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第5回 呆然としてしまうとき 例えば、会社のなかで企画を立ち上げる、 雑誌の特集をつくる、テレビ番組をつくる、 そんな時、今なら何をとりあげたいですか? 何がいちおしでいちばんおもしろいものですか? 単に多くの人に受けるおもしろさとかじゃなくて じっくりとちゃんとじぶんでまじめに考えてみると、 ちょっと言いづらくなってくるけれど、 「ほんとにすごいものは、何もないかも……」 これがけっこう多くの人の、 ほんとにほんとの本音なんじゃない? だからしょうがないから、何だかんだで 最近出た体裁のいいブームとタイアップして 特集したりするのが、まあいちばん無難だし、 いっときはみんなに必要とされてるとか思って、 それで企画上げてしまいがちですよね? でも、ほんとにそれがいいの? 例えば企画上取材するにしても、 目の前にいる相手は、 ほんとうに会いたいひとですか? 今現在手がけてる企画って、 ほかのすべてをほっぽりだしてでも それに何もかもつっこみたくなるくらいに すごいものなんだ、と思えるものですか? そこで「思えるよ」というところで なされているものごとも、けっこうありますよね? そういう企画って、とてもしあわせなものだと思う。 ぼくはもちろんそういう企画をすごく尊敬してますし、 そういうのを見たいし、もっと言えばぜひ参加したい。 そうやってできたものの裏に見え隠れしてるような 「どーだ?おい」っていう鼻息に会うと、 なんちゅうかとてもうきうきした気分になってくる。 ぼくはそういう企画を思いだしてへへへと思ったり、 作ったやつらなんて全然知らないのに 「おまえらやったな」と喝采したりするし、 夜道をひとりでふらっと歩いたりしてると、 そんなにかっこよくてすごいものが生まれているのに それでもひとはなんか死んじゃうんだなあとか思って、 あたたかいままにさみしくしんみりしたりもする。 だけど現実的に考えてみると、 そういうすごくいい企画『だけ』ではないよね? どうにもこうにも煮つまってしまっていると、 「昔のじぶんには、『こんなに好き』って、 何もかも放り出して言えるものがあったのに、 なんで今は言えないんだろう? なんであの時のこころのふるえがないんだろう? なんで現実のごたごたに巻きこまれてるんだろう?」 とか思わざるをえないこともありそう。 これはかなりつらいことだろうと思います。 こういうのは追いこまれているし、救われない。 かりそめじゃない癒しって、そのときはおそらくない。 (まあ別に「もっともやりたい仕事」が他に比べて 格段にえらいわけでもないだろうけど、そういうのを 求めているひとがいるって言えば言えますよね?) まさにこんな風になって呆然としていたのが、 ウィトゲンシュタインというふらっとした哲学者です。 彼は、みんなからは天才だよって言われていたけれど、 「もう哲学でぼくのやることはなくなっちゃったよ」 とぼそぼそつぶやいて、小学校の教師になったり、 修道院で庭師の職につきながら、ずーっと悩んでた。 _______________________________________________ 時代に先行してるだけのひとは、 いつか時代に追いこされてしまう。 すべての科学的な問題に答えることができても、 人生の問題は手つかずで残っていると思う。 生きていく上での問題の解決策を見つけると、 「これで楽になったぞ」といいたくなる。 だけど、それはまちがいだろう。 解決策が見つかってなかったときにだって、 ひとは生きていくことができていたはずだから。 論理学の問題を解決したといったって、 こういうようなことを肝に銘じておくべきだと思う。 その「問題」は、かつては未解決だった。 だけどそのときにだって、ひとは、 生きることも考えることもできていたはずだ。 _______________________________________________ こんなような彼のメモは、今も残されているよ。 時代に先行するってのはいったい何なんだろう? それがじぶんにとってどういう意味があるのか? じぶんが今やりたいことって、ほんとは何だろう? この人は、そんなふうにぐるぐるぐるぐると考えてる。 彼は徐々に哲学に復帰するのですが、そのあとでも、 ずっとじぶんの限界について考えていたみたいです。 みんなにほめられる学問的な業績という以上に、 嬉しくなる契機みたいなものを探していたのかな? 改めてこの付近の内容をじぶんにひきつけてみると、 今じぶんのいる位置でやれることって、何ですか? ……たぶん、「これだ!」っていうのは 何となくですけれど、お手軽にはなさそうですよね? むつかしく考えればいいってものでもないし。 逆に単純に考えればいいわけでもなさそうだよなあ。 彼が晩年近くに言っているいくつかのことが、 ぼくにとってはそういうあたりに対しての きっかけみたいに見えているのですが。 _______________________________________________ 感心されるよりも、愛されたい。 哲学のレースで勝つのは、 いちばんゆっくりと走って、 ゴールにいちばん最後に着くひとだと思う。 _______________________________________________ 例えばこんなような言葉なのですが、 このしゃべりの奥の奥にあるものが どうも突破口みたいになりそうだなあと、 ぼくは個人的に何となくそう思ってるのですが、 うーん、でもやっぱり、そういう 「今何をどこでどのようにやるか」 とかに関しての問題って、むつかしいです。 もちろん、とにかくこのへんは多かれ少なかれ じぶんで問題や答えを設定しては打ち消しながら、 そのなかで見つけていくしかないんだろうけれど。 ま、このあたりに関しては安易に結論づけずに、 これからものんびり考えていくことにしようっと。 [今日の2行] 時代に先行してるだけのひとは、時代に追いこされる。 哲学のレースで勝つのは、最後にゴールに着くひとだ。 (ウィトゲンシュタイン) [今日のぼくの質問] 何をやりたいかとかの問題ってやっぱりむつかしい。 なので、読んでくださってるかたが考え途中のままで メールとかをくださると、すごく嬉しく思います。 mail→ postman@1101.com |
2000-01-17-MON
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