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糸井 |
さっき、大沢さんは「印籠」を出したくないって
言ってましたけど、
一方で、そういう具体的表現とは別に、
映画や小説には「様式美」って、あるじゃないですか。
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大沢 |
はい、あります。
ここは「あまいケーキだろう」という場面で
しょっぱいケーキは出しません。
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糸井 |
そっちは、外さないわけですね。
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大沢 |
糸井さん、メルヴィルの映画はお好きですか。
ジャン=ピエール・メルヴィル。
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糸井 |
いや、ぜんぜん詳しくないです。
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大沢 |
『恐るべき子供たち』とか『いぬ』とか
『サムライ』とか『リスボン特急』とか‥‥。
フランスのギャング映画の監督なんですけど。
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糸井 |
古い時代の人ですよね。
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大沢 |
1950年代から60年代にかけてだから、古いです。
で、この人の作品には、ブルートーンの夜景に
暗黒街の寡黙な男たちが向かい合って
タバコを吸ったり、酒を飲んだりしてるシーンとか‥‥
もう「メルヴィル節」としか言いようのない、
独特の映像表現があるんです。
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糸井 |
ええ、なるほど。
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大沢 |
そういう場面というのは、メルヴィルの映画には
お決まりのように出てくるんだけど、
ファンは、あのイメージを愛しているわけですよ。
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糸井 |
はい、はい。
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大沢 |
それは、メルヴィル映画には、なくてはならない。
同じように、ぼくの場合も
「オレの読者ならば、
こういう描写のしかた、こういうシーンを、
おもしろがってくれるだろうな」
と思いながら書くことは、当然ありますよね。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
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大沢 |
あたりはとても「静か」なんだけど
いつ暴力が爆発するかわからない緊張感が
みなぎっているような‥‥そういうシーンでは
みんな、ゾクゾクしながら
読んでくれてるだろうなと予想して書いてます。
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糸井 |
そういう「様式美」をきっちり守りつつ、
自分も飽きさせないよう、
読者を「裏切って」いきたいわけですね。
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大沢 |
だから、どんどん隘路に入っていくんですよ。
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糸井 |
でしょうね‥‥。
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大沢 |
だんだん、やることがなくなっちゃうんです。
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糸井 |
たくさん書かれてますしね。
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大沢 |
だから「もうやりたくない」なんだよなぁ。
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糸井 |
そっちの結論ですか(笑)。
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大沢 |
でもね、今年(2008年)の9月に
『黒の狩人』という小説を出したんです。
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糸井 |
ええ。
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大沢 |
これも、ぼくのシリーズもののひとつで
ほかに『北の狩人』『砂の狩人』とあるんですけどね。
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糸井 |
つまり「狩人」シリーズ。
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大沢 |
前作の『砂の狩人』で
主人公、死んじゃったんですよ。撃たれて。
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糸井 |
はぁ!
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大沢 |
読者もボーゼンとしちゃって。
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糸井 |
主人公が死んじゃったらねぇ。
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大沢 |
書いてて、自分自身がゾクゾクくるのは、
こういうの。
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糸井 |
はー‥‥。
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大沢 |
このシリーズも、けっこうファンが多いんですけど、
このように、何でもやれちゃうからね。
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糸井 |
ええ、ええ。
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大沢 |
今度の『黒の狩人』の主人公は中国人なんですけど、
そいつが物語の終わり近くで、
敵に襲われるシーンが出てくるんですよ。
そうすると‥‥。
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糸井 |
つまり「また殺されちゃうかもしれない!」と。
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大沢 |
そうそう、
読者にしてみると何されるかわからないから
めちゃくちゃ怖いらしいんですよね。
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糸井 |
そうでしょうね‥‥。
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大沢 |
その点、鮫島は殺されないと思ってるわけです。
敵に襲われたって、なんとか脱出するだろうとか
まだこんなにページ残ってるしとか
読んでるほうは、考えられるわけじゃないですか。
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糸井 |
うん、うん。
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大沢 |
ところが、その「狩人シリーズ」の場合は
オレ、すでに1回、主人公を殺しちゃってるからね。
大沢のやつ、何をするかわからんってことで
読者をゾクゾク、ハラハラさせられる‥‥。
書いてて本当におもしろいのは、そういうのです。
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糸井 |
もう、読者とセクシーな関係を結んでますね。
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大沢 |
ただね、その「主人公が襲われるシーン」でも
オレが書いてから
読者がリアクションするまでに
最短でも2ヶ月ぐらいは、間が開くわけですよ。
すると、その2ヶ月後に
「死んじゃうと思ってドキドキしました!」
とか言われても、
「いまオレ、別の小説書いてるから」
みたいなテンションになっちゃってる。
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糸井 |
飽きちゃってるんだ。 |
大沢 |
やっぱり「いま書いてるもの」がすべてで、
書き終わったものには
どんどん、興味を失っていくんです。
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糸井 |
昔の作品のことを考えてたら、
次の作品は書けないってことですかね。
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大沢 |
かもしれないです。
ぼく『新宿鮫』の原稿用紙、
古新聞といっしょに捨てちゃってましたからね。
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糸井 |
ああ‥‥(笑)。
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大沢 |
光文社の担当に「それだけはやめてくれ」と
言われたんだけど‥‥ジャマだし。
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糸井 |
そりゃそうかもしれませんけど。
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大沢 |
さすがに今は、小説の原稿用紙は捨ててませんが、
エッセイとか選評の類は、ぜんぶ捨ててます。
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糸井 |
あ、大沢さんのエッセイってあるんだ?
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大沢 |
うん、売れないエッセイ集が2冊あります。
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糸井 |
そうなんですか。
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大沢 |
これまでに『陽のあたるオヤジ』っていうのと
『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』って2冊を
出してるんだけど、
小説に比べたら圧倒的に売れてないんですよ。
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糸井 |
何でですかね。
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大沢 |
うーん、自分ではおもしろいと思うんだけど(笑)、
大沢在昌の小説には興味はあっても、
オレ自身のことは、別にどうでもいいんだろうね。
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糸井 |
つまり大沢さんは「プロジェクター」なんですよ。
読者にとって、高性能の。
で、その「プロジェクター」が映し出す
「物語」のほうに
やっぱりみんな、興味があるんだと思う。
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大沢 |
言い換えると、その「プロジェクター」が
「ふだん、何を考えているか」については、
「ま、どうでもいいのよ」と。
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糸井 |
いや、でも今日、ぼくが発見したのは、
その「プロジェクター」を
「ちょっと開けていい?」って中をのぞいてみたら、
かなりおもしろかったということです。
<つづきます> |