糸井 | 映画の撮影時期って、いつ頃だったんですか? |
西川 | 去年の8月末から10月くらいまでですね。 |
糸井 | 脚本の時点から考えたら、 まだ東日本大震災の余波があった時期ですよね。 |
西川 | ありました。 |
糸井 | そこはどうやって切り抜けたんですか? |
西川 | 製作することは決まっていましたし、 キャストにも声をかけていました。 これからもういちど 本を書き直していくというタイミングで 地震が起きて‥‥。 やっぱり映画を作ること自体に疑問が湧きましたね。 そんなことして意味があるのかなって。 ものを作る人間すべてが 同じ問題にぶち当たったと思うんですけど、 製作者たちは続けると言っているし、 幸い撮影まで時間もありました。 |
糸井 | 時間はあった。 |
西川 | それに、事態が落ち着いたとき、 やっぱり世の中に提供する映画が あったほうがいいと思ったんです。 私にはやっぱり作ることしかできないし、 いつか普通の状態になったときに 「映画館に行けばおもしろい映画が観られる」 ようにしておきたかった。 そのためには、いまは書き続けるしかないと。 |
糸井 | きつかったでしょうね、 ひとりで本を直しながらそういうことを考えるのは。 |
西川 | 無力感も当然あったし、 「震災を描く」ということに対して、 気がせく感じもちょっとありました。 ミュージシャンの方とかは すぐに駆けつけて励ますこともできますけど。 |
糸井 | 映画ではできないですねぇ。 |
西川 | これはもう、長い目で考えていくほうが いいのかなぁと思って、 直接震災のことには触れることはしませんでした。 |
糸井 | うん。 |
西川 | ただ、物語はやっぱり震災の影響を受けてます。 映画のラストは大きく変わったんです。 |
糸井 | はあー、そうだったんですか。 それは、どんなふうに? |
西川 | もともとのラストシーンは、 実際に新聞で読んだ記事が元になっていたんです。 地方から軽ワゴン車に乗って 出稼ぎにやってきた70代と60代の老夫婦がいて、 大晦日に明治神宮に屋台を出して、 近くの駐車場で車中泊をしてたそうなんです。 ところが、あまりにも寒かったので 焼き鳥の火の元である ガスボンベにガスストーブをつないで 暖をとったらしく、 元旦の朝、一酸化炭素中毒で 亡くなっているのを発見されたという‥‥。 |
糸井 | きつい話だね。 |
西川 | きつい話です。 でも最後までふたりでずーっと働いて、 明日も頑張ろうねって言いながら死んでいった。 この死に方って悲惨なようだけど‥‥ |
糸井 | 前向き。 |
西川 | じつは前向きなのかもしれない。 そういう終わり方も美しいかもしれないと思って、 『夢売るふたり』もそういうラストにしてたんです。 |
糸井 | それはそれで、ちょっと観てみたかったです。 |
西川 | そのラストもすごくいいなと思って、 脚本もそういう書き方をしてました。 たぶんそっちのラストのほうが 圧倒的にまとまっていて、美的だったと思います。 でもやっぱり、実際にあの震災が起きてしまうと、 「死にゆく物語」というのを 書く気力が失せてしまいました。 なんかこう、 きれいでなくてもいいから生きていく、 そんな話にしたいと思って。 |
糸井 | なるほど。 ぼくは去年、 ちょうど震災の最中に製作されていた 『モテキ』の監督、 大根仁さんとお話をしたんですけど、 あのタイミングで、 ああいうタイプの映画を作っている人の 決意について、やっぱり大賛成だったんですね。 「よくやった」という思いがあった。 いま西川さんの話を聞いていても、 同じように作り手の覚悟を感じます。 |
西川 | でも、こういう形で筆が重いと感じることは、 ほんとに経験したことがなかったので‥‥。 |
糸井 | ズシンときた。 |
西川 | そうですね。 |
糸井 | 西川さんはふつうの人が生きていく話を いつも書いているじゃないですか。 それだけに、とくに響きますよね。 |
西川 | ええ。 みんなが「つながろう!」と言っているときに、 結婚詐欺がどうこうとかって‥‥ 自分のやろうとしてることが 色褪せて見えることもありましたね。 |
糸井 | うーん‥‥。 震災後、みんながちょっとずつ いやな変わり方した部分も たくさんあると思うんです。 たとえば、賛成か反対か、善か悪かというふうに、 すべてを二分する癖がついちゃったでしょう。 「おまえはどっちなんだ」 という二分法が渦巻いていた。 ぼくはもともとそういうのが好きじゃないんです。 そんなときにこの映画では、 「あの夫婦は結局、愛し合っていたんですか?」 「それはいいことですか、悪いことですか?」 みたいな二分法で 片付けられない話を延々とやってくれてて、 いやあ、いいことをしてるなぁ、と(笑)。 |
西川 | ありがとうございます(笑)。 私の映画の場合、 「どっちなの?」っていうのは 永久に聞かれ続けるんですよね。 やっぱり人は答えを出したがるんですかねえ? |
糸井 | 出したがるんですかね。 |
西川 | 出したがるんですかねぇ。 |
糸井 | つまり、自然のなかで鳥が鳴いているのを見て、 鳥を見る前に、 「何という鳥?」と言う人たち。 ‥‥どうだっていいでしょう? |
西川 | そうですね、ほんとうに。 |
糸井 | だからぼくは、そこのところ、 すべてを二分しようとするところに、 ずーっと小石を投げては、 波紋をつくって見えにくくするという、 いやな役をしてやれと思ってるんです。 |
西川 | ああ、それは、 ご本を読ませていただいて感じました。 |
糸井 | 何の本だろう? |
西川 | 『できることをしよう。』 すごくわかりました、今のお話が。 やっぱり震災を 大きな悲劇として捉えようとしてる 自分もいるんですけど、 一方で、あの本を読むと いろんな選択肢があるというか、 なんかこう、 パンツのゴムが ゆるんだような気がするっていうか(笑)。 |
糸井 | ああ、その感想はものすごくうれしい(笑)。 西川さんがこの映画を撮っている頃に、 ぼくらはああいうことしてたわけで。 ‥‥いやぁ、うれしいです。 (つづきます) |
2012-09-06-THU