PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙87 HIV 14
いただいたメール。 病気と戦うということについて。


こんにちは。

HIVについてのシリーズを続けている間に
とても印象深いメールをいただきました。
今日は、このメールについて考えたことを
少し書いてみることにします。

そのメールを書いてくださった方からは
以前にも一度、
ご自分の病気についてのメールを
いただいたことがありました。

慢性で、
なかなか治療が難しい病気をお持ちのこの方は
その病気を克服しようと
これまでいろいろな努力を重ねていらしたようです。

「HIV検査が陽性だった時は、
それからどうすればよいのか」ということについて
HIV7でご紹介したとき、
わたしは

「HIVの治療について最も大切なことは
HIVと戦っていこうという、ご本人の意思です。
そして次に大切なことは、
HIV治療の専門医をパートナーとして持つことです。」と

自分がとても大切だと思う、2つのことについて
わりと断定的に書いてしまいました。

その後、この方から
わたしは2通目のメールをいただきました。

その中で、この方は次のようにおっしゃっていました。
…………………………………………………………
私は自分の病気とは
”戦う”ということをしていません。
戦うのが怖いし、
戦ってというより、何とか今の自分を受け入れるのが
精一杯だからです。

今回のほぼ日には、
患者さんの戦う意思が・・と書いてありました。
病気とは 戦わなくては 克服しないのでしょうか?
私には 戦う意欲も もう残っていません。

頑張って、頑張って、頑張って…疲れちゃいました。
戦う意思が必要なのでしょうか?
病気というより、私の体質と思ってきた私は 
まだまだ 甘いのでしょうか?

戦う。
必要ですか?

私は負けています。

…………………………………………………………

このメールを読むまで、
わたしは自分の配慮のなさに
気がついていませんでした。

メールの奥からにじみ出てくるような
この方の悲しみに対して本当に申し訳なく思って、
わたしは、この回で言いたかったことを
補足する返事を書きました。

この方と同じような感想をお持ちになった方は
他にもいらっしゃるかもしれないので、
あの表現の背景について
ここでも、もう少し
わたしの考えを書いておくことにします。

わたしは、病気とその人との関係は、
その人がそれと付き合う覚悟を決めることで
定まって行くのではないか、と思っています。

病気であることは病気のない状態と比べると
ある種の不幸せであることには違いないのですが、
それとともに過ごす人生の選択は可能です。

今回のシリーズの中で繰り返しお伝えしたように、
HIV治療の目標は
AIDSの発症をできるだけ遅らせて
今の暮らしを維持する、というところにあり、
副作用が強く、飲み方も難しい多くの薬を
耐性ができないようにするために
決まった時間にずっと飲みつづけていくことが
治療においては何よりも大切です。

このように大変面倒な
HIVの治療を受け入れるためには
本人の強い決意が不可欠で、
そうでなければ
現在の状況では、ほぼ一生涯続けなければならない
治療に耐えていくことができないのです。

こういった意味から
わたしは「戦う」という言葉を使ってしまいましたが、
この方のように辛い思いをする方がいるかもしれない、
ということについての配慮に欠けていました。

病気との付き合い方を決めるのは
ご本人の人生観です。

診断がついてからの人生を
どのように過ごしていくのか、ということについては
その本人しか決めることができません。

でも、その選択の際に
相談に乗ってくれるひとは、必ずいます。
たとえば、HIVの検査を行っている保健所には
必ず保健婦さんがいて、
陽性の結果が出た方にはカウンセリングを行っていますし、
もちろん、ここでご紹介した
HIV治療の専門医も頼りになります。

今回のHIVのシリーズが
感染のリスクのある方、既に感染した方の
お役に立つことが少しでもあれば、
それでわたしの目標は達成です。

次回は昨年の暮れにニューヨークで見た絵について
ご紹介しようと思っています。

みなさまどうぞお元気で。

本田美和子

2001-03-28-WED

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