ルディー |
報酬系って、もともとは、
たとえば、好きな食べ物を食べてるときに、
すごく活性化してるんですが、
それがだんだん動機づけになるんです。
好きな食べ物を手に入れるために
一所懸命働けと促す役目を果たすようになるんです。
どちらかっていうと、
手に入れられるかもと期待するときのほうが、
活性化するようになる。
お金もおなじで、
手に入れられるぞ、って
期待するときの方が活性化するんですね。
それはつまりなぜ人間ってこんなに
金に関して強欲になるのかっていう話で、
100万円を手に入れられるかもしれない、
っていう期待をしてるとき、
報酬系の活性度がすごく高いんですね。
でも、実際に手に入っちゃうと、
それほどでもないんですよ。
活性度が下がるんです。 |
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糸井 |
うん。 |
ルディー |
つまり、人間にしてみると、
期待をしてるときがいちばん楽しい。
さきほど糸井さんがおっしゃった
「本」もちょっとそういうところありますよね。 |
糸井 |
あります、あります。 |
ルディー |
期待してるときのほうが、いちばん楽しくって、
実際に手に入れちゃったら、
「ああ、手に入った。そのうち読もう」
っていうのとおなじで、
お金も、「ああ手に入った」って思うと、
もう、このスリル感とか、
わくわく感がなくなっちゃうんで、
もっとお金が欲しいって思っちゃうんですよね。 |
糸井 |
ちょうど、ニンフォマニアみたいなものですよね。
満足ができないってことを繰り返していく。 |
ルディー |
食べる物とかなんかは、
そうは言っても限度はあって
お腹壊しちゃったりするし。 |
糸井 |
これ以上食べられない。 |
ルディー |
メタボになっちゃったりするので(笑)。
でもお金は限度がないんですよ。
特にいま、株券にしても何にしても。 |
糸井 |
数字だけですもん。 |
ルディー |
そう、数字だけなんです。 |
糸井 |
昔の人が、お金をくれるときに、
「あって困るもんじゃないし、
荷物になるわけじゃないし」
って言い方をしてたけれど、
あれは名セリフですよね。 |
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ルディー |
ほんとです。はい。 |
糸井 |
「あって困るもんじゃないし」
っていうのはねぇ、
あれは、子ども心に、そうだなぁ、
と思いましたもんね。
みんなが納得できるセリフですよね。
その言葉も肥大化しますよね。 |
ルディー |
お金に関することわざって
だいたいあってますね。 |
糸井 |
見事ですね。
お金は寂しがり屋だっていうのもそうですしね。
あるところに集まるっていう。
その通りだと思う。
で、それで、なんだろう、
ぼくはお金について考えることをやめた、
って覚えがあったんですよ。 |
ルディー |
はい。 |
糸井 |
途中までは、わかんなかったんです。
お金を考えることそのものを、
考えないようにしてる、
ってことにさえ、無意識だった。
お金についてまじめに考えると、
丸裸になっちゃうような気がしたんですね。 |
ルディー |
はい。 |
糸井 |
それがなんだか怖くて。
自分っていうのは、
どっかでわかんないところがないと、
「たかが知れた自分」が見えてきちゃうのが、
いやだったんです。
だからお金を考えないで、ずーっときた。
で、見栄を張って、
気っ風がいいだの、使いっぷりがいいだの、
そう言われることがいちばんうれしくて、
まぁ、男の子の、
中学生が大きくなった形ですよね。
で、それだと、やっぱり、どっかで、
ウソついたまま行っちゃうぞ、ってなって、
お金について考えるようになったら、
ああー、そうか、みんな、
とんでもない幻想の中に生きてるな、
お金っていうことに対して、
コンプレックスが抜けないままに死んじゃう人が
ほとんどだなと思いました。
それで、ちゃんと考えると
楽になるんだろうなぁ、
って、考えはじめたんです。 |
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ルディー |
お金の額に関係なく、お金を使う人と、
使われる人っているじゃないですか。 |
糸井 |
ああー。 |
ルディー |
お金に使われちゃう人。
周りの人を見ても、
お金持ちかどうかは関係なく、
お金に使われちゃいけないんじゃないか、
お金は、使わなくちゃいけないと思うんです。
そういった意味もあるから、
ほんとにお金って哲学を持たないと。
お金に溺れるって言い方する人もいますけど、
お金のほうが、なんか雇い主で
使用人みたいになっちゃうこともある。 |
糸井 |
うんうん。
そうですね。
お金持ちかどうか、関係なくそうですよね。 |
ルディー |
はい。 |
糸井 |
お金持ちじゃない人のほうが、
その機会には会いやすいですよね。
なくて困るっていうのは、
生存の不安までスイッチが入るんでしょうね。
きっとね。
やっぱり、ないときの、漠然とした、
自分が社会に受け入れられてないんじゃないか、
っていう、被害妄想みたいなものっていうのは、
それこそ、ネガティブがスパイラルを描いて
誰かがオレを不遇にしてるんじゃないか、みたいな。
そう考えると、人を恨んでばっかりになっちゃうから、
ますます、手にいれるチャンスがなくなる。
これ、たぶん、肉の奪い合いでもきっと、
どうせオレには分け前がこないんだ
とか思ってたら、ずっとそうなりますよね。 |
ルディー |
人間が、150人ぐらいのグループで
群を作って暮らしてたときに、
公正感、公平感、民主主義が生まれたのは、
狩りでとってきたお肉の分け前に関係しますね。
みんなだいたい公平に分けるように、
っていう考え方になっていかないと、
妬みの感情が出てくるし、
最悪、村八分になっちゃうし。
つい最近、日本の
大学の教授の方が発表したんですけど、
世界各国のいろんなデータを調べると、
格差社会がひろがり、
お金持ちとそうでない人が増えれば増えるほど、
高額所得者の死亡率も高くなるっていうんですよ。
それは、やっぱり、ストレスを感じるからだって。
金持ちって、特にこういうふうに不況になってくると、
お金を使うことに罪悪感も感じるし、
そういったことが慢性ストレスになるし、
それからもちろん
妬みの気持ちが出てくると犯罪も増えるから、
それもストレスになってる。
だから、格差社会になってる社会ほど、
高額所得者の死亡率が高い、
という発表がありました。 |
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糸井 |
ほう。 |
ルディー |
その通りだな、と。
だから、やっぱり、ある程度、
公平な社会になっていくほうが、
結局、お金持ちにとってもいい。
報酬系って、
お金にももちろん活性化するんですけど、
社会的名誉とかにも関係するんです。
特にアメリカとか、ヨーロッパだと、
格差社会はもともと前からあるんで、
お金持ちになるほど、分けあって、
上になればなるほど、
ビル・ゲイツなんかそうですけど、
いろいろと寄付したり。
それはもうすごい正しい方向で、
やっぱり、ある程度行っちゃったら、
次はそちらのほうに行く。 |
糸井 |
贈与って形を取りますね。 |
ルディー |
はい。
そういうことを派手にやること自体が
報酬系を活性化するわけだから、
お金持ちは慈善行為をするときは、
みんなに知ってもらいたいわけですよ。
でも、日本でそれを
うまく受け入れないところあるじゃないですか。
税金も控除にならないし、
なんか、名前を売るために、売名行為で
寄付したとかって、なっちゃって、
だから寄付しても余り表に出せない。
それじゃ、報酬系が活性化しないんですよね。 |
糸井 |
うんうん。 |
ルディー |
だから、IT長者なんか出たときに、
ああいう人たちに、
なるべくお金を使ってもらうために、
そういう場を作るとか、
その人たちが、お金を寄付したときに、
それをちゃんと新聞社も
好意をもって書くとかですね、
そうすることによって、
富が配分されるようにしないと。 |
糸井 |
うーん。
なんないだろうねぇ(笑)。 |
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ルディー |
でも、そうしないと、
お金寄付しないですよね。
みんなに知られなかったら
活性化にならないんですから。 |
糸井 |
その辺は、ぼくも、
自分がお金持ってるわけじゃなくても、
ずーっと考えてることなんです。
(つづきます) |