#30 悩みが生む事実
「悩みや疑いに行き着いているときは、
その時点で、ある社会で訓練を積んだ証拠だから、
求めるゴールは、これまでの訓練を見つめることや、
人の悩みや疑いを眺めてみることによって、
おのずから、割とあっさり出てくるのかもしれない」
このような内容を、前回、シンプルにお伝えしたので、
今回は、実際に悩んでいるメールを紹介したいと思います。
"#26" では、十代の方なりの実感をおとどけしましたが、
それに続き、二〇代の特有の考えを、見つめてみましょう。
まずは、それぞれの境遇を、読んでみてくださいませ。
「最近ふと思った事は、
自分の年齢になるとなぜ転職を考えだすのか。
転職で入られた方って
ちょうど今の私の歳ごろなんです。
そう言えば、入社当時の頃、
なぜ転職したのか聞いたとき
『この歳になるとわかるよ』と言われて、
ふーん。そうなんだ。としか思えなかった私。
今、そのころ変化を求めた彼女たちの歳になり、
気がつけば私も考えていた。
あ、なんだかなぁ〜という感じが
私を覆ってる。これってなんだろう?」
「岡山に住んでいる私の友だちは、
ほぼ八割がた結婚という転機を迎えます。
別に結婚をしたくないわけではないのですが
仕事もやりたいのです。
というか、仕事『が』やりたいのです。
そう思う反面、友人たちに生まれた子どもに接していて
子どもも欲しいと思いました。
仕事から帰ってきて一人って言うのは
ごっつー心がさむいんですよね。特に食事をするとき!
現在の日本の状況で仕事をして子育てをして
キャリアアップしていくのは
ごく限られた環境にある人(大企業、公務員など)か
フリーで働かれている人かなと思いました。
新聞等のトピックではよくお見かけします、記事として。
そして、職種にもよりますよね。
看護婦さんとか、年齢を重ねても需要のある職種です。
私は二八歳で転職をしたわけですが、
もしかしたら十年後も
同じ企業で働いているとは限らないのです。
先のことを考えていたら鬼に笑われるかもしれません。
それでも、生き残るには
手に職をつけねばならない(専門分野)と強く感じます。
手に職というアイテムがあるとして、
今度はオリジナリティです。オリジナリティは、
アイテムを手に入れただけでは手に入りません。
もともとオリジナリティなど無いのかもしれません。
でも、これからは自分の顔は
自分で作っていくものだとかんじます。
それならば、オリジナリティも手に入るのかなぁ」
「ナンデモデキル、ナンニデモナレルって言葉を、
人にも言われて、自分でもそう思って、
でも、何をしたいのかも、
何になりたいのかもわからなくて、
何もしないで過ごしていたら何にもなれなかった、
っていう、すでに枯れてしまっている若いヒトたちって、
夢に向かって頑張っているヒトたちと同じくらいいそう。
なにか特技といえるものもなく、
かといって今から特技を作るには遅すぎる気もして、
ただひたすら中途半端な若さを持て余してる。
こういう気持ちって、可能性が
見つからなかった人特有のゆううつ?
社会のためになる部品になろうとして、
部品見つけや部品磨き以外に時間を費やしていたら
こんなクウキョな気持ちにならなかったのかなぁ?」
「最近友だちと集まると、歳の話にしかならない。
みんななぜだかあせっています。
『二〇代前半はいろいろ楽しいことはあったけど
全体としてはとてもつらいものだった。
戻りたいとは思わない。
これから楽しいことが待ってる』
そう言った友だちは、身内が亡くなったり、
恋も波瀾万丈で、つらいことも多そうだった。
でも常に輝いていて、今は夢に向かって
日々勉強している彼女だから、
その言葉は意外で説得力があって
目の前がパーッと開けたように感じました。
私の二〇代前半は、思い通りにならなかったです。
昔よく考えていた私の幸福論は、
『幸せという形のパズルがあるとしたら、
いろんなピースがあって最後の一つが恋愛。
他のピースが揃わないとすてきな恋愛はできない。
だから他のピースをはめるべく、
自分を磨かなくてはならない』
実際に恋をすると、恋愛しながら他のピースを
見つけることだってできると思い直しましたが、
『幸せのかたちパズルなんてないんじゃないか』
という疑問を持ちはじめました。
ちょうどその頃働きだして時間がなくなって、
新しい恋人もできてまあ楽しいし、
考える時間もなくて……二五歳……。
でもこうやって書いていると、
一つわかったような気がする。
私っておいしいものを後回しにするみたい。
いいものを、いつも
最後のピースだと決めつけてるんです。
というわけで私はとっても回り道をしています。
何々がどうこうしてこんな風に 私に影響を与えました、
なんて言えない道を来ました。
あまり自慢できることではないけれど、
でもその回り道(=経験)の全てが
よくも悪くも今の私を形作っています。
結局、歳をとることってよくわかりません」
同じような悩みを取りあげてみましたが、
読んだ後に、どんなことを思いましたか。
「それぞれ、どんな世界観があり、
どんな訓練の末、どういう方向の疑いや悩みが出たか」
例えば、そう読んでいった後で、
自分の現在の最大の問いに立ち向かってみるとすると、
あなたは、どんなことを思いますか?
ここでは、
さまざまなメールを紹介することだけにしますが、
最後に、一つだけ、哲学の世界で
よく知られている技術を、簡単に紹介しておきますね。
その技術とは、
「このメールの考えはいい」
「このメールの考えは悪い」
と思いつつ読んだ人は、もしかしたら、
事実を見失っているかもしれない、ということです。
「善悪に関する問いを控えるときに、
はじめて重要な事実に気づく」という言葉があります。
それが善なのか悪なのかを問う姿勢は、
考えるための事実を一つも増やさないために、
堂々巡りに陥る場合が多い、という意味なんです。
問いが生まれている以上は、
答えへの道筋は、ある程度決まっているはずでしょう。
見ていることすべてが謎めいている人にとっては、
謎が何なのかさえわからず、問うことができないですから。
そこで、善悪から離れて、
ある問いから生まれる結果が悪であろうが善であろうが、
一度、その問いの結果を見ることが、案外有効なんです。
ある人の悩みをひとごととして眺めた後に、
その悩みの後にどんな事実が生まれるかを見つめると、
「この人は、きっとこの後、こうなってるはずだ」
と、それぞれの悩みが生む結果が、見えてきませんか?
他人だからこそ、余計な善悪をはさまず見える結果が。
問いたいように問うというのもいいんですけど、
「一つの問いがその後に生む事実」
を、たまには静かに、じっくり見つめることも、
助けになるのではないでしょうか?
悩みに限らず、いったん、
「問いが生む事実」を静観することは、
案外、気づきの源になったりするかもしれません。
「いいか悪いかの主張は、人にまかせておけばいい。
本当に明らかなことは、誰だってそうだと言うはずで、
いいか悪いかの議論が起きているかぎりは、
誰も文句を言おうとも思わないはずなのですから」
こう主張した哲学者も、過去にいたわけでして。
この人は、
「議論は、明らかなことに対しては起こらないから、
議論の起こりようのない事実を一歩ずつ重ねたい」
という考えを持っていたんですね。
今回は一つだけ、
「事実」についての考えを、紹介してみました。
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