Drama
野田マップの稽古場の隅で。

●第3回●


野田 漢字から考えちゃう頭だから、
台詞のなかにも、まだざらに漢字がある。
すぐ「へん」と「つくり」を分けちゃって、
イメージづくりをするようなところがあるんです。
今回の「(パンドラの)鐘」にしても、
金へんに童(わらべ)って書いて、
童っていうものをイメージしたり。
糸井 養老さんの解説なんだけど、漢字とルビの関係っていうのが
漫画の絵とセリフの関係だって言ってるんですよ。
これは見事だなぁ。
漢字ひとつがひとコマの漫画なんですね。
そう考えたら俺ら、そこから逃げることはできない。
漫画で育ったから。
だから逆に漫画文化を輸出するように、
僕らの体癖を通じる形でもう1回、
作れるんじゃないかなって可能性はあるね。
野田 外国の人って、適当には
漢字に興味あるんだよね。
糸井 あるだろうなぁ。
野田 漢字のこと説明するとすごく喜ぶもんね。
こっち側が「音」になってて、こっち側見れば「意味」に
なるんだとか、何と何がくっつくとこうだ、とかね。
糸井 野田くんの稽古見てて、もう1個、
この人は昔から癖だなと思ったことがあるんだ。
ヘーゲル無し、なんだよ。
って、言い方がちょっとキザかなぁ。
つまりテーマがあって、反テーマがあって、
止揚(アウフヘーベン:低い段階の否定を通じて高い段階へ
ものごとが進むとき、高い段階の中に、低い段階の実質が
取り込まれること)されて進んでいく、
っていう考え方を、野田君て昔からしてない。
「衝突だとか対立の中から物語が生まれる」とかって発想を
あんな若いときからしてなかった、って、
かっこいいなって思ったの。
野田 なんでだろうね。やっぱり議論好きほど嘘っぱちという
上の世代に対する反発がなかったからかな。
なんかそういうヘーゲルのストーリーは
高校生の時でなくなった。
糸井 反発、なかったはずだよね。
ちっちゃいときからそうじゃないと
あんな風にはなんないよね。
癖だからさ。で、頭で考えてったら、
衝突させてアウフヘーベンしようって
思うじゃない。それが、見事にない。
だから松尾スズキ君(大人計画)が
混じってるじゃないですか。
「あれ? あれって松尾スズキじゃない?」
って俺は思うわけよ。
見事って思うわけ。相変わらずだな、って。
でも客は「野田派」がいるんだよ、きっと。
いっぽうで「松尾派」がいて、「松尾がんばれ」だの
「野田負けろ」だのっていう対立構造で見てるから、
混じりっこないんだよ。
でも野田の中に松尾が混じってれば
対立構造なんかなくって、
そこにはドラマも何もなくって、
「松尾君お疲れさま」っていう方が面白いわけですよ。
それはね、野田君って、ちっちゃいときからこうだなって
思ってたんだ。俺もちょっとそういう人なんで。
野田 それコスモポリタンってこと?
糸井 あのね、平らなんだと思うんだ。
俺、よくマーケティングの話でするんだけど、
昔からある三角形のヒエラルキーが、ばたんって倒れて
横倒しになったっていう図で説明するんです。
社長は上にいたから会ったことない、っていうのが
昔からある三角形。
でも今のコンピュータ関係の会社の社長とかって、
スニーカー履いてうろうろしてる。
「社長これどうしますか?」って
昨日入ったやつが聞いてるよね。
「それはこうするんじゃないの」
って言ってるような状態だよね。
横では棲み分けはあって、
相変わらず三角形は三角形なんですよ。
月給も上かもしれない。
でも倒れちゃってるんで隣にいるんですよ。
野田君の演出の仕方もそうじゃない?
命令として演出なんてできっこないし、
わかんない芝居って芝居じゃない、と思ってるだろうから、
平らなところから指示出すよね。
映画監督も、ジム・ジャームッシュなんか
そうらしいんだけど、ギャラも何も全部一緒なんだって。
スタッフが。そこまで平らなんだって。
僕は噂でしか聞かないんだけど永瀬君が言ったんだけど、
とにかく三角形を倒すっていうことの例としてね。
野田 そっか。今、「棲み分け」って使ったでしょう、
そういうことかもしれないですね。
糸井 役割分けってことで?
野田 そうそう。20歳頃に今西錦司さんの著作を読んだときに、
それまで何故、自分がダーウィンが嫌いだったかって
ことが、わかった。
ダーウィンは立ち上がっている三角形だよね。
糸井 進化だからね。
野田 そう、だってこっちのほうが、
自分がずっと子供の時から思ってたものだよな、
っていうのをすごく感じた。
「棲み分け」って言葉、大好きで、
いまだに、やっぱり、「なるべくしてしか、ならない」
とか、そういう思いが自分の中に染みついてるからね。
糸井 おそらく、三角形って、三角形の頂点から点線を引いて
延長線を引くと、神がいるんだと思うんですよ。
一神教になるんですよね。
やっぱりダーウィンってその形なんだけど、
倒れた三角形の神って何っていうと、
漠然と覆ってる空みたいな、「覆ってる天」というか、
そっちになってくと思うんですよ。
だから神がどんな姿をしてようが構わない。
その、天との繋がりが一人一人とある、
っていう宗教になってって、
やっぱりそこには宗教がないはずはないんだけど、
その平らな上を覆ってる何かっていうのは
それこそ、新しい宇宙論の中に繋がる
面白さだと思うんだよね。
神を定点として持たざるを得なかった不自由さから
もうとっくに開放されてたんだよね、人は。
なのにいまだに、ものを考えるときに
北朝鮮の行進みたいに、延長線上に一神がいる、
っていう姿でしか捉えられないから、
開放されないんだっていうのを思うと
ここの稽古場の雰囲気は、きっとこの子はずっと
子供のころからこういう子だったって、
お父さんが稽古場見てたら解説するだろうなっていう。
それを見て喜んでる俺もその気分なんですよ。
その楽しさなんだろうな。
野田 糸井さんは、上から(稽古場の2階から、稽古の様子を)
見れたしね。今日。
糸井 天の場所から見てたんで。
それは客が気持ちいい理由だろうな。
それを、同じ芝居を蜷川幸雄さんがやるっていうのが
また面白いわけですよ。
野田 俺、蜷川さんの稽古初日、「作者本読み」っていうのに
行ったんですよ。うちではやんなかったんだけど。
やっぱね、違う面白さを感じたね。
ピシーッとしてるんだよ、雰囲気が。
ほら撮影の時にカメラマンから
「リラックスしてください」って言われれば言われるほど
リラックスできなくなるような、そういう感じが
蜷川さんのところにはあったな。
糸井 そこはまあ、別に書かない部分だし。
野田 でも、それはそれで。物の作り方なんだろうな。
もちろん正直に言うと違うと思うんだけど、俺は。
糸井 その世界が息苦しくなっちゃったから
違うことやろうとしてるっていう気分は、
野田君はもうずうっと出してるわけだから、
本当に1対1でデスマッチをやったら
パンチを入れざるを得ないんだけど、
でもよその試合を見に行く面白さってのは
もちろんあるわけだから、そこでもまた対立構造じゃなくて
共存させちゃうじゃないですか。
僕もそういうタイプだから、
「うん、それそれ面白いんじゃない。
 共存しないけどするんだよね」
っていう、「曖昧な私たち」みたいな。
野田 でも共存するんだよね。これが不思議と。
糸井 するんだよ。事務職がいなければ
仕事って成り立たないから、そこへの尊敬はあるわけで、
その間でまるまるアナーキーじゃないっていう
大人だからね、僕らも。
その面白さも味わいたいよね。
野田 あ、そうそう。そういう意味で言うと
昔から大人だったね、俺は。
糸井 あー。ジジイかね。
野田 ジジイかもしれない。
糸井 大人だからっていうことだろうね。
野田 悪口はよく言うけど。得意だけどね。
糸井 試合として結構いいジャブ出してれば、
試合が成り立つけど、倒すパンチ出してどうすんねん、
っていう、倒しちゃったら損じゃない?
ライオンがさ、ゼブラを全部食っちゃったら
食料無くなるんだよ。ゼブラがもし武器を手に入れて
ライオンを撲殺しまくったら
アフリカの生態は全部壊れるじゃないですか。
「多神教が天になる」っていう思想で言うと
「まんま」いなさい、なるようになりなさい、
っていうふうになるんじゃないかな。
ややこしい話だけどね。こういうこと言いたくて
ずっと生きてるわけでさ。
だってこないだ『半神』だってさ、
あれくっつけた衣装でしょう。
野田 そうだね。
糸井 あれ普通、芝居する人だったら、離して紐で繋ぐかも
しれない。離して対立の構造をもっと明確にするよね。
だけどできないってジレンマを、服を繋げることで
一気に表現しちゃうじゃない。
ああいうセンスが、僕は、しびれるんだよ。
一方でスポーツ見てるときの
「やれー! たたきのめせー!」
っていう面白さはわかってるから。
両方違うんだよね。限界芸術だからさ、両方ともさ。
そこでもまた対立しないっていうか。
うち、ホームページやってて面白いことがあってね、
マッキントッシュ使ってるんです、みんなが。
ウィンドウズなんかケッ、ていうやつらにとって、
うちがマッキントッシュだっていうことは、
大好きな話なんだよね。
だけど僕らは、平気でマイクロソフトの会長を呼んできて、
インタビューとかしちゃうの。
すると「裏切り者」って思うらしいんだよ。
そんな、裏切るもへったくれもないんだよ。
アップルもマイクロソフトも、話してみたら同じだしさ。
そこんところで無理矢理に組織を作ろうとする動き
っていうのは、両方を、狭くしちゃうな。
みんなOKなんだよ。
だって「永ちゃんとYMOが共存しないでしょう」って
いう人って、やっぱ変だと思うんだよ。
してるじゃん、現実は。
だから「超現実主義」って、こういうこというのかも
しれないな、もしかしたらな。
現実は共存してるじゃん、っていう強さは
「棲み分け」ですよね。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」って言葉が
あるじゃないですか。
あれがほとんどの表現をつまんなくしてて、
野田君がやれば何でも面白いってはずはないし、
野田を嫌いなやつがやるのは全部つまらないはずがないし。
それを作ってる本人がわかってるのに、
客がそこんところじゃないところに
ギュッと固まろうとしてるっていう、
ストッパーをかけてそっち行かないようにね、
っていうのが今の世の中の窒息状況だと思うんですよ。
淀川長治さんだけですよ。今までそれを突破できたのは。
「はーいみなさん」って言って。
つまんない映画については言わない。
野田 言わないね。マニュアルもつまんないけどな、最近。
糸井 あれもだからデジタルのね……
野田 雑誌とかもさ。
糸井 秀才化。「世界人民の秀才化を防げ」っていうのは
スローガンかもしれない。
「妨害せよ」かな。
野田 妨害してぇ。
糸井 してぇよな。
野田 してぇ。なんか雑誌の悪い見出しとか見ると
それだけで逆のことやってみたいね。
糸井 これはだから結局のところ組織票にならない
運動体ですよね。これ夢だよね。
こんなに一人で喋っちゃったのは稽古見てたからなんだよ。
俺おとなしくいたんだよ、さっきまで。

(つづく)

1999-11-30-TUE

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