが掃除かなんかしてるときに、
よく僕がふたりを連れて、
公園に遊びにいきました。
ふたりでブランコに乗って、
滑り台にも実におもしろそうに、
楽しそうに滑っちゃ、
またくり返し上がって、
キャッキャッ言いながら遊んでました。
僕は「これはおもしれぇんだろう」と思って、
ベンチに座って
ポケットから文庫本を出して読んでいました。
それで、いいかげんに時間が経ったら
「もう帰ろう」と言って帰りました。
ところが、そうとう大きくなってから
子どもたちが
「私たちはよく
遊びに連れてってもらったけど」
と言うんです。
「私たちは遊んでたのに、
自分はベンチに座って本を読んでいた。
ときどきチラッと見るけど、
ちっとも遊んでくれなかった」
という印象なんです。
これには参りました。
楽しそうに遊んでいるから、
これでいいんだと思っていました。
でも、それはダメらしいんです。 |
糸井 |
子どもたちはしょっちゅう
吉本さんを見てたんですね(笑)。 |
吉本 |
そうなんです。
自分のほうこそが、自由に本を読んでたんです。
そういうことは、子どもには
ばれちゃうということですね。
鋭敏に感じ取ります。
自分も嫌いじゃないんだから、
一緒に滑り台で滑ったり、
ブランコに乗ったりすればよかったんです。
「けっこうおもしろそうじゃないの」
と言えばよかったです。
「大人なんか混じるとかえっていけないや」
という判断はダメだと、
それはちょっと確信を持って言えます。
いまは、忙しかったり、
仕事も遊びのように
おもしろがったりする人が
多いと思います。
だけど、そのあたりの年代の子は
不平を持っていることが多いんですね。
それでもどこかでうまく
子どもとつきあうところを
こしらえることができればいいと思います。
そういう意味ではおそらく、
僕らの世代よりも、
いまの親たちは大変でしょう。
我々の頃は、社会がここまで
進展してなかったですから。
(明日につづきます)
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