野田 |
ここ(稽古場の2階)からだと
どのぐらい見えるんだろう? |
糸井 |
舞台の奥のほうだけ、3分の2くらいかな、見えてた。 |
野田 |
あー、そうかそうか。 |
糸井 |
見えないぶんだけ、特に言葉が立つね。ここにいると。 |
野田 |
ああ、逆にね。 |
糸井 |
だから「ファイト一発!」のあたり(銀粉蝶さんの
アドリブのこと)とか、あの辺の違いとかは
下で見てるより上で見てた方が言葉が立ったね。 |
野田 |
この前タイの『赤鬼』っていうのをタイ語に翻訳して、
タイの役者でやったんですよ。
2年前にやって何回か再演してるんだけど、
そのときって日本語はイヤホンガイドなんだよ。
俺の原作、ほんとの言葉はそれから聞こえる。
耳から入る。意味が。
そして舞台から聞こえる響きは、タイの響きだった。
俺は初めてそれを聞いたときに
すっごい不思議な体験をしたんだ。
最初慣れないんだけどね、
「あ、言葉って、意味と音ってこんなに離れてるんだ」
って。 |
糸井 |
離れてるね。 |
野田 |
普段こうやって喋ってると。言葉が「意味と音」だなんて
全くなんにもわかんないのに。
とにかくその芝居の最初、脳が慣れるのに10分くらい
かかる。意味は日本語で、音はタイ語で
脳に入ってくるのに。
そのうち10分位すると、みんな言ってんだけどね、
すんごい気持ちいい快感になってって。 |
糸井 |
ポリリズム、みたいになってくわけだ。 |
野田 |
そう、そうなんだ。それでね、まさにそうなの。
脳が2つある気がして来るんだね。
あれは面白い体験だった。 |
糸井 |
それを極端にしたやつが、八谷(はちや)君っていう
現代作家がいて、「視覚交換マシン」てのを作ってる。
たとえば野田君と僕がお互いに眼鏡をかけるんだ。
僕の頭に付けたカメラの映像が野田君の眼鏡に映る、
っていう形で、いつでも自分が見れてるんですよ。
視覚に。抱き合おうとしようが、握手しようとしようが、
鬼ごっこしようが、ものすごい混乱に陥るんだけど、
自己が薄くなっていく快感があってたまんないんだ。
ぞくぞくするよ。 |
野田 |
それってさ、ゆくゆく起きることかもね。 |
糸井 |
あるかもしれない。 |
野田 |
だってそれ、視覚をそうしさえすれば、
自己って変わってくからね。 |
糸井 |
変わる。 |
野田 |
視覚ってめちゃくちゃ強いからね。 |
|
糸井 |
俺、実験をするんだけど、
例えばポルノグラフィーで、
「女になるのができるだろうか」
って思いながら見るんだよ。
つまり極端なコミュニケーションが分化してるから
成り立つじゃないですか。
愛だとか、性だかいうものって。
それだけ分化したもので相手側に立てるかっていうのを
大脳でどこまでできるかっていうのを一人実験をする。
それおもしろいぞぉ。
どこまで女になれるかって。
で、ぎりぎりまで行けるよ。行ける。
つまり、喧嘩のシーンでもきっといいんだろうけど、
ボクシング見るときに最初に始めたんだけど、
日本人だから日本人を…… |
野田 |
応援するんじゃなくてね。 |
糸井 |
日本人に加担してると、正確なジャッジって、
俺らにはもうできないんだなって思うわけですよ。
そのときにできるだけ相手になろうって思いながら
見る練習をずっと積んでるんですよ。
相手のパンチが「おお効いてねぇ効いてねぇ」っていう
気分で見るんだけど、しょっちゅう揺り戻す力が、
「引力」があるわけ。
日本人であるアイデンティティの方に。
それをね、行ったり来たり行ったり来たりしながら
どうだろうな、8対2で日本人かな。
どうしてもだめなんだけど。
でもね、パンチみたいな肉体の言語は
結構、わかるんですよ。
それをいろんなことに押し進めていくと
簡単な会話だとかで相手の立場に立つだとか、
たぶんできるようになって、これは道徳的に言うと
「思いやり」なんだけど。
そこの視覚実験を単純化したのが八谷さんなんだ。
でも毎日あるんだよ、そういうシーンってね。
相手の立場に立ってね、って言われるんだよ。 |
野田 |
でも憎悪っていうのは日本人のアイデンティティを
越えるね。ほら、自分の嫌いな日本人選手って
負けちゃえって思うじゃない。オリンピックだったりさ、
すっごいもう昔から嫌いなのがいたりすると、
日本選手でも、「負けろ負けろ負けろ!」とか
言っちゃうもんね。 |
糸井 |
ああ、越えるね。 |
野田 |
そうすると周りからひどい目で見られるんだけど、
これは越えるな。それ以外はほんとなんでもないのに、
日本人を応援してる。ときどき考えるね、ふと、
なんで一所懸命日本人ばっかり応援してるんだろうって。 |
糸井 |
おかしいよね。国際試合を、例えばワールドシリーズを
観るようになって、俺らの視覚というか、
脳が変化してるんですよ。外人同士の試合じゃないですか。
それでも応援する。 |
野田 |
それ不思議なんだよね。イギリス住む前は
イギリスなんて全然応援してなかったのに
日本の次に何応援するかっていったら、
イギリス応援するもんね。 |
糸井 |
あ、そうだ。見事だね。 |
野田 |
見事だよ。こんなに見事なのかって思うぐらいで、
あらららら俺って何、こんなもん? みたいな。 |
糸井 |
そうだよね。 |
野田 |
やっぱ暮らしたところって自分の一部になってるのかな。
長く暮らしたとこって。 |
糸井 |
昔の友達だってそうだし。 |
野田 |
そうそう。昔からの友達だと、
芸術作品として観たとき駄目だと思っても、
なんか許してるんだよね。いいよ、大丈夫だよみたいな。 |
糸井 |
そこじゃないところに、
俺だけに見えてる場所があるんだよ、っていうようにね。 |
野田 |
うんうん。なんか許してるんだよね。 |
糸井 |
あれ両方大事な気分で、「気分」としか言いようが
ないんだ。どっちかになっちゃうと単なる批評家というか、
つまんない意味での批評家になっちゃう。
面白い批評って、やっぱり許してる部分について
自己批判ができてる批評じゃないですか。
それを観客がいずれ持てる時代が来たら、ユートピアだね。 |
野田 |
そうだね。そうだね(笑)。
そこで観るものって、でも面白いかな? |
糸井 |
面白い。いや、面白い。
だって俺それに今近いもん、立場。
何が一番面白いって、作ることが一番面白いわけで
観ることじゃないんですよ。
そのときに、作ってる本人の次に面白い立場になろう、
と思うと、どんどんクリエイティブになるんですよ。
観客席にいながら。
そこのスリルって客がゼロになってくし、
自分もゼロになってくっていう喜びなんだ。
僕は詩的に言うと、
「物体は無いのに速度だけがある世界」
っていう言い方をするんだけど、
そこにたどり着きたいんですよ。
その気分はね、きっと将来的には、今でもその……、
すごく現実的な言い方だけど、
日本の65%は情報産業なんですよ。
サービス業とかモノを作ってないわけです。そうすると
テープレコーダーを作ってる会社の人が演劇を見ている。
演劇を見ている人がテープレコーダーを愛用している。
作る立場に立てるフォーマットを持ってるわけ。
それが絶えず交歓してるわけだよ。
そうなったときに作り手同士が「世界同人雑誌」を
産んで、人類は消えるんだと思うんだよ。
これは楽しいと思う。
どうせ終わるんだからさ、
エンドレスだとしたらそんな嫌なことは無いと思うけど、
でも最後はさ、『あしたのジョー』じゃないけど
真っ白になるわけじゃない。
真っ白を経験するまでにはそこまで行った方が、
それを夢に描いた方が、俺は気分いいね。 |
野田 |
世界同人雑誌ね。 |
糸井 |
世界同人雑誌。全員が作り手であるような世界。
飯喰うときも、料理の批評家であり作り手であり、
喰う肉体でありっていうのがすごい勢いで交差してて、
そこでの脳の信号の交差が快感なんだよ。
そうなると思うんだよ。
もうだって俺スポーツなんかそれに近いと思うよ。
日本の選手が出てないサッカーを観てるサッカーファン
なんか感じてるはずですよね。
そいつが元サッカー選手だったらもっとだよね。
それが世界同人雑誌の始まりだよね。
対立が、シェアになってくっていうのかな。 |
野田 |
演劇家は、でも本来そういうことだからね。
向こうのやつ観るのが面白かったりするからね。 |
糸井 |
そういうとこが自分と違うんだよ。 |
野田 |
混じったり、あと同じ人間なのにバランスの取り方が
違うとか、リズムが違うんだとか、
指のしなやかさが違うんだとか、
そういうことを知るのはすごく面白いね。 |
糸井 |
おもしろいね。結局人の体癖に行くんだよね。
オリジナリティとか。
前に、俺、シカゴで暇な時間ができたときに
美術館に行ったら、歴史順に絵が並んでて、
宗教画しか無いような時代からずーっと並んでたのを見て。
そしたら、宗教画なんだけど、
肌色が肌色になった瞬間があるんだ。歴史的に。
今それを見ると度肝を抜かれるんですよ。
ただ同じようなシーンが並んでるんだけど、
急に肌の下に血が流れた瞬間があるんですよ。
あれを最初に描いたやつはすごい大冒険だったろうな。
神様の絵を描いてるわけだから、
血なんか流しちゃ駄目なのに、
肌の下に血を流したやつが、絵描きがいて、
そいつはその時代に果たして受け入れられたろうかって。 |
野田 |
肌の下に血を流してるの? |
糸井 |
つまり、肌色がね、人間じゃない肌色をしてるんだ。
それまでは。宗教画だから。神様だから。
それが急にね、色っぽいピンクになるんですよ。
あのピンクの絵の具を、色を作って描いたやつの
ドキドキ感っていうのが観客の俺に急に伝わったんですよ。
早い話がオリジナル以外は残らないなって
いうことなんだけど。
それをやった冒険があったおかげで、
神様の絵を描くことが人間に近づいたんですよ。
ああいう大冒険は彼の体癖から生まれたんだと思うんだよ。
「いやぁそんなこと言ったって
俺は人間の女の肌色が好きだ」
っていうような、描かざるを得ないような叫びが
あったんだと思う。でも「フリ」はしてるの。宗教画の。
そこの遵法闘争が面白くてね。
歴史順にただ見るっていう教科書みたいなやりかたって
意外に面白かったね。この中にも、きっとそういうさ、
俺しかやりたくないことっていうものがいっぱいある。
さっきの、閉じこめるシーンていうのは
他の人が同じようなことやってもそうならないんだよね。 |
野田 |
うん。ならないと思うな。 |
糸井 |
ならないんだよね。
音楽の強要するかのような使い方。
あれだってあんなに強要しちゃだめでしょって言う
バランスの人も大勢いるよね。 |
野田 |
あとまあ、モノの使い方とかね。 |
糸井 |
そうそう。モノもそう。
(つづく) |