PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙92 ID

こんにちは。

多くの人々の中から
アメリカ人を見分ける方法は
いろいろあると思いますが、
とても分かりやすい例としては
手を拭く時に
紙タオルを必ず3枚以上引き出してしまうとか
写真を撮る時に
まるで俳優のように嫣然と微笑むことができる、とか
エレベーターの中で、知らない人同志ひとしきり話しこむ、
といったことなどが挙げられると思います。

前回でも少し触れましたが
わたしは写真を撮られるのが苦手です。
もう、憎んでいるといってもいいぐらい。

3年前にレジデントを始める時、
日本でぐずぐずしていて
フィラデルフィアへ引っ越してくるのが
とても遅くなったので
職員登録や保険、銀行口座、社会保障番号など
こまごまとした手続きを
1日で全部済ませなくてはいけなくなりました。

チーフレジデントに作ってもらったリストを手に
迷いながら、あちこちに出かけたのですが
その中のひとつに
警備の窓口で職員証・IDを作る、というのがありました。

自分の名前と所属が入った名札ですが、
そのために写真を撮らなければなりませんでした。
白衣を着て、緊張してカメラマンの前に立って一枚。
その場ですぐに作ってもらえました。

IDは、病院にいる間はいつも
胸につけておかなければなりません。
新しい病院で新しい白衣に新しいID。
緊張気味のレジデント生活が始まりました。

でも、3ヶ月ほど経つとだんだん馴染んできて
気持ちに余裕も出て
楽しく過ごせるようになってきました。

そんなある日の朝、
受け持ちの患者さんのところに行って
「今日の具合はいかがですか?」とたずねたところ
思いがけない事を言われました。

「そんなに悪くないよ。早く退院したいねえ。
 それはそうと、そのIDは本当に君の写真?
 入院した日からずっと気になっていたんだが
 その写真、良くない。
 撮りなおしたほうがいいよ。君じゃないみたいだ。」

80才くらいの、とても穏やかなおじいさんでしたが
それはもう真剣に、写真を撮りなおせ、と
勧めてくれました。

そうかなあ、
いつもと同じ日本の証明写真顔だと思うけど、
などと思いながら、
でも、あれだけ強く撮り直せ、といわれるくらい
ひどい顔なのか、とちょっとがっかりしてしまいました。

冒頭にも書きましたが、
アメリカ人はエレベーターの中で
乗り合わせた見知らぬ人同志、よく言葉を交わします。

患者さんから写真を撮り直せ、といわれた翌日
いつものようにエレベーターに乗っていると
「今日はいい天気でよかったね」と
男の人から話しかけられました。
ご家族が入院中で
これから見舞いにいくところだ、と話してくれた後で
「あの、失礼ですが、
その胸元の写真、君じゃないみたいだ。
撮り直したら?」と
前日とまったく同じことを言われてしまいました。

しかも、今度は見ず知らずの人から。

2日間に2度も言われると、
さすがに、やっぱりあまりにひどいのか、と心配になって
日本人の友達のところへ行き
彼らの意見を聞いてみました。

「日本だったら、普通の証明写真って感じだけど、
アメリカだからねえ。
笑ってないのがいけないんじゃないの」というのが
わたしたちの結論でした。

結局、写真を撮り直すことなく
深刻な顔のIDをつけたまま
わたしは毎日を過ごしていたのですが、
3年目に入る時
病院全体でIDのデザインの変更があって
写真を撮り直すことになりました。

今回のカメラマンは、とても厳しくて
「きちんと笑ってください」と
笑うまで写真を撮ってくれませんでした。
おかげで、
あやしい笑みを浮かべた新しいIDができました。

もう誰も、撮り直せ、とは言いません。

その後、日本へ帰った時
運転免許の更新に行きました。
10代で免許を取って以来、
一度も公道で運転したことのないわたしは
無事故・無違反のセーフティー・ドライバーです。

更新講習を受ける前に、
新しい免許用の写真を撮りました。

講習を受けた後、
出口で新しい免許をもらったわたしは愕然としました。
そこには、本当ににっこりと微笑んでいる
自分の顔がありました。
そんなつもりは全然なかったのに。

思いがけないところで
アメリカでの生活に馴染んできてしまった
自分を見つけたような気になって、
ちょっと心穏やかではありませんでした。

では、今日はこの辺で。
次回は、「胸が痛いとき」のシリーズの時に
メールを下さった紺野さんから届いた
栄養指導の続報についてお伝えしようと思っています。


みなさま、どうぞお元気で。
本田美和子

2001-04-17-TUE

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