スポーツする身体。
大川達也のトレーニング教室。

第5回 「女子プロテニス界、1999年の現在 その3

こんにちは。
トレーナーの大川達也です。

3回にわたり、私がコンディショニングコーチを勤める
杉山愛選手のエピソードを紹介しながら、
女子プロテニスの話をお伝えしています。

前々回は女子プロテニス界の現在の状況を、
前回は愛ちゃんのコーチングを引き受けるまでを
書きました。

テニスっていうのは、オフのないスポーツなんです。
「シーズンオフ」のないスポーツなど、あまりありません。
ほとんどテニスしかない、といってもいいくらい、少ない。
あとは日本の相撲かなぁ。それくらい珍しいものです。

今年1年間の、女子テニスのメジャートーナメント数は
33戦行なわれます。
いわば、ほとんど毎週、世界のどこかで、
常に大会が行なわれている状況です。
こういう状況のなかで、1年を通して、怪我のない、
良いコンディションを保っていくというのは、
実際、とてもたいへんなことです。
ひとたび怪我をしてしまうと、治療に専念する時間が
取りにくい、休んでいるうちにランキングが下がる、
で、試合に出ながら怪我を治す、ということを
していかざるを得ない状況も生まれてきます。

愛ちゃんも、去年、初めて大きな怪我をしました。
それも、私が愛ちゃんの試合を初めて観戦した
ロサンジェルスの「アキュラクラシック」のあと、
秋から冬にかけて日本に帰ってから、
本格的に始めましょうね、と言っていた矢先のことです。
ぼくは愛ちゃんたちと別れて日本に戻り、
愛ちゃんは次のUSオープンに出場しました。
そこでの怪我でした。

怪我をしたことは、大きかったですね。
最初、本人は「捻挫くらい、たいしたことない」という
認識でいました。
次のトヨタカップは出るって言ってましたし。
でも、日本に帰ってきてからぼくが見たところでは
とても試合に出られるような状態ではなかったのです。
そこで、本人とも話し合って、納得してもらったうえで、
お茶の水の日大病院に連れていき、
MRIも割り込ませてもらって、即、検査となりました。
結果は、やっぱり、部分的に靭帯が切れていたんです。
ただ、幸いにも完全断裂ではなかったので、
手術はしないで済んだんですが、
もちろん試合どころじゃなくなって、
3週間くらいはリハビリとトレーニングだけを
行なうことになりました。
その年の秋〜冬にかけてトレーニングを始めよう、と
言っていたものが、
思わぬアクシデントで早まったわけです。

捻挫っていうのは、
みんな軽く「ねんざしちゃった」なんて言って、
ぜんぜんたいした怪我だと思ってないんだけど、
実は恐いものなんですよ。
スジを捻った、とはよく言いますが、
スジっていうのが「靭帯」ですからね。
捻挫なんて、ほっといても1週間くらいで直るもんだ、
くらいにみんな思ってるけど、それじゃダメです。
ちゃんと治そうと思うと、ほんとは3週間くらいかけて、
きちんと治していかないと、あとでたいへんなダメージが
残ってしまうんです。
正しいリハビリ、正しいトレーニングが大事です。

僕らはもう、神経質なくらいにやりました。
その甲斐があって、怪我そのものは完全に治ったんです。
その「完全」さぐあいが、面白くてね。

リハビリの度合いを計る測定法がありまして。
ケガをしているままの状態で、ストレスをかけて、
レントゲンで関節のひらき具合を測定するもので、
その部位の角度を「何度」という数値として
計って出すものなんですが、
怪我する前と、した後では、
その数値が完全に元に戻ることはまずあり得ません。
だいたいは一度靭帯を伸ばしちゃうと、
いったん伸びちゃってますからね、
切れた部分はくっついても、一度伸びたものは
元の状態には戻らないもので、
その靭帯自体は、緩くなってしまうものなんですね。
で、どうしてもそこの関節がグラグラしてしまうから、
同じところを何度も捻ったりするわけです。
靭帯がやっかいなのは、そこです。

で、愛ちゃんは、リハビリをやって、
そのあとデータをとったんですけど、
怪我の前に測定した角度と、1度と変わらなかったんです。
前の数値とまったく同じ角度だったわけです。
これには全員がビックリしました。

靭帯というものは、完全に切れちゃった場合は、
手術で人工的につなぐしかありません。
でも、ちょっとでもつながってる部分があると、
人間の身体というのはたいしたもので、
そこからちゃんと組織が再生されてきて、
切れたところがだんだんとつながっていって、
元の状態に復元されていくんですよ。
その、細胞組織が再生しかけているときに、
正しいリハビリを施すと、再生を助けて促すことが
出来るわけです。

愛ちゃんの場合は、それが完ぺきだったということです。
もちろん、なんの後遺症もなく、完全に元の状態に、
怪我をする前の靭帯に、身体が戻ったわけです。

「正しいリハビリ」を、
「ちょうどいいさじ加減」でやる。
やりすぎず、やらなさすぎず、この加減が
すごく微妙で、言葉では説明しにくいのですが、
この時期には5、この時期には7、というような、
正しい理論に基づいた正しいことをしていくと、
人間の身体って、元の状態に戻せるものなんですね。
僕も、あそこまできれいに、完全に治ったのは
初めての経験だったんですけれども。
もちろん、愛ちゃんの自覚と節制が完ぺきだったから、
治ったのです。

それはよかったね、ってことになるんですけど、
実はまだ、その続きがありました。


杉山愛のテニス、杉山愛の武器は何か、って言ったら、
それは「足」です。フットワークです。
相手が決まったと思ったショットにも、彼女が追いつくと、
相手は動揺してミスをする。
彼女の足は相手のミスを誘います。
フットワーク、敏捷性が、彼女の武器なんです。
その愛ちゃんが、怪我のあいだ、まるまる1カ月あまり、
まったくテニスをしませんでした。
そうすると、どうなるか。

こないだの野茂さんの話と、まったく一緒です。
足の感覚が元に戻らないんです。
あれ、自分の足なのに、自分の足じゃないみたい、とか、
無意識に痛めたほうの足をかばってしまって、
もう一歩が踏み込めないとか、
そういう状態になったんです。
で、自分のテニススタイルがどんどん狂ってきてしまって、
あれ?わたし、今までどうやっていたんだろう、
どうやって打ってたんだっけ?って、
なっちゃったんですね。

感覚が戻らない。これは思ったよりも深刻でした。
けっこう長かったです。
その間も、試合には出続けていましたけど、
いい成績は残せなかったです。

トップレベルの選手が参戦する大会は、
世界中で行なわれます。
先週ドイツにいて、今週フランスに行って、
翌週はまたドイツに戻って、とかね。
たえず移動、ですよね。
じっくり悪いところを治す時間もとれないまま、
試合が続くわけです。
これは、本人にも辛い時期でした。
コンディションの悪さはストレスですから、
つい食べ過ぎる、そしてウェイトがオーバーする、
身体のキレが悪くなる、理想的な自分のテニスから
ますます遠くなってしまう。そういう状態でした。

感覚が戻ってきて、少しよくなってきたのが、
今年の2月、3月くらい。
そして、フロリダで行なわれる
リプトン選手権に出るために、
フロリダに移動して練習を開始した初日、
コートサイドの溝に足を取られて、
同じ足をもう一度、捻挫してしまいました。
幸い、そのときは軽度の捻挫だったんですけど。
急遽、日本に帰国して、
またそこから、リハビリのやりなおし。
4月のジャパンオープンで復帰、結果は準優勝でしたが、
そこからまたひとつひとつ、確かめながら、
調子を上げていくことになりました。

ぼくは、愛ちゃんによくクルマに例えて言うんだけれど、
クルマも、新車からどんどん中古車になっていきますよね。
それは避けられないことです。
愛ちゃんも、今、そういう時期で、
どうしてもだんだんと、中古車になっていくわけです。
でも、同じ中古車でも、きちっとメンテして、
オイル交換して、早めに部品も取り替えて。
そうすると、ちゃんと走ります。
悪い部分をケアして、強化できるものは強化して、
そうやっていったら、ちゃんと「持つ」。

杉山愛という選手は、ぼくが見る前までは
これといった怪我もなくて、ナチュラルな状態で、
ここまでやってこれたひとなんですけど、
プレイ年数が上がるにつれて、これはどんな選手でも、
怪我は、ある程度は避けられないと言えるでしょう。
怪我って、疲労の蓄積が引き起こすものですから。
年齢が24、25歳くらいで、プレイ年数でいうと10年。
今まではススッとやれていたことが、出来なくなってくる。
そのぶん、これからは、身体のウォームアップとか、
身体の動きをよくするトレーニングをしてから試合に入る、
というように、工夫をしていかないといけない。
そう思っています。

さて、ではいよいよ、具体的に
愛ちゃんとやっているトレーニングのしかたを
少し紹介しようと思いますが、
ずいぶん長くなったので、
この先はまた次回ということにしましょう。
ではまた。

1999-11-14-SUN

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