糸井 |
野田君のキャラが、もう完全に出てるっていうことは、
マニュアル化するやつが出てくるってことだよね。
野田秀樹のマニュアル。
「君も野田秀樹になれる」。 |
野田 |
マニュアル化、あるよね。絶対ある。 |
糸井 |
「群衆シーンのダイナミズム」とかタイトルつけてさ。 |
野田 |
マニュアルを壊す楽しみはまた「癖」だからね。
読まれたと思ったらね。 |
糸井 |
治んなくていいやと思ってるところと、
気づくんだったら次のクイズが解かれちゃうんじゃないかと
思ってる気分と、両方あるよね。 |
野田 |
あるある。 |
糸井 |
あとわざと、単に、無手勝流になる瞬間とかね。 |
野田 |
あと、なんだろうな、クイズを繋げていく癖もあるんだな。
今日のは、転げてるところ、ゆっくり回転していく場面、
いい思いつきだな、とか思ってやってるわけ。
それってどうかな? ってとこから始まる。 |
糸井 |
あの回転の遅さは面白いね。 |
野田 |
それを見ながら、次のクイズをもう考えてる。
これは結局、落ちていくことをクーデターとして
表現したわけだから、クーデターが失敗したときは、
クーデターを起こした集団が、そこの階段、
本番ではこの稽古場の階段よりも大きくなるんだけれど、
そこから全員が集団で、逆に、あの動きで落ちていく。
集団で落ちていくっていう。そうすると謎解きがもう一つ。 |
糸井 |
ああ、逆回転ね。 |
野田 |
それはさっき稽古場で思いついてたんだけど。 |
糸井 |
クイズのバージョンアップが始まるわけだね。 |
野田 |
バージョンアップだよね。 |
糸井 |
バージョンアップは、日々あるんだよね。 |
野田 |
そういうのって、さっきも話したけど、
現場って偶然性のすごい強いものだからね。
それが俺この仕事の大好きなところなんだけどな。 |
糸井 |
ある意味では宗教家みたいなところがあって、
その偶然性を信じるっていうのは信仰ですよね。
それのないものが世の中を埋め尽くして、
つまり「官僚社会」対「信仰社会」みたいな
ところがあって、そういうことを観に来るんだろうな、
俺ら。生き物を観に来るというか。 |
野田 |
僕が稽古場に来る理由というのは、
やっぱり「なんとかなる」っていう、楽観的な宗教だよね。 |
糸井 |
ああ、いいなぁ。 |
野田 |
稽古場に行きゃなんとかなる、なんか思いつく。
机の上でずっと思いついてると、
詰まっちゃうことがあるじゃないですか。
「ま、いいや。稽古場に行けばなんとかなるだろう」
っていうのが結構……。 |
|
糸井 |
それさ、さっきのその女側になるポルノじゃないけど、
役者側に立ってもう一回ひっくり返したクイズを
今思いついたんだけど。
役者さんが出番の無いときの真剣さを、俺、ずっと観てて、
愉快というか、かっこいいなとは思うんだよ。
スポーツみたいだな、って。
だけどあんなに真剣に何か意図を再現しようとしてる
役者さんたちっていうのは、
そのままでいいんだろうか、っていう気持ちにも
同時になるんですよね。
例えば僕の場所から天海祐希さんがよく見えてて、
ものすごい真剣に見てて、
楽しんでもいるし見てもいる。
だけどここから出すクイズの方法は無いんだろうか。
つまり役者さんていうのは、
野田一神教のなかで役者をしないと
芝居が成り立って行かないのはよくわかるんだけど、
その中で「壊す」というか、クイズ内クイズを
出してあげないと、同人雑誌としては
本当は成り立たたなくなるんじゃないか。
すると役者はこれからどう生きてくんだろう、っていう。 |
野田 |
今日の稽古場なんかはそんな感じだけど、
松尾スズキとか古田新太とかっていうタイプは
クイズ内クイズだよね。 |
糸井 |
やってる? |
野田 |
やってる。 |
糸井 |
それは書く側の人が役者やってるからだろうなぁ。 |
野田 |
松尾なんか特にそうだね。 |
糸井 |
やっぱりそうなんだ。あと野田君、
自分で出るときもそうじゃない。 |
野田 |
そう、自分で出るときもそうだね。壊すとか。 |
糸井 |
変えちゃったー、って、あと受けてくれる偶然性を
待ってるじゃない。
そのときにマニュアルどおりの人がいると
「おいおいおい、もう一個クイズあったんだよ、
もったいないじゃないか」
って気分になるじゃない。ねぇ? その楽しさは……、 |
野田 |
それはほんとに、
感じることができる人とできない人とがいる。
もうそれも癖なんじゃない? |
糸井 |
感じることができない人がいた方が
逆に骨格がしっかりする。 |
野田 |
しますよね。でも、全部そうなるとね……、 |
糸井 |
困るよね。 |
野田 |
困るしね。そのバランスって、大きいよね。
俺と松尾のシーンなんか、今、まとまらないまとまらない。 |
糸井 |
それ見たかったなぁ。 |
野田 |
糸井さんが見学に来る前にやってた。 |
糸井 |
そうかぁ。 |
野田 |
まとまらない、まとまらない。 |
糸井 |
俺らはなんかそういうの
大笑いしながら見ちゃうんだろうけど。 |
野田 |
稽古場も喜んで見てんだけど、やっぱ現実には
本番の舞台に向けてっていうと、どっかでやっぱり……。
でも松尾も俺もお互いが譲っているつもりでいるんだよ。
ここが作家のやっかいなとこだね。 |
糸井 |
そっか。だからもっとひねくれるわけだよね。
譲らないなら譲らないでいいんだけどね。
対立になるからね。
楽しそうだな、演劇。 |
野田 |
演劇は楽しいかもしんない。 |
糸井 |
楽しそうだなぁ。 |
野田 |
でも楽しい時期と、ちょっとこう自分の中で
窮屈な時期っていうのが、この何十年でもあって、
やっぱ今ってすごく楽しい時期だね。
劇団の終わりのころってやっぱちょっと窮屈だったな。 |
糸井 |
劇団っていう形で固定しなきゃなんない、
っていうのは……。 |
野田 |
そうそう。最後のほうはなんて言うかなぁ、
稽古場に行くことがそんなにワクワクしなくなってきた
ときに、やっぱり自分の中でやばいなぁって。
このまんま、そういう例をあげていいかわからないけど、
新劇の劇団みたいな、組織的には大きくなって、
そのころ遊民社なんかも全盛だったから、
まだまだ稼げるとは思ったんだけど、
そういうふうになっていっちゃうと
いつかこっちがしっぺ返し喰らうもんね。 |
糸井 |
つまり三角形が確立しちゃうからね。
価値観もたぶん稼げる価値観ていうのは
頂点に立ちやすいんで、
特にマネージメントの方がちゃんとやればやるほど
効率はよくなるし、ああ便利になったっていう
気分はあるけど、幸せが消えるわけだよね。 |
野田 |
そうだね。それはね。それで話、全然違うんだけど、
さっきの三角形の横倒しと縦の話するとね、
俺、クリムトのあの時代のウイーンの世紀末美術の
評論ていうか、簡単なの書こうと思ったときに、
四畳半に横にこう寝てたわけ。
それでね、そいで、なんでこうやって
考えてると楽ちんなんだろう思ったときに、
人間て立体になるのが大変なんだ。
つまり眠ってたり死者であることは楽なのに。
そんときにクリムトの絵とかってさ、ていうか、
西洋人の考え方っていうのは、美術を立体化、
三次元にしようとした。平面なのに。
横だったものを立てようとしたから、
だからそれが西洋の、要するに「思考」なんだよね。
そこにあいつら窮屈を感じて
すごく不幸が始まっちゃって。近代の。 |
糸井 |
直立二足歩行の呪縛。 |
野田 |
そうなんだよ。
それをクリムトなんかとか、
要するに日本の浮世絵とかに影響を受けたやつってのは、
浮世絵とかを見たときに、あっ絵は平らだ、
ってことにたぶん気が付いた。
ゴッホなんかにしても。
だから逆に全然違うことを始めた、
その話を思い出した。 |
糸井 |
見事にそうだ。 |
野田 |
本当にそれはもうさっき糸井さんが言ったみたいに、
神様の問題も全部つながってるだろうし。
でも本当に今そこのところで止まってますよね。
棲み分け以上のことってそんなにもう、
なくていいんだよね。 |