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糸井 |
その「千円札裁判」をつうじて、
多少でも「芸術的な視点」が豊かになった、
みたいなことって、ありましたか?
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赤瀬川 |
うーん‥‥そうですねぇ。
言葉の問題、技術面は鍛えられましたかね。
文章を書く必要に迫られたので。
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糸井 |
ああ、そっちですか。
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赤瀬川 |
好きで書いたわけじゃなかったんだけど‥‥
「あんなバカなことをして」だとか
「売名行為じゃないか」とか、
そんな声が、もう、いっぱい出てきたから。
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糸井 |
そうだったんですか。
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赤瀬川 |
もちろん、友だちや仲間は違いますよ。
でも、オーソドックスな絵画の世界の人々は
そんな反応だったんです。
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糸井 |
はー‥‥。
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赤瀬川 |
そういった批判に対して、
どう答えるかが、いちばん難しかったですね。
やっぱり、
何か言わないといけないなと思ってたので。
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糸井 |
うん、うん。
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赤瀬川 |
それで「言葉」を覚えたし、
言葉の「裏表」みたいなものも、ずいぶん。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
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赤瀬川 |
でも、裁判じたいは、じつにおもしろかった。
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糸井 |
あ、そうですか。
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赤瀬川 |
つまり「現代芸術は、ここまで来てるんだ」ということを
まず主張しないと、
「印刷物も芸術である」と認めてもらえないでしょう。
だから、たとえば弁護側の証拠物件として
高松次郎の「紐」だとか、
中西夏之の「洗濯バサミ」だとか、
そういうのを出してきたり‥‥。
裁判所が、美術館みたいになっちゃって。
※高松次郎
1960年代に、赤瀬川さん、中西夏之さんと
「ハイレッド・センター」という
前衛芸術グループを結成していた芸術家。
絵画・彫刻・写真‥‥などさまざまな作品を残したが
なかに「紐」を用いた一連のシリーズがある。 |
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糸井 |
へぇー‥‥。
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赤瀬川 |
その「紐」も、そのまま証拠物件としようとすると、
「いや、この状態では、まだ芸術ではない」
「紐は、こうやってはじめて芸術になるんだ」って。
‥‥まあ、実際、そうなんだけど、
そんなことを、ことさらに主張したりしてね。
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糸井 |
記録映像があったら、おもしろいでしょうね。
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赤瀬川 |
まぁ、法廷だから、映像は撮れないんだけど‥‥。
川仁(宏・思想家、アーティスト)さんが
音声を「隠し録り」してたみたいだよね(笑)。
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糸井 |
え、そうなんですか。
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赤瀬川 |
あの人がまた好きでね‥‥。
当時、まだオープンリールの時代だと思うんだけど、
ほんとのスパイが使うような、
ワイヤーコードのマイクを借りてきて。
それを、洋服の下に仕込んで(笑)。
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糸井 |
すごいですね(笑)。
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赤瀬川 |
あと、それにね、
「紐っていうのは、ここを、こう伸ばさないと
芸術にならないから」
みたいな議論になってくると、
弁護士とか裁判長には、わからないでしょう?
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糸井 |
ええ、ええ。
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赤瀬川 |
この証拠である「紐」を
完全なる「芸術」の状態で提出するには
どうすればいいか。
ああでもない、こうでもないになって、
ついに弁護人が
「傍聴人のなかに、実際の芸術家のかたが‥‥」とか。
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糸井 |
つまり「芸術のおわかりになるかたは」と。
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赤瀬川 |
そう、そう。
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糸井 |
飛行機にお乗りのお客さまのなかに‥‥みたいな(笑)。
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赤瀬川 |
「手伝ってもらってもいいでしょうか」って。
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糸井 |
おもしろいなぁ(笑)。
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赤瀬川 |
世間の仲間うちでは、ぼくのつくった千円札を
踏んじゃったり、破いちゃったり、
もう、ぞんざいに扱ってるわけです。
だけど法廷では、まずは「芸術である」という存在。
結審するまでは、その位置は絶対なんです。
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糸井 |
仮構世界なわけだ。
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赤瀬川 |
そうそう、そんなのが、いちいちおもしろくて。
また、こちらの弁護士さんも、いいんですよ。
正義感のかたまりのような人だったから、
ときどき検察側の質問に
本当に腹が立ったときなんか、
「バカ野郎!」って言っちゃうらしい。
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糸井 |
すごいですね。
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赤瀬川 |
でも、そのすぐあとに
「‥‥と、言いたくなるような気分です」と
続けるんです。
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糸井 |
ああ、なるほど(笑)。
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赤瀬川 |
そうするとね、書類上の記録だと
「バカ野郎と言いたくなるような気分です」となって、
「バカ野郎!」とは
だんじて、言ってないことになるんだな(笑)。
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糸井 |
結局、法廷も「言葉」でできてるってことですね。
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赤瀬川 |
そうだよね。
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糸井 |
そこで、赤瀬川さんも、言葉を鍛えた、と。
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赤瀬川 |
そう。
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糸井 |
はー‥‥。聞けば聞くほど、おもしろい。
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赤瀬川 |
ふふふ。
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糸井 |
つまり、いまのお話をお聞きしていると
その「千円札裁判」の法廷って
「社会」から「芸術」に対する「みせしめの場」に
一見、見えるんだけど‥‥。
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赤瀬川 |
うん。
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糸井 |
裏を返して見ると、「芸術」から「社会」に対する
「プレゼンテーションの場」ですよね、そこ。
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赤瀬川 |
うん‥‥考えてみればねぇ。
<つづきます!> |