── 大三郎さん、こんにちは。
大三郎 こんにちは。
──
先日は、神保町の岩波ホールの試写会で
お目にかかりまして‥‥。
大三郎 はい。よかったですね、映画。
──
本日は、そのときに観た
ドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』が
たいへんグッときたので
改めて、作品についてお話できたらと。
大三郎 よろしくお願いします。
──
さっそくですが
このドキュメンタリー映画にまつわる
エピソードについては、
いろいろ
「マジですか!」と思うんですが‥‥。
大三郎 そうですね、ほんとに。
──
フランスの山奥にある
超厳格な修道院にカメラを入れたいと
オファーをしたら
「まだ早い」的なことを言われ、
「16年後」に
「準備は整った」って返事が来たとか。
大三郎 ビックリしたでしょうね、監督の人も。
──
1週間のうち、
修道士の人たちに会話が許されるのは
基本、日曜の昼間の
散歩のあいだの「4時間だけ」とか。
大三郎 はい。
──
その他にも、いろいろあるんですけど
大三郎さん的には
何がいちばん、印象に残りましたか?
大三郎
んー‥‥そうですね。
細かいところで「23時半に起床」とか。
── ああー、その点。
大三郎 気になりました。
──
この作品は、修道院側との約束で
ナレーションやBGMを
一切、入れることができなかったので
いま言ったことはすべて
パンフレットを読んで知るわけですが。
大三郎
だから「そもそも、何してるんだ?」
ということが
わかりにくいシーンもありますよね。
──
たまに挟まれる「真っ暗闇の場面」は、
あれ、
そんな夜中に「祈ってた」んですね。
大三郎 そうそう、23時半に起き出して。
──
手元のパンフレットによれば、
19時半に就寝して、
23時半、つまり夜中の11時半に起床、
0時過ぎからはじまったミサが
3時に終わり、
そこからまた寝て6時半に起きる‥‥。
ぼくらからすると、なんで、わざわざ、
そんな夜中にと思うのですが。
大三郎 あ、山伏も夜中に起こされるんですよ。
── え、そうなんですか。
大三郎 はい、何度も。
── じゃあ、気持ちはわかると。
大三郎
気持ち‥‥わかる‥‥かもしれない。
もっとも、ぼくらは
ほら貝の音で起こされるんですけど。
── ‥‥ボオー、ボオーと。それは何時ごろ?
大三郎 えっと、修行中は時計がないので‥‥。
──
あ、そうなんですか。
では、そんな夜中にほら貝で起こされて、
いったい何をしてるんですか?
大三郎
勤行と言いまして、お経をあげます。
2~3時間なんですけど、
なんか、それと似てる気がしました。
──
なるほど、そっくりです。時間まで同じ。
でも、山伏も修道士も、
どちらも「わざわざ夜中に」なんですね。
大三郎
日本のことについていうなら
聖なるものとは、夜に訪れるからですね。
古いお祭りも、夜、やるじゃないですか。
伊勢神宮の「新嘗祭」という、
その年に採れた穀物をお供えする祭りも
儀式によっては夜中だし。
──
でも、真夜中に起きてお経をあげたり、
お祈りをしたり‥‥
修行とはかくも厳しいものなのですね。
大三郎
たしかに山伏の修行も厳しいですが、
ぼくたちの場合、
年に一度の「修行の期間」というのは
1週間くらいなんです。
でもこの人たちは「一生」じゃないですか。
そこが‥‥はかりしれない。
──
毎日の生活も、聖書で勉強するだとか
自給自足の畑を耕す以外は、
ほとんど「祈りの時間」のようでした。
大三郎 だから本当に知りたい、その気持ち。
── 一生を祈りに捧げる気持ち、を?
大三郎
どんな気持ちで、日々を過ごしているのか。
だって一般人からしたら
すごく極端な生活をしてる人たちですから。
──
テレビもラジオも私語も訪問者も許されず
1日の大半を
たった一人で祈りに捧げ、それが一生続く。
山伏から見ても、これは「極端」であると。
大三郎
ぼくらは、必ず里に戻ってきますからね。
なので、
ここで暮らすのはちょっとムリだな~って
思いながら観てました。
──
たしかに、ぼくも3日もたない気がします。
覚悟さえ決めれば、できるのかな?
大三郎
いや、その「覚悟を決める」ということが
いちばん大変じゃないでしょうか。
なにしろ「一生」ですから。
──
そうか‥‥1ヵ月だけとか
終わりが見えてたらがんばれそうですけど
「一生ですよ」
と言われた時点で、3日ともたなそう。
大三郎 そうそう。
──
でも、何かしら
人を惹きつけるものがあったからこそ
11世紀くらいから
廃れずに、続いてきたわけですよね?
修道士だって、
強制されて来ているわけでもないだろうし‥‥。
大三郎
それどころか、私財をなげうたないと、
入れてもらえないんですよね、ここ。
──
うまく想像できませんが、
信仰への欲求、厳格な生活へのあこがれ、
みたいなものがあるんでしょうか。
大三郎
うーん‥‥ぼく自身について言えば
「信仰心」から
山伏をやっているわけではないので
よくわからないんですが、
山伏のなかにも、
たしかに、そういう人はいます。
── そうですか。
大三郎
でもきっと、それだけだと、
それこそ3日くらいしか続かないと思う。
なんというか、もっとこう‥‥
「山」にもそういうとこあるんですけど
映像越しの修道院に
「境目」のような感覚を受けたんです。
こっち側と向こう側‥‥じゃないですが。
──
ああ、そういう‥‥ちょっとマジカルな、
何かに取り憑かれる、みたいな?
でも、信仰心や帰依の気持ちというのは
多少なりとも、
そういう要素を含むのかもしれませんね。
大三郎
少なくとも、ぼくたち観客側としては
そこで暮らすのは無理でも
「ちょっと、のぞき見してみたいな」
という気持ちが、ものすごくあると思います。
──
のぞき見‥‥たしかに。
大三郎さんは、この作品を観るまえには
どんな映画だと思ってました?
大三郎
いや、もう、ただ淡々と
修道士たちの
静かな生活が描かれていくだけだろうなと。
なんかイメージありました?
──
いや、ぼくも
音楽もナレーションもないと知った時点で
そうとう抑揚のない映像が
えんえん続くんだろうなと思ったんですが、
でも、なぜだか
「退屈だろうな」とは思わなかったんです。
大三郎
あ、そうそう。たしかに。
実際、上映時間も3時間近くありますけど
けっこう終始ドキドキしてましたし。
──
だから、大三郎さんが言うように
「のぞき見」したかったんだと思います。
大三郎 やっぱり、その欲はありますよね。
──
そして、すごくいい意味で言いますけど
終わったあとには
「わー、すっごくおもしろい映画を観た!」
という感じもなかったのに‥‥。
大三郎 そういう種類の作品じゃないですよね。
──
ようするに「予想していたものを観た」
ということなんですけど、
なんだか「満足感」を感じました。
大三郎 わかります。観てよかったという感じ。
──
ジャック・バウアーの『24』みたいな
「どんでん返しに次ぐどんでん返し」とか
絶対にないとわかってて、観たのに。
大三郎
それなのに「なんかドキドキする」って、
めずらしい感覚ですよね。
── 感動もないし。
大三郎 笑いもないし。
── 不思議な映画ですね。
大三郎 ほんと、不思議な映画です。
<つづきます>
2014-07-11-FRI