MONEY IS… vol.01 貧乏と芸術の間の千円札。 赤瀬川原平さんの、とても正直な「お金」の話。
糸井 それじゃあ、芸術作品の「題材」という以外に
赤瀬川さんにとって
「お金」って、どんなもの‥‥でしょうか?
赤瀬川 うーん‥‥貧乏なころは、ひたすら欲しかった。
生きていくのに必要だったっていう、
それ以上には、とくに考えられなかったですね。
糸井 なるほど。
赤瀬川 だからこそ、切実にお金が「ない」からこそ、
とにかく、
食えるところまで、はい上がりたかったんだけど。
糸井 たとえば、若い男の子に、
すっごーくキレイなお姉さんが近づいてきて
「寄ってかない?」って囁いたら
それはもう、寄ってっちゃうと思うんですよ。
赤瀬川 寄ってっちゃうねぇ。
糸井 お金にも、そういうところ、あるじゃないですか。
赤瀬川 うーん‥‥ありますね。
糸井 赤瀬川さんは、そのへん、どうですか?
赤瀬川 あの、大むかしの話なんですけど。
糸井 ええ。
赤瀬川 知り合いが、パチンコ屋に勤めたんですよ。
糸井 はい。
赤瀬川 で、玉がなくなったら、
いくらでも補充してくれるんです。

まだ貧乏なころだったし、夢のようですよ。
なくなったら、ザザーッと出してくれるんだから。
糸井 ええ、ええ。
赤瀬川 景品にも換えてもらえるし、もう嬉しいわけです。

で、いちばん最初は先輩と行って、
次に自分ひとりで行って、やってたんだけど‥‥。
糸井 ええ。
赤瀬川 なんだか、だんだんつまんなくなってきて、
やめちゃった。
糸井 ああー‥‥。
赤瀬川 そのときに、なんとなくわかったのはね、
「お金」もまた際限なく出てきたら、おもしろくないし、
「そんなには、要らない」っていうこと。
糸井 似たようなことは、ぼくも思ったことがあります。

だから「お金じゃないんだよ!」って
簡単に言う人には
「そうかなぁ」って反発しちゃうんだけど、
あんがい、自分でも思ってたりするんですよね。
「お金じゃないよなぁ」って。
赤瀬川 たとえ貧乏であってもね。
糸井 『通販生活』という雑誌を出している
カタログハウスという会社の
斎藤(駿)さんという社長と
以前から、仲良くさせていただいてるんですね。
赤瀬川 ええ、はい。
糸井 斎藤さんは「お金」を目の前にたくさん積まれた人が
「変わっていく」さまを、
もう、何度も、見てきていると思ったんですよ。
赤瀬川 うん。
糸井 ぼくも「そういう人」かもしれないじゃないですか。
自分じゃわからないですけどね。
赤瀬川 うん、うん。
糸井 で、「どうして人は、変わっちゃうんでしょうね」
みたいなことを話していたら、
「いや、変わったように見えてるだけで、
 そういう人は、
 最初からそういう人だったんですよ」って。
赤瀬川 ああ‥‥なるほどね。
糸井 「じゃあ、ぼくは、どうですか?」って聞いたら
「あ、糸井さんは、ぜんぜん大丈夫」だって。

たしかに、そういうことで「変わった」ってことは
これまでなかったなとも思うし、
「だったら、そのこと心配するのやめようかな」と
思ったんです、そのとき。
赤瀬川 そうですか。
糸井 さっきの「パチンコ屋の話」の場合、
いくらでもお金がほしい状態なわけですよね、
当時の赤瀬川さんは。
赤瀬川 うん。
糸井 なのに、やめてるんですよね。
赤瀬川 そうなんです。
糸井 そう思うと「人間なんて、そんなもんじゃない!」って、
ことさらに人間を悪く言うのは、間違ってますね。
赤瀬川 そうですねぇ‥‥たしかに。
糸井 じゃあ、赤瀬川さん、
お金のことを「にくらしい」と思ってた時代から、
その後、
だんだん「食えるように」なっていくわけですが、
そうなると‥‥どうなりましたか?
赤瀬川 まず「うれしさ」が、率直にありますよね。
糸井 いやあ、いいですなぁ。
赤瀬川 中華料理屋に入って、
メニューの値段を見ないで注文できる、そのうれしさ。

まぁ、そのことに気づいて、
「ああ、ホッとしたなぁ」って感じたのは、
だいぶ年を取ってからですけどね。
糸井 そうですか‥‥赤瀬川さんにとっての「お金」って
にくらしいものであり、
同時にすっごく欲しいものであり、
芸術の題材であり‥‥。

結局、どんなものだったんでしょうね。
赤瀬川 そうねぇ‥‥。

前に、ぼくね、お金のことで
大人の絵本を書いたんです。
『ふしぎなお金』っていう。
糸井 ほう。
赤瀬川 その絵本に書いてあるんですけど、
ぼく、お金って「血」みたいに感じるんです。
糸井 よく言われる「経済の血液」という意味とは
また違うニュアンスですよね。
赤瀬川 うん、血が出たら、
そこ出ないように押さえるでしょ。

それって、お金も同じじゃないですか。
落としたらすぐ、拾ってポケットにしまう。
見えないところに、サッと。
糸井 なるほど、うん、うん。
赤瀬川 それと「結局、血とは手段だ」ということ。
「目的」じゃなくて。
糸井 ああ、それは「ドラッカー」と同じですね‥‥。

ピーター・ドラッカーという人も
「利益とは、目的ではなく、手段である」
というふうに言ったんですよ。
赤瀬川 ああ、そうみたいですよね。

だから「お金」は、自分の財布の中にある間は
自分のものだけど、出たら別の人のもの。
血も、抜いて輸血したりしますよね。

とにかく、ぼくたち人間が
生きたり、考えたり、運動したりするための
「手段」なんだよね、「血」って。
糸井 「お金」も「血」も、流通をつかさどってる。
赤瀬川 そうそう、その流通がうまくいってないと
ぼくの「鼻づまり」だとか
身体のどこかに不調が起こってくるわけで。
糸井 「お金」も「血」も「受け継ぐもの」だし。
赤瀬川 ああ‥‥そうですね。
糸井 「血統」って「財産」のことでもありますね。
赤瀬川 うん、うん。
糸井 ああ、なるほど‥‥おもしろいなぁ。
「お金は血なり」かぁ。
赤瀬川 そんなふうに、思ってはいるんですけどね。
糸井 いやぁ、今日は、すごくおもしろかったです。
赤瀬川 ああ、そうですか。
糸井 ありがとうございました。
赤瀬川 いやぁ、こちらこそ。
糸井 「ほぼ日」12周年記念の「お金」の特集、
今日の赤瀬川さんのお話で、
すごくいいスタートを切れると思います。
赤瀬川 そうですか。それは、よかった。
<終わります>


2010-06-04-FRI