手紙155 訪問診療・10 ニューヨーク(7)
思い出のつまった家
こんにちは。
往診が面白いな、と思う理由のひとつは、
外来の診察室ではなかなかわからない
患者さんの毎日の生活の様子を
目の当たりにできることです。
また、今の生活だけではなく、
そのお部屋には
患者さんのそれぞれの思い出がたっぷりつまっていて
それを見せてもらうこともできます。
人生を果物にたとえることが英語ではあるそうですが、
まさに、熟した果物に囲まれて
余生を送っているのだなあ、と
仕事をちょっと忘れてしみじみしてしまいます。
それは、たとえば
若いころから描きためた絵だったり、
家族の写真だったり、
書斎にならぶ本だったり、
エリザベス女王からもらった勲章だったり
ほんとうにさまざまです。
もちろん、毎日の生活に使う家具も
そのなかのひとつです。
ある患者さんのお宅に伺った時のことです。
この家は、小さな居間と寝室がひとつずつあり、
居間と寝室の間に
お風呂とトイレがあるつくりになっていました。
足が弱ってしまったこの患者さんは
一日中、居間のソファに座って過ごし、
寝室に行くのが大変なので、
そのかわりに
ソファの横に寝椅子を置いて寝ていました。
一日の移動距離は
Meals on Wheels という、
独居老人向けの宅配サービスの食事を温めるために
台所へ歩く約2メートルと、
ソファからトイレまでの約5メートルくらいです。
ある日、患者さんの足に転んだ傷があるのを見つけました。
どうしたんですか?と尋ねたところ、
トイレに行く途中で転んだ、と話してくれました。
居間とトイレの間には
古い箪笥と、テレビ、飾り棚が並んでいました。
箪笥が少し通路に出っ張っているので、
角を曲がるときにぶつかって
転んでしまったようでした。
全部の家具を少し右にずらして
通路を広くしてみればどうですか、と言ってみると
それじゃあ家の感じが変わってしまう、と
最初はあまり賛成してくれませんでしたが、
このでっぱりがなくなると、
転びにくくなるかもしれませんよ、と再度お願いをして
何とか少し動かしてもいいことになりました。
古い、がっしりとした家具は思いのほか重たくて、
上司の先生と、看護婦さんとわたしの3人で
やっとの思いで20センチほどすべての家具を右にずらし、
通路を広くあけることができました。
これで少しは転びにくくなった、よかったね、と
わたしたちはその家を後にしたのですが、
ひと月後、咳がとまらない、と連絡をもらい
再度うかがった時、
このおばあさんはすごく不機嫌でした。
「テレビが右にずれたから、見にくくてしょうがないわ」
「わたしはこの椅子に座って
テレビを30年見つづけてきたのよ」
「それなのに、あなたたちは勝手に場所を動かして。
わたしの暮らしは台無しになったわ」
で、その後転びましたか?
「いいえ、通路は広くなったから。
でも、それとこれとは話が別よ」
ごんごんと咳をしながらも、怒りまくっています。
スタイルができあがっている生活を
少しでも変えることは、
とくにお年寄りにとっては
許しがたいくらいなじみにくいことだ、ということを
このおばあさんはわたしに教えてくれました。
このとき、すでにひどい肺炎を起こしていたおばあさんは
もう自宅での生活は無理だったので
頼んで病院に入院してもらったのですが、
残念なことに、そのまま亡くなってしまいました。
あの30年間同じだった部屋も
もう誰かが片付けてしまっているのだと思います。
古くて波打っているじゅうたんや
壊れかけた椅子、
もう、ごみと区別がつけにくいけれど
本人にとっては大切なビンや古新聞で埋まった部屋など、
転んでしまう原因に
囲まれて暮らしているお年寄りはたくさんいます。
転ぶ、というのは
老人科の領域ではもっとも大切な分野のひとつです。
そのうち、機会があれば
このことについてもご紹介できるかもしれませんが、
80歳以上のお年寄りの5割が、
1年に1回以上転んだ経験があり、
転んで骨を折ったお年寄りの5人にひとりは
1年以内に亡くなってしまう、という報告があります。
「転ばないようにする」というのは
健康の面からはとても大切なことなのですが、
今までの生活を少しでも変えることは、
お年寄りにとっては
わたしたちが考える以上に
大きなストレスとなる例を知ると、
今後やりかたに工夫がいるなあ、と学んだケースでした。
ちょっと長くなってしまって、すみません。
今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。
本田美和子
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