江戸型染作家の小倉さんの作品のモチーフが
江戸から集められてくるものがほとんどです。
彼女の作品の、もう一歩深い部分をのぞくなら、
江戸のことを聞かないわけにはいかないでしょう!
しかも小倉さんは、神田神保町生まれの江戸っ子。
小倉さん、江戸っ子の感覚って、どんなものですか?
「江戸っ子」という言葉は、
何だか妙に耳に心地のいい響きを持っています。
狭義では、かつて江戸と呼ばれた地域、
神田、日本橋、京橋、本郷、下谷、
上野、浅草、本所、深川、両国、向島などに
三代さかのぼって住んでいる人を指す呼称、というのが、
一般的に知られていることではないでしょうか。
この定義からいくと、
神田神保町に生まれて育った小倉さんは、
ばっちり江戸っ子ということになりますが、
本人にそれを言うと少し照れ臭そうにします。
「いやぁ。
江戸っ子って、自分で言うのはねぇ。
それこそ、神田明神の氏子さんたちに言わせたら、
“神田の外れで何が江戸っ子だい”って
言われかねないですからねぇ。
ちなみに、うちの父は、
“こいつは、もう駄目です。
母親が埼玉出身ですから”
って言ってたことありましたよ(笑)。
ひどいですよね、自分が選んだのに!」
そうは言いつつも、
小倉さんに染み付いた江戸の匂いというものは、
お話ししていると、強く感じる瞬間があります。
実家は神田に三代続く下駄屋。
大橋歩さんも、小倉さんの
蕎麦の食べっぷりには驚いたといいます。
「そんな‥‥そんなかなぁ?!
しずかに、食べてたんですけど」
お祭りが大好きで、
祭り囃子が聞こえてくると、
居ても立ってもいられなくなる。
ディスコ的なリズム感はないのに、
お神輿のステップだけは、何故か踏める。
江戸型染の作家の教養として、というよりも、
強く個人的な趣向として、
江戸という文化に
抗えない興味を持っているように見えます。
ちなみに、アトリエの本棚には、
落語の本だったり、浮世絵画集だったり、
ずらり江戸関連の資料が並んでいました。
小倉さん、もしかして、
たましいが江戸にあるんじゃないですか?
そう訊ねましたら、すらすらとこんなことを。
「私は神田の居酒屋でお運びかなんかをしていて、
そこには山東京伝(絵師・戯作者)が来て、
歌川国芳(絵師)が来て、
私がどちらかに惚れていてね」
京伝ですか、国芳ですか‥‥。
「『おみっちゃん、太ったね」とか
国芳にからかわれて
『芳さんの意地悪ー』
とか言ってるのを京伝先生が笑って見ている。
なんと幸せな‥‥」
おみっちゃん、って。
「そこに北斎先生がふらりと現れ、
3人でなにやら相談して、
どこかへ行ってしまうわけですよ。
『あ〜、行っちゃった。ちぇっ』なんて」
ちぇっ、って‥‥
小倉さん、妄想が止まらない‥‥
「ホントは、辰巳芸者(深川の芸者のこと)として
英泉(渓斎英泉:美人絵の絵師)にも
逢いたかった‥‥
でもニンじゃない(柄じゃない)ので
あきらめてます‥‥」
や、そもそも、それ、あきらめる以前の問題じゃ?!
でも、小倉さんの江戸像って、もしかして‥‥
「そう、私の頭の中に描かれる江戸像というのは、
やっぱり“男に惚れる”というところから
広がるイメージなのかも‥‥アハハハハ!」
やっぱり、江戸に生きてるんですね。
「前は、無口な不破数右衛門(赤穂浪士のひとり)という
浪人に惚れるイメージもあったんだけど、
でも、やっぱり浪人は駄目、野暮天だから。
だったら町人の方が楽しい」
小倉さん、切りのない妄想はそのくらいにして、ですね、
そんな小倉さんが「江戸の師匠」と呼ぶ人は、
漫画家で江戸風俗研究家の故・杉浦日向子さん。
杉浦さんの江戸感覚には、
小倉さんも学ぶことが多いといいます。
「杉浦さんの描かれた絵は、
すばらしいんです。
あの、江戸の、ウェットな感覚を表現するというのは、
なかなかできない。
江戸時代の江戸っ子たちが持っていた感覚って、
カラッとした諦めじゃなくて、
ウェットな諦めだったんじゃないのかな、
と思うんです。
楽しいことだけじゃないのが当たり前で、
好い事も悪い事もあるさ、
というようなね」
なるほど、ウェットなあきらめの感覚が、江戸の感覚。
小倉さんの頭の中には、
江戸についてのイメージの宇宙が
果てしなく広がっているのでしょう。
そして、その江戸像からピックアップしたモチーフを
自らの江戸型染の作品に用いているわけです。
でも、彼女の場合は、
そういった江戸のイメージを、
書物だけから得ているわけではない。
生まれたのが神田、家業は下駄屋、
生粋の江戸っ子が家族にもご近所さんにも
当たり前にいたという、
そういう環境で育まれた皮膚感覚が
彼女の中には宿っているようなのです。
「子供の頃は、
江戸っぽいものは嫌だったんですよ?
家の商売もそうだし、
玄関が土間だったりするのが、本当に嫌で!
もっと、普通のサラリーマンの家庭に
憧れてたんです」(小倉さん)
でも、そんな小倉さんも、
江戸っ子気質がとても強かった
おじいさんの思い出話になると、
いっそう、威勢が良くなります。
「ウチの祖父はね、
下駄屋の店番をさせると、
売り上げを座布団の下に隠しちゃうの。
で、日が暮れる頃になると
お金を持っていなくなっちゃう。
で、靖国通りの真ん中で酔っ払って寝てるのを
おまわりさんが連れて帰ってきたりするの!
ときには1ヶ月間位、どこかに消えてしまって、
ある日、温泉旅館から電話がかかってきて、
“お金持ってこい!”
ひどいでしょう?! ほんとに!(笑)」
そ、それが江戸っ子ですか?
「‥‥なんて言ったら駄目よね。
ただの、大酒飲みの困り者のはなしです。
そんな祖父だから、父が堅物で、
ちっとも江戸っ子っぽくないの。
よく衝突して、親子ゲンカして、そのたびに、
近所に住んでる叔父を仲裁に呼んだりね」
そ、そんな、ドラマみたいな。
それ、イヤでした?
「どっちかっていうと‥‥楽しかった!
おい、ミツコ、おじさん呼んどいで!
って言われると、血が騒ぐのよ」
そんなふうにおじいさんの話をする小倉さんは、
何とも嬉しそうな表情を浮かべます。
おじいさんのこと、大好きだったんですねー。
「とんでもない! 口が裂けても、
大好きだなんて言いませんよー!」
そ、そうですか? むずかしいなぁ。
そのおじいさんが店番をしていたという下駄屋で、
じつは、今もときどき
小倉さんが店番をするそうです。
そこには、自らが江戸型染で染めた
鼻緒がついた下駄も並べてあります。
この神田神保町の家と
茨城のアトリエを往復する、
それが小倉さんのいまの生活です。
ちなみに、隠居願望のあるという小倉さんに、
「どこに隠居したいんですか?」
と問うと、返ってきた答えは、「神保町」。
えっ、それ、実家じゃないですか。
で、隠居して何をしたいんですか?
の問いに、返ってくる答えは「江戸研究」でした。
「研究」と言っても、どうやら、
落語三昧、歌舞伎三昧、古本屋三昧、
そして三味線のお稽古三昧に、俳句、
もちろん呑み屋三昧、ということらしいんですが。
うーん、やはり、
この江戸型染の作家、小倉充子さんって、
相当に江戸を愛しているようです。
次回は最終回、
小倉さんの個展について、お聞きします。
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