第8回 プレゼントとしての、問い。
こんにちは。前口上が要らないと思うくらいに、
すぐにみなさんのメールに移りたい木村ですぜっ。
たくさんの投稿を、ありがとうございました。
前回までの予告通り、今回は、最終回とゆーことで、
できるだけ、たくさんのメールを、紹介いたします。
か〜〜なり、なっがくなるよ〜〜〜〜〜。
でも、外の雨をみながら、とか、
静かに親しい人を思いながら、とか、
何か少しゆとりを持ちながらのかたちで、
ぼーっと読んでもらえたりすると、うれしいです。
投稿されたものひとつひとつが素敵だったし、
木村としては、いろいろと考えさせられました。
ぼくは、メールの近くにつながっている生活の、
それぞれの重みをずしんと受けたままの状態だけど、
それをただ受けとめただけでも、もうすでに、
いろいろなヒントをもらっている気がしているの。
・・・あ、前口上は、もういいや。
そういうぼくの感想よりも、まずは、
メールの質とリアルさに直に触れてもらいたいので、
さっそく「どどど」っと、メール紹介に行くよん。
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>私は今25歳でちょうど20代の折り返し地点。
>最近友達と集まると歳の話にしかならない。
>みんななぜだかあせっている。
>
>だけどこの前ある友達としゃべっていて
>彼女の発した言葉。
>「20代前半はいろいろ楽しいことはあったけど
> 全体としてはとてもつらいものだった。
> 戻りたいとは思わない。
> これから楽しいことが待ってる。」
>父親が亡くなったり、恋も波瀾万丈で
>確かに彼女はつらいことも多そうだった。
>でも常に輝いていて、今は夢に向かって
>日々勉強している彼女だから、
>その言葉は意外で説得力があって
>目の前がパーッと開けたように感じました。
>
>そして私の20代前半は・・・。
>全く思い通りにならなかったなあ。
>
>昔よく考えていた私の幸福論はこんな感じでした。
>
>「『幸せ』という形のパズルがあるとしたら、
> いろんなピースがあって、最後の一つが恋愛。
> だから他のピースが全て揃わないと
> すてきな恋愛はできないのだ。
> 完全な『幸せ』にはなれないのだ。
> だから他のピースをはめるべく、
> 自分を磨かなくてはならない」
>
>ストイックなような言い訳のような・・・。
>でもまさに「部品」の考え方でしょ?
>でも実際に恋をすると、
>恋愛しながら他のピースを
>見つけることだってできるはず、
>と思い直しました。
>
>だけど何だかしっくりこない。
>「幸せ」のかたちパズルなんて
>本当はないんじゃないか、
>なんて疑問を持ち始めました。
>ちょうどその頃働きだして時間がなくなって、
>新しい恋人もできてまあ楽しいし、
>考える時間もなくて・・・25歳・・・。
>
>でもこうやって書いていると、
>一つわかったような気がする。
>私っておいしいものを後回しにするみたい。
>最後のピースだと決めつけてる。
>パズル論の名残かな。
>
>今までずっと、1番やりたいと思っていたこと、
>それがもしかしたら1番じゃないかもしれない。
>もっとすごいことがあるかもしれない!
>だとするとさっさとやってみなきゃ。
>
>というわけで私はとっても回り道をしています。
>何々がどうこうしてこんな風に
>私に影響を与えました、なんて言えない。
>言えなかった。
>
>それは意識的に経験を積んでこなかったせいかも。
>あまり自慢できることではないけれど、
>でもその回り道(=経験)の全てが
>よくも悪くも今の私を形作っています。
>
>幸せとか人生とかって、所詮パズルみたいな
>2次元的なものではなかったのかな、きっと。
>
>結局歳をとることってよくわからない。
>でもこうやって考えてたら、
>あんまり怖くなくなりました。
>
>竹子
-------------------------------------------
>大学生です。
>今日は「老人になるための練習」の3回〜5回を
>一気に読みました。そのあいだに、
>一人で作ったご飯を食べたり、
>父親や母親からのメールを読んだり、
>日記をつけたり、いろいろしました。
>それで、僕は急に涙が出てきて、困りました。
>
>むかし、まだ家族と一緒に実家にいた頃、
>母親に対してした様々な失礼で悲しい行為や、
>言い放った醜い言葉を思い出したんです。
>どうしようもなく悲しくて、
>情けなくなって、泣いてしまいました。
>その頃も、今も、
>普段は本当に仲がいいんですけどね。
>
>で、思った事は、僕より何十年か長く生きた
>両親の事がとてもいとしく感じたことで、
>それだけはぼくがどんな風に
>日々を暮らしていこうと
>変わらないことだと信じられます。
>
>今度帰ったら、両親と一緒にご飯を作りたいです。
>
>オ
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>「老人になるための練習」は
>すごくびっくりして見ています。
>今23歳なのですが、最近なんです、
>ひとりひとりの人がこんなにも
>いろいろな想いを持って生活してると知ったのは。
>ずっと心のどこかで馬鹿にしていたんだと思います。
>でも一番馬鹿で傲慢だったのは自分なんです。
>
>以前、女の子を口説くのを
>ゲームのような感覚で
>楽しんでいた時期がありました。
>すごく変な言い方ですが、
>これって訓練で上達するんです。
>ピアノの練習を繰り返せば段々上達するように、
>女の子も口説くことができるんです。
>
>・・・・でもそれだけなんですよね、
>ピアノが弾けるようになるだけなんですよ。
>周りの友達やなんかには、
>うらやましがられたりして、
>気づくのに時間がかかりました・・
>
>いっつも、なにか発言するときや、
>話をするときに、スマートに
>話をまとめたいと思って、いろいろな
>言葉の組み合わせやなんかを考えていました。
>
>きっと謙虚さがなかったんでしょうね。
>「たましい」が僕には無かった気がするし、
>その部分を出さないで格好良く生きているイメージを
>みんなに持ってもらいたかったんだと思います。
>
>なさけない自分の時はすごくたくさんあるんです。
>でも出せなかったんです、
>自分にはよいイメージがあるんだからと
>勝手に思って、それを崩さないように
>しないと、って考えていました。
>
>先月、会社の尊敬する上司に言われました。
>「確かにおまえは、人付き合いが上手だし、
> 言葉も正確に使うよ、けどね、
> おまえの言葉から熱を感じたことがないし、
> ことばの奥にある何かってのが全然みえないよ、
> もっと素直に自分を表現してみたら」
>そのときはすごいショックで、
>泣きそうになりました。すごく思い当たるからです。
>
>でも聞けて良かった、本当に良かったです。
>きっとその上司は、
>たいした事の無い自分をさらしても
>人は離れていかないし、もしも離れていくのなら
>それは仕方が無いことなんだよ、と
>言いたかったのだと思っています。
>
>きっと時間はかかると思いますが、
>そうやって成長して大人になりたいなと
>思いました。
>
>こんなに自分に向き合って
>正直に話したのは初めてです。
>書いてみると情けない自分がたくさんいて、
>すごく気分が良いですね。
>
>ゆう。
------------------------------------------------
>今22歳です。
>歳をとる、ということが
>まだ実感できないでいる歳です。
>
>歳をとると、何がどうなるんだろ?
>例えば中高生の時から今までを振り返ってみると、
>苦しんで、考えて、がんばってみて、
>途中で落ちていってまたはいあがって、
>という繰り返し。
>
>私は、これがずっと
>死ぬまで続くような気がするのです。
>孤独だって、一生ついてまわるでしょう?
>と思うのです。
>
>高校の時、友達が
>「人生ひまつぶし〜」と言っていました。
>ひどい言葉ですよね。
>でもそれを何かにつけて
>思い出してしまうのです、私は。
>
>どこかで、そんなもんなんだ、と
>感じているのかもしれません。
>
>でも、せっかく生きているのだから、私はせめて
>自己満足できる人生にしたいなあと思います。
>自分に対する甘えではなく、
>自分の理想とするものを
>いつでもを追っていける生き方を。
>
>自分の無知無力を、
>どんなに思い知らされても。
>グレイ一色のなかにいても。
>
>こういうのって、
>やっぱり若さからくる言葉なのかな?
>歳をとることや死が、今いちつかみきれていない、
>その傲慢さからくるものなのかな?
>
>AS
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>私は現在24歳。
>2歳の頃に軽い心臓病をわずらっていらい、
>したいことをしたいように
>させてもらってきました。母は心のどこかで、
>私がいつ死んでも悔いが残らないように、と
>思っていたようです。そういう母の口癖は、
>『おもいっきりやってきなさい』です。
>
>そんな母の影響からか、何かにつまずいて
>挫けそうになった時、怠けそうになった時は、
>今人生が終わっても後悔しないか、と
>心に問いかけるようになりました。
>
>そして、今、実際にそうなっても
>悔いは残らないだろうなぁと思っています。
>
>かといって、将来に希望を持っていないわけでなく、
>幼い頃から描いていた夢を現実に叶えつつあります。
>小さい頃から思春期にかけては
>『今が一番楽しいはず』
>『オトナになんてなりたくない!』
>とか思っていましたが、
>それなりに挫折なんかも味わいつつも、
>年々いろんなことが面白くなっています。
>できることも増えましたし。
>
>活き活きしている人生の先輩方をみていたら、
>これからもっともっと面白くなってくるのでは?
>なんてわくわくしています。(あまいかな?)
>
>とりあえずは、いままでどおり
>毎日毎日、後悔しないよう
>楽しく突っ走っていようかなと思っています。
>歳をとることに
>おびえてばかりはいられないですね。
>
>ジュンコ
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>15通のメールを読んでると、
>その裏に潜んでる真理みたいなものを
>探そうとしてる自分がいる。
>15通のメールで15種類のことが書かれてて、
>でもそれは実はみんな同じ
>一つの真理のまわりを漂ってて、
>その薄い皮一枚の裏にある真理に
>届きそうで届かなくて、
>その真理みたいなやつを
>ディスプレイの前に座りながら、
>見抜き出して、掴んで、
>胸にしまっちゃおうとしてる
>自分がいるなあってことに気付いた。
>
>今はまだ19歳。
>いろんなものに出会えば出会うほど、
>自分の未熟さを感じて、あせって、
>その差をどうにか一瞬で埋める手立ては
>ないかって考えてる自分に
>最近ようやく気付きはじめつつあるみたい。
>
>歳をとるっていうのには
>近道なんてないんだなあってことが
>ようやく分かり出した気がする。
>「何もしないで過ごしていたら
> 何にもなれなかった、っていう、
> すでに枯れてしまっている若いヒト」
>っていうのがまさに今の自分かな。
>
>ただ最近ほぼ日を読んでて思うのは
>自分だけじゃないんだなってこと。
>「何もしない〜若いヒト」をどうにかしようって
>悩んでる人は他にもいっぱいいる。
>なんか目の前に一世一代の大問題がぶら下がってて、
>そいつを解決しさえすれば世界が晴れ渡ってて
>スキップしながら進めるって
>思ってる自分がいたけど、
>でもこんなのは実は大問題なんかじゃなくって、
>その辺にいくらでも転がってるような
>やつだったんだなあって。
>
>たぶんこんなのはいくら悩んだって解決しないし、
>解決したと思ってもそれは多分勘違い。
>未熟じゃなくなろうって努力したって
>苦しいだけで、未熟なまんま、かわらない。
>歳っていうのは気付いたらとってるもので
>振り返ってみたら、結構な
>厚みを感じたりするものなのかなあって思ってます。
>
>年相応と不相応とか考えてみても、
>結局自分は自分だなあとか。
>
>でもそう言いながらも、
>相変わらず悩んでる自分がいたりする。
>「悩みがあるんじゃない。悩んでる自分がいるだけ。
> 悩みが解決するんじゃない。
> 悩んでない自分がいるだけ」。
>そんな偉そうなことを考えながら。
>
>いけだ。
------------------------------------------------
>僕の田舎のばあちゃんは、
>「あたしの独身時代は3日しかなかった」と、
>笑い話でもするように言います。
>結婚してお国のために米を作るという
>口実があれば、学徒動員から逃れられるから、と、
>ばあちゃんの母さんが
>結婚相手を探してくれたんだそうです。
>
>ばあちゃんは、指を失って
>戦場から帰ってきたその青年(今のじいちゃん)の
>顔も知らないまま、
>高校卒業の3日後に式を挙げました。
>母さんが大丈夫って言う人だから間違いないよ、って。
>
>本当に和やかに、笑い話でもするみたいに話すのです。
>笑い話みたいに話すから、
>笑い話みたいに聞いていたけど、
>あらためて考えて見たらぜんぜん笑い話じゃないです。
>若さも夢も3日で捨ててしまった、っていう、
>話しようによってはいくらでも泣き話になる話を、
>なんでそんなふうに笑い話みたいに話せるんだろう?
>同じ場所に立たされたら、
>僕だったら泣き話にしてしまうかもしれない。
>笑い話にできる自信がないです。
>
>夢を追って田舎から出てきた僕に、今でもたまに
>ばあちゃんはラブコールをかけてきます。
>
>そのへんのことを一度ばあちゃんと
>じっくり話してみたい気もするんですけど、
>何と言って切りだしゃいいのかわからないので、
>やっぱり話せないままになってしまいそうです。
>
>そう思うと、新聞まで作っている
>ガンジーさんのお孫さんたちが
>羨ましいように思います。
>「炭団とパソコン」ばあちゃんに買って帰ろうかな。
>
>Kaz
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>ものすごく良いです、このコーナー。
>第八回までに絶対に投稿するぞ、と思いつつも
>試験に追われて今に至ります。
>(本当は明日もテスト‥‥)
>
>十九歳です。もう数ヶ月後には交番の前で
>堂々とお酒、タバコを呑めるのかと思うと
>かなりぞっとします。ちょっと怖い気もします。
>
>まだ十一歳だった頃の十九歳の自分のイメージと
>今の自分はやっぱり多少違ったりしているわけで。
>十歳の頃は十九歳なんて遠い未来に思えたわけで。
>九歳の頃はノストラダムスの予言通りに
>「僕の人生は十九で終わる」と思っていたわけで。
>
>でも、こういった「過去の自分に対する裏切り」って
>なんとなく心地よくて、
>自分の成長を感じてほくそ笑んでます。
>だから老いることはすごく楽しみです。
>
>三十歳までには人生でやりたいことを
>まぁほとんどやっているだろうから
>(結婚もしていて、子供もいて
> 倦怠期も子供の反抗期も経験しなくて良いし)
>三十歳で死ぬなら悔いはないだろう、
>なんて思ってました。
>
>でも親の
>「親より先に死ぬのは、出来るならやめてくれ」
>という言葉に考えを変えさせられました。
>親不幸、親孝行、の問題ではなくて
>ただ確かに自分の子供が先に死んだら
>悲しいだろうな、と気づきまして。
>
>心理学では、要するに人間の感情は
>「山あり谷あり」で上がったぶん下がり、
>下がったぶん上がる、といったことらしいです。
>(いや、明日これがテストなもので‥‥)
>
>もし僕が明日、テスト中に
>脳溢血で死ぬ運命なのであればしょうがないけど
>そうでないならば、出来る限りたくさん、
>人生の山と谷を経験したいなぁと思います。
>
>だからとりあえずのところは色々とやってみます。
>マークシティの屋上で酔い覚ましがてら
>パチンコ屋のネオンを見ながら
>友達とたわいもないことを話した夜、
>その帰り道で見た、照明が落ちた東京タワーの切なさ、
>全部きっと「未来の自分」を築き上げる
>大切な要素だと信じてます。
>
>自尊心を持ちつつも呆けてしまった自分、
>自分の命の終わりを悟ってしまった自分、
>これらを想像するのはものすごく怖いです。
>ガンジーさんのすごさ、
>重々承知してます。尊敬してます。
>
>だからとりあえずのところは目の前の、
>明日の心理学のテストだけを心配させて下さい。
>乱暴な言い方をするならば、
>そういった恐怖は後回しにしたいと思います。
>
>これができるのが「若さ」なのか?
>恐怖と、面と向きあえられるのが「老い」なのか?
>
>うーん、よく分かりません。
>いつまでも逃げられないことも分かっているけれど
>とりあえずは「分からんプー」と言っておきます。
>
>映画「Leon」で、マチルダが
>「I am already grown up, I just get older.」
>と言うのですが、見た当時、自分と
>すごく(考えが)似ていて感動したのを覚えてます。
>これって字幕にはどう出てたのでしょう。
>すごくむつかしいですよね‥‥。
>
>それから少し成長した自分は、
>自分がまだまだgrown upでないと思いたいです。
>だからまだ具体的な「老い」の
>イメージは考えたくないです。
>フワフワとした楽しいものだと信じていたいです。
>それで数年後、今の自分の考えを
>ほくそ笑みたいです。
>
>トワ
-----------------------------------------------
>42歳です。
>若いときは、これがこう云う結果になる。
>だから、やめようとか、やっておこうとか、
>もうダメだとか、頭の中で決め付ける事が、
>随分多かったように思います。
>
>あれから、いろんなときの流れを通り抜け、
>自分はいろいろな人の流れの中で生きていて
>時の流れ、偶然の積み重ねの中で
>喜んだり、悲しんだりしているのだと、
>実感できるようになりました。
>
>今はこんな風だけど、
>これがずっと続くわけじゃない
>(良いことも、悪い事も)と、気を取り直して、
>肩の力が少し抜けるように思える事です。
>
>決して無気力になったり、他人任せになるのではなく
>自分がやるべき事はするけれど、
>結果は、いろんな偶然の中で、周りの人の中で、
>思いがけない形で、現れるんだろうな。
>と、想像するからです。
>
>自分を信じて、突進していく事は、
>若い人にも、中年にもそして
>おそらく熟年の方にとっても、
>ステキで大切な事だと思います。
>
>若い頃、すぐに思い込んで、
>突っ走ってしまう私に、
>「負けるが勝ち、を覚えなさい。」
>と、母が言っていたことを思い出します。
>
>あれは、自分で物事を決め付けるんじゃなく、
>周りの人の思いやったり、時の流れを
>腐らないで待つ事を教えてくれていたのかな。
>
>人生40年だとしたら、
>まだやっと半分が過ぎたところです。
>自分の老いを考えると、不安がたくさんありますが、
>20年以上もたって、初めて判る事もあるのだから、
>肩の力を抜いて(これがとても難しい。。。)
>泣かずに、腐らずに、
>ボチボチいきたいと思っています。
>
>みゅう
-----------------------------------------------
>成長、ということについて
>最近考えることが多いです。
>
>「結婚はお互いに成長すること。
> お互いが成長できるような相手との結婚が理想」
>
>これは割とよく聞く話で、
>私も漠然とそうだろうなーと思っていました。
>でもその成長とは、勉強や趣味、
>思索といったいろいろな側面で
>お互いが刺激をし合い、
>切磋琢磨していく類のものだと思っていました。
>
>でもある方がこう仰いました。
>「結婚してぶつかる予期せぬ問題
> (例えばお互いの家族や子供の問題とか)
> から逃げずに、お互いがまっすぐ向き合って
> その問題を乗り越えた時が成長だ。」と。
>
>これは衝撃でした。
>
>今までの私は、
>成長は個人によるものだと思ってました。
>でも彼の言う成長は、相手を向いている。
>
>そしてまた、生物学者の方からは
>こんな話を聞きました。
>「せいちょうには2つある。
> 1つは植物でよく使う生長。
> もう1つは動物で使う成長。
> この違いがわかる?
> 生長はあくまでも形が大きくなること。
> 成長は物事がレベルアップして、
> ステップアップして、
> phaseが変わることなんだよ。」
>
>私は死ぬまでにいろんな段階に進みたいです。
>いろんな階段に足を踏み入れたいです。
>少しでいいので、
>高さの違う階段を登っていきたいと思います。
>
>亀ゼリー
-----------------------------------------------
>若い頃は自分中心に世界が回っていて、
>自分はこんなにいろいろ考えているのに、
>世間の人(他者)は、のほほんと、
>何も考えずに生きてて幸せだな、
>と思っていました(すごい傲慢、無知)。
>
>でも結局、頭が体育会系だった私は、
>熟考する前に行動してしまって、失敗して、
>傷ついて(きっと人を傷つけたことでしょう)、
>いっぱい涙を流して、ちっぽけな自分に気が付いて、
>「体験」を通じてわかったことが増えてきました。
>
>この前、知り合いに
>「ほぼ日読んでる人って、真面目に
> 人生考えている人が多いよね。」と言ったら、
>「今迄、あなたが人のこと見てなかったから、
> 気が付かなかっただけじゃない」
>と言われて、目からウロコ。
>
>ほんと、今迄自分だけが偉くて
>他の人はばかだと思っていたから、
>わからなかっただけなんですね。恥ずかし。
>
>大人になってわかることは、
>言葉や頭でわかるのではなく、
>体でわかるというか、腹の底でわかる、
>ということですね、ほんと。
>自分で体験して、痛い目にあって、
>何度も同じ過ちをくり返して
>初めてほんとうにわかる。
>
>まだまだわからないことがいっぱいの私ですが、
>若い頃より少し、「もうすぐ腹でわかりそうだ」と
>思えることが増えてきました。
>それは楽しい「実感」でもあります。
>
>「さ」
---------------------------------------------
>「アンチテーゼはテーゼに回収される」というところ、
>わたしの「いい言葉」ノートにメモってしまいました。
>この思想が、いまの私を作ってくれたと思います。
>
>卒論を書くのに資料を調べていた時、
>偶然ジョン・レノンのインタビューを目にしました。
>オノ・ヨーコとの出会いのときのことです。
>
>ジョンが、まだ何物かも知らなかった
>ヨーコの作品展に行った時、入り口か出口だかに、
>望遠鏡のようなものを覗いてみる、
>という作品があったので、彼はそこを覗いてみた。
>すると、筒の先には、
>一言「YES」と書いてあったそうです。
>
>この一言が「NO」だったら、
>ジョンはヨーコに興味を抱かなかっただろうという、
>そういう内容でした。
>
>当時わたしは自分の性格とかとっさの判断とか、
>そういうものが嫌いでした。
>どうにか今の自分を変えたかった。
>ヒントは、「YES」だと思った。
>自分は今まで無意識のうちに
>「NO」を出していたんじゃないかと思ったのです。
>
>「YES」といえる明確なものがないのに、
>めんどくさそうだとか、関わりたくないとか、
>そういう理由で、“とりあえず”
>「NO」と言っていたのではないかと。
>
>それからは、判断に迷う時は、
>“とりあえず”「YES」という思考にゆだねることに
>意識的にしてきました。
>やって後悔することのほうが、
>いままでのようにやらなくて後悔するよりは
>ずっと得るものが多いと思ったからです。
>
>31歳のいま、当時のわたしよりは、
>自分が好きになってきました。
>無論、いままでの判断の中には、
>今でも、それでよかったのか、
>自分でもわからないものもあります。
>もしかしたら、一生わからないのかもしれません。
>それで、失ったものもあります。
>
>でも、当時のわたしには
>想像もできなかった人生の中に、今わたしはいます。
>今のところ、満足しています。
>
>これからは、今まで以上に、判断が難しいことが
>多くなってくるような気がしています。
>でも、“とりあえず”「YES」と言って
>進んでいきたいなぁ、と思っています。
>
>マユゲネコ
-----------------------------------------------
>うちの母は、老いることをとても恐れます。
>「若い」ということを、何よりの褒め言葉としています。
>でも、私は「そうかなあ」とずっと疑問でした。
>若いからって、それでいいのか?と。
>
>女性として、若々しくありたいと思うのは、
>確かにあります。
>しみは少ないほうがありがたいし、
>髪も声も、はりを失いたくない。
>でも、それと別に、
>老いることって悪くないと思うのです。
>
>私は、歳をとっていくことは
>自由が増えることだと思ってきました。
>たまたま、私の人生が
>枷を多くはめられていたのかもしれません。
>でも、小学校や中学校は「義務」教育だし、
>部屋は親に「貸してやっている」と言われてきたし、
>親の金で生活している以上、
>勝手なことはできませんでした。
>その頃の私は、追い出されたら住むところがない、
>だから親の言うことはきかなくてはいけない、
>と本気で思っていました。
>
>今の私は、自分で稼いだお金で
>自分のものを買えます。
>家をでようとすれば、
>どうにかして出ることができます。
>とりあえず家出少女として
>保護される心配はありません。
>
>その裏には、仕事での大変な思いとか、
>複雑になる人間関係とかの悩みは当然発生します。
>でも、家を出る自由や、
>好きなものを買える自由は、
>何にも代え難いと思うのです。
>
>たくさんの選択肢。
>迷うことばっかり、反省ばっかりです。
>でも、選べるものが増えた、
>悩むだけの考えが増えたというのは、
>とても嬉しいことです。
>
>タンポポ
-----------------------------------------------
>21歳の学生です。
>「クリエイティブとは何か」の特集を読み、
>勝ち負けのない世界というフレーズが
>頭の中に残ってて、あれから絶えず考えています。
>「老人になるための練習」第六回の
>みずさんのメールが印象的でした。
>何もしなければ何にもなれない恐怖。
>部品としての個性。
>いたいところをつかれた気がします。
>
>いま僕の立っている世界は、
>勝ち負けのある場所で、
>なにか価値あることを極めることが求められていて、
>極めたところで、その個性はキャラクター
>(劇か漫画のような)としてだけ認識される所です。
>
>何かが常に流れていて、その流れに抗うことも、
>流れの先を泳ぐことも難しい。
>僕はその世界が嫌いではないし、
>違う世界をイメージすることができない。
>浮かぶとすれば、田舎で晴耕雨読する生活の
>イメージです。でも隠遁生活は好きではありません。
>
>人とは違う生き方をしてるんだという
>ある種のポーズ、気取りを感じるし、
>一人で生きてることの満足感には、
>「それは違う!」と叫びたくなるからです。
>
>周りに人がいる。
>だから僕は伝えることを大切にしたい。
>それでも今に
>違和感を感じないわけではありません。
>
>前まで住んでた世界は
>「広げなさい」という世界でした。
>それで広げてみた。そしたらわからなくなった。
>可能性が広がったところで、全ては選べない。
>困ったことに選ぶ基準もない。
>飛び込んでみなけりゃわからない。
>時間は限られている。
>モラトリアムも長くは続かない。
>広げた後は、選ばなきゃなんなかった。
>それに気付いて、まず自分のいる場所を
>確認してみたら、わかったのが上述の世界でした。
>
>感じてる違和感をまともに解消することは
>できないのだけれど、方法は浮かぶのです。
>たぶん、ひとつじゃなくて、
>ふたつ自分が大切にしたいことをもてばいい。
>一個守ってるのに苦しくなったら、
>もうひとつに渡り、まただめだったら、戻ればいい。
>その代わり、どっちも捨てずに守っていく。
>そうやってバランスとってけば、
>うまくいくかも。と考えてるのですが、、、
>まだ成功してないし。
>勝ち負けのない世界では
>成功なんてのもありえないのだろうけど、
>成功も捨てられない。
>だから勝ち負けのある世界と
>勝ち負けの関係のない世界、
>ふたつとも選んで、やってこうと思います。
>
>ダン
------------------------------------------------
>体験を振り返ってみると、
>つらかったことより、夢中だったことで
>私はいくぶん育ったと思います。でも
>「それは今までのが本当のつらさじゃないからだ」
>そういう答えの選択肢が常にあって、無視できない。
>
>じゃあ、本当のつらさって
>何だっていうと、わからない。
>そういう純粋なものがあるのかっていうのも、
>わからない。
>
>見落としがちな小さなことに、
>幸せがぎゅっと詰まっていたりするから、
>際立つような事件じゃなくても、
>本当のつらさが潜んでいるかもしれない。
>でも、もしそうだとしても、
>きっと純粋に味わえるものじゃないはず。
>ああつらいなあ、と自分に甘えてみたり、
>もっとつらいことがあるだろうな、
>と想像したり、何かしらの加工はするはず。
>だいたい、つらさを知ろうなんていうのが
>そもそも傲慢のはじまり。でもやっぱり・・・。
>
>なんて、わかっているフリして、
>同じループをくるくる回っています。
>整理べたです。
>
>そういう風に思ってしまうのは、
>質なんだから、仕方ない。
>なくしたり、正当化する方法を考えるよりも、
>なるべく影響されない
>やり方を覚える方が役に立つ。
>生きることは、まだ、できる。
>生きていてほしいと、思ってくれる人がいる。
>そういう根拠を持つことが、
>とりあえず、切り札になっています。
>
>いまの状況を、泥沼みたいに感じています。
>表面でばちゃばちゃ騒いで、
>気をまぎらわすこともできるけれど、
>疲れると、どんどん下に沈んでいってしまう。
>これが、山あり谷あり、多様性のある旅路だと、
>そういう言い方もあるでしょうが。
>でも、いまは苦しいこの粘着質の泥に、
>私はまだ期待もしています。
>
>どうあがいても、生きる以上のことはできない。
>それなりに生きてきて、
>まだ生きようとするのは、期待を捨てられないから。
>私にとって幸せは、
>足るをちょっと知れたとき、そういうときだった。
>
>でも、たいていの時間は、後悔したり、
>まだ、もっとを欲しがったりしている。
>そういう時間がなんとか絡み合って、
>いまになりました。
>これがもうすぐ22になる、私の老いです。
>
>SAE
------------------------------------------------
>潔癖というか神経質というか
>「うそ」が大嫌いな21才女子大生です。
>
>「昔にぼくが言ったことに、
> ひっきりなしに振りかえらないで欲しい。
> ぼくが言ったことは、
> 言った瞬間にすでに忘れられるんだ。
> ぼくは、忘れるために、ものを考えるのよ。
> 過去にぼくの言ったことには、
> もう、何の意味もない」
>
>というフーコーの言葉に少し助けられました。
>私は将来作家になりたいのです。
>ストーリー性のあるものではなく、
>独自の思想みたいなものを表現したいのです。
>私を見て欲しいのです。
>
>それで「ネタ」をたくさんあたためているのですが
>それを出すタイミングがわからなかったのです。
>今日私がおもったことが
>次の日は私の心とは距離のある言葉になっている。
>それが気持ち悪くて歯がゆくて・・・
>昨日の私は、今日の私からみたらうそつきだ!!
>なんて思ったりして。
>
>今はアンテナを張って
>いろんなことをキャッチして、
>自分が出来上がったら発信しよう
>それは40歳か50歳か・・・
>な〜んて、年をとれば自分というものが
>「完成」すると思っていたんですよね。
>
>今この瞬間にしか考えられないこと。
>それを主張するのもいいかもしれない。
>そう思えるようになりました。
>決して今の自分を
>使い捨てにするということではなく
>私の分身として、隣に置いておくことにします。
>
>あ〜なんだか、私が
>私の分身を「正直者」と呼びそうだわ。
>
>M
------------------------------------------------
>あたし46歳ですけど....
>そんなふうに考えたの30すぎてからです。
>今でも、今この一瞬が一番若い、
>人生遅すぎるは無い、と思う方なのですから..。
>何事にも一直線に没頭し、
>思い切り挫折し、とことん落ち込み、
>また、懲りもせず、挑戦しの繰り返し、
>
>さすがに、最近は少し
>立ち直りが遅く成ってきて..
>自分の性分に疲れてもいますが、
>でも、ここまで来ると、
>行けるとこまで、このままでもいいかなぁ..。
>
>自分に正直に生きるのは、きついですよ。
>まわりの人を悲しませたり、
>傷つけることも多いし、
>もちろん、自分は傷だらけのポロポロ...
>やせ我慢もしたりしてね。
>だけど、そんな自分が好きですよ。
>
>幾つになっても
>柔らかな心を失いたくは有りません。
>
>romisys
--------------------------------------------
>祖父は、無口で、友達もほとんど居なくて、
>趣味もなくて、お店のお金を
>コツコツと数えることが、毎日の仕事でした。
>90歳近くになった時のこと、普通に、
>2階で昼寝をした後、階段から降りてくる途中で、
>転倒して、頭を打ってしまいました。
>それが原因で、痴呆が始まりました。
>
>運良く、病院が見つかって、
>そこへ入院することになりました。
>祖父は、病院のことを、
>戦地の病院と思い込んでいて、
>いろいろなことを真顔で喋ったあと、
>みんなと丁寧に握手して、
>深々とお辞儀をして去っていきました。
>
>お見舞いに行く度に、記憶が曖昧になって、
>「おじいちゃん、私の名前わかる?」
>「わかるよ、わかる。ええと・・・???」
>というような、会話も交わしました。
>
>私の好きなネコの写真を持って行って見せたら
>「見せて見せて」と喜んでいました。
>寝たきりになってから、
>鎖骨の辺りを撫でてあげたら、
>「もっとやってや」といってました。
>
>それから祖父の意識は、
>転倒してから1ヶ月ほどでなくなり、
>間もなく亡くなりました。
>生前のことはあんまり誉められないのに、
>このほのぼのとした、
>コミカルな痴呆と、穏やかな死は、
>みんなに羨ましがられています。
>私も、できれば、こういう「死」を望んでいます。
>
>ヤマチ
-----------------------------------------------
>「老人になる練習」に、うなりました!
>周りに、こういうおじいさんおばあさんに
>なりたいなあ、と思わせてくれる人がいて、
>今、自分で納得しきれないいろいろも、
>そうなるための素か。と。やっぱ、良く咬もう。
>せっかくだ。と思えました。
>
>それにしても、普段、年は関係ないな。
>と感じることはあったけれど
>15歳の人たちのメールには、拍を感じました。
>
>なかなかすいすいとは進めず、
>私のおばあさん修行はとろとろ続くよですが、
>また、いろんな人たちの練習の様子を
>のぞかせてもらえるのを楽しみにしています。
>
>聖子
-----------------------------------------------
>よそ者とか個性の話なんですけど、
>たとえば動物園にライオンているじゃないですか。
>ボク達はそれぞれ感想を持ちます。
>「姿がかっこいい」とか。
>でも、檻から出て自分に食いかかってきたら
>「かっこいい!」とか言う人はまずいませんよね。
>
>学校でも「個性を大事に」とは言うんですけど、
>常識から根本的に断絶している人を
>個性的だとは言いません。例えば人殺しに
>「あなたは個性的だ」なんて言わないわけです。
>
>ボク達が誉め言葉で「個性的」と言うときに、
>どういうことを表しているんでしょうか?
>「個性的な人」と言うのは
>「常識の中で非常識な人」のことでしょうか?
>結局、自分との間に本質的な断絶がある人とは
>つきあい難いような気がします。
>
>でも、本質的な断絶を感じさせる人って
>刺激的だな、とも思います。
>怖いもの見たさか、自分の一面を見ているのか、
>近づけば得るものがあると思っているのか、
>攻撃したいのか、攻撃されたいのか。
>自分と全然違う人は何らかの理由で
>ボクを惹きつけるようです。
>
>程度の差こそあれ、自分と違う者を
>自分に同化させよう、遠ざけようとするのは
>みんな同じだと思います。
>もしそうじゃなかったら、
>人殺しとか見ても何も感じないと思います。
>
>また、自分と同じところが
>自分以外の人にもある、と思わなかったら、
>人間やっていられないような気もする。
>
>だって、自分と全然違う生き物が
>ウロウロしてたら怖くて歩けないでしょ。
>じゃあ、やっぱり自分と
>一番隔たりのある人間との距離は、
>自分とライオンとの距離よりは
>短いと言うことでしょうか。
>
>人間は人間に人間らしさを期待している。
>でも、人間らしさってなんだろう?
>
>まちい 20歳 大学生
-------------------------------------------------
>イキオイやナリユキで
>がむしゃらにやっていた時をすぎ、
>結婚して子供が生まれ、足がとまりました。
>
>若さや情熱だけじゃないものを
>いろいろ知って自由に選択できるはずなのに、
>どこかに行くべきかアタマが先に考えてしまう、
>今って逆に不自由?
>
>でも、若いまま自分だけを信じて
>かたくなに生きていくのも不自由だろ?
>
>まこと
-------------------------------------------------
>私は28歳です。
>でも、童顔のせいで24〜25歳かとよく言われます。
>アメリカでは、IDなしでお酒を買えた試しがありません。
>それがずっとコンプレックスでした。
>
>私は、年をとることも、
>年とともに外見が老けることも
>構わないって思ってるんです。
>中身さえ、年相応に成長できているのであれば。
>そして、成長し続けたいから、
>自分なりに目標を決めて努力しています。
>
>友達で、すごく年と若さに
>こだわっている子がいて、
>その子は誕生日が3月なので、
>「私はまだ(あなたより)若いもん」と
>よく言います。
>私が、「私は若さにはこだわらない」って言うと、
>「だめだよ、そんなこと言っちゃあ」と、
>まるで私が人生を放棄したかのような
>口振りになるんです。でも、違うんだよな〜。
>私は、私の価値を、
>「若い」以上のところに置きたい。
>でもそれをうまく分かってもらえない。
>
>確かに、若さは絶対的な武器ではあると思います。
>だって、それは努力で手に入るものではないから。
>若いっていうだけで許されることもたくさんあるし。
>
>でも、その若さを脱ぎ捨てたとき、
>自分に残っているものを大切にしたい。
>それが結果として「若々しさ」につながるならば、
>それは嬉しいことだけど。
>
>と、言いながら、外見の若さに
>コンプレックスを感じているのは
>やっぱり年を気にしてるからかなぁ。
>
>高村智恵子は、50過ぎで亡くなって、
>それでも28くらいにしか見えなかったそうです。
>彼女の純粋な(狂ってしまうほどに純粋な)精神が
>肉体の老化をとどめたんでしょうか。
>
>Ma
------------------------------------------------
>30歳になったとき、とてもうれしかった。
>もう若くなくていいんだぁと楽になれました。
>世間では十分若いのかもしれませんが。
>
>誰がどう見ても若いとしか見られない自分。
>年齢を特別意識していた訳ではないつもりなのですが、
>若くないといけないと思っていました。
>ただ単に自分の思い込みだけだったような気もします。
>そうやって自分で袋小路に入っていっちゃうのが
>思春期ってやつなのかもしれませんね。
>
>最近白髪なんぞを発見して「おぉっ。」と楽しんでます。
>自分や他人とのうまいつきあい方をしていくのが
>私にとっての老いでしょうか。
>「若くない」イコール「老い」ってのもなんだか変だけど。
>
>でも、どんどん我が強くなっていってるのも事実なんですよね。
>実は結構若くなっていっているのかも。
>
>
>げん
-----------------------------------------------
>会社帰りなにげに考えてます。
>最近ふと思った事は、
>自分の年齢になるとなぜ転職を考えだすのか。
>転職で入られた方って
>ちょうど今のわたしの歳ごろなんです。
>そう言えば、入社当時の頃
>なぜ転職したのか聞いたとき
>「この歳になるとわかるよ」と言われて、
>ふーん。そうなんだ。としか思えなかったわたし。
>今、そのころ変化を求めた彼女たちの歳になり、
>気がつけばわたしも考えていた。
>あっ。なんだかなぁ〜という感じが
>わたしを覆ってる。これってなんだろう。
>
>み
------------------------------------------------
>自分の良心と理想に
>真っ向から向き合って戦ったことがない人と
>戦ったすえ、何度も負けて何度か勝った人と、同じ
>「それは理想論。人は強い人ばかりじゃないんだ」
>という台詞でも、言葉の響き、
>顔つきの違いで見分けられるようになったのが、
>もう、20代になってからでした。
>
>前者と後者じゃ比較対照になんないですよ。
>後者で最高峰の人たちは、
>強くない人たちをどうしたらいいだろう、
>なにがしてあげられるだろう、
>と考えてる。いつもじゃなくったて合間合間にね。
>
>でもね、ここが肝心なんだけど
>自分のやりたい事を、やりたいときに
>やりたいだけやってる人って、後者だったりする。
>本気なんだ。自分が気持ちよくなることに。
>そのためにあらゆる事を考える。
>「強くない人たちをどうしたらいいだろう、
> なにがしてあげられるだろう」
>なんて、ぱっと聞き押し付けがましくて、
>腹黒く聞こえるでしょう。
>でも彼にとっちゃ、その強くない人たちを
>ほったらかしとく自分が、気持ちよくないわけよ。
>単純に。死活問題なんだ。
>
>自己責任を果たすエゴイスト万歳。
>こうやって歳をとると、なんだか知らないけど
>いい顔になるんだよな。自信の固まりみたいなさ。
>
>同年代でそんな顔つきの人を見ると、
>"やばっ、負けてる...。"と思う。
>これが今の私。
>10年後にはどんな自分を見られるかな...。
>
>やぐなり 26
------------------------------------------------
>私は22歳の大学生です。
>就職活動をずっとしていましたが、
>今だ就職先は見つかっていません。
>「これがやりたい」という夢が小さな頃からあって
>必死にその職種の会社を回っていたのですが
>良い返事がどこからももらえないままです。
>
>こうなってくると、
>自分は本当は向いていないんじゃないか、
>本当にやりたいのか?
>私には魅力がないのか?
>という自問自答が多くなってきて、
>最後には、「自分に足りないもの」のことばかり
>考えてしまうようになりました。
>「自分がもっているもの」じゃなくて
>「自分がもっていないもの」を数えることほど
>苦しいことはありませんでした。
>
>「マットウな人生」って何なのでしょう。
>私は、社会で言われている一般的な
>「マットウな人生」から、
>少しはみ出してしまいそうです。
>でも、今までその一般的な
>「マットウな人生」の波に乗り、
>疑問も持たずに生きてきた私にとっては、
>この体験は、多少なりとも自分の糧になりそうです。
>苦しんだけども、その分見えてきたものもあります。
>
>今は、自分がどうしていきたいのか、考えています。
>就職活動も、まだするつもりです。
>今までやりたかったことに対しても
>がんばっていきたいと思っていますが、
>その小さな頃からのある意味で呪縛、
>のようなものに縛られることもやめて、
>これからはいろんな職種に
>目を向けていきたいとも思っています。
>
>K
-------------------------------------------------
>今、自分は21歳のガキです。、
>最近悩み事もあってか、考えさせられました。
>その悩み事の上で、自分は
>「生きる事って何?」って聞かれたら、
>こう答えようと決めました。
>
>今までで一番いい顔をして
>『んなもん、くそ食らえじゃ!!』と叫びます。
>それすらも気にしないほどの
>生きる勢いを持ちたいという意味です。
>これは通俗的な考えかもしれませんが、
>この考えを導くのには半年かかりました。
>
>でも、誰もがこのことを考えるなら、
>この考えにすんなりと行き着く人や
>僕以上に時間がかかる人もいるはずです。
>そうなら、そこまでの経緯(経験)は、
>『得られるものが同じなら
> 経緯の大小は馬鹿には出来ないもの』
>じゃないでしょうか?と考えてます。
>
>A−24
----------------------------------------------
>私は現在28歳ですが、これまでの人生で
>単純に数えて2回ほど鬱状態を経験しています。
>その2度目の鬱を克服して(と思っている)
>現在に至るわけですが、
>神経症というヤツにも幼い頃から悩まされ続け、
>2度目の鬱を克服するときに、
>ようやく神経症からも解放されたという
>どうしようもない業の深い人間です。
>でも、克服した今となって、
>いつも、すがすがしく、生き生きと、
>嘘偽りなく感じているのは
>”生きている”というワクワク感です。
>もっと言えば、やっと生まれた、
>という感じさえしています。
>ようやく、自分自身の人生を、自分の意志で、
>自由にコントロールできるように
>なったんじゃないか?などと
>大袈裟に考えたりもしています。
>
>西田幾多郎は『善の研究』のなかで、
>「善は即ち美である」
>「善とは自己の内面的要求を満足する者をいう」
>「人格の実現というのが
> 我々に取りて絶対的善である」
>と述べているのですが、私は自分なりに、
>自分自身の(人間としての)
>終わることなき向上心や理想を大切にして、
>それを実現したり実現しようと努力することが
>「善」につながることなのだ、
>(っつうことは、その時その時に沸き起こる
> 自分の清き魂の叫びみたいなものを信じて、
> 精一杯やるだけか!恥ずかしがらず、慎重に)
>と解釈して、(ひとまず)ケリをつけました。
>
>今、思い返してみると、
>病の中にあった時に抱いていた向上心や理想は、
>どれも、歪んでいたり、
>負け犬の正当化っぽかったり、
>「狭い道の王者を目指し」ていたり...
>なんか恥ずかしいばかりです。
>
>やっと生まれたばかりだと思っている私には、
>「経験」や「老い」に関しては
>語る資格がありませんが、
>ただ、私の病を経験として考えると、
>その経験は、私自身がより自由になることに
>つながっていたのではないかと感じています。
>
>Jun
------------------------------------------------
>わたしは、絵を描くことを生業としたいのに、
>なかなかうまくいかないまま、
>この年になってしまった35才です。
>
>このコーナーを読んでて、
>高校生くらいの自分を思いだしていました。
>
>その頃私は、同級生から”生き急いでる”
>なんていわれるような奴でした。
>とにかく、大人っぽいことにあこがれていたし、
>今何かやらなきゃ、という、
>ばかげた焦燥感で彩られた毎日でした。
>
>そして、意味としては理解していた、
>”生き急いでいる”ということの本当の意味を、
>この年になって、しみじみわかるようになって、
>始めて、わたしの青春の蹉跌は一幕閉じて、
>わたしを開放してくれたように感じます。
>
>とはいえ、35才なんて、
>まだまだ、といわれる年齢です。
>いまだ私の手の中には、
>人に誇れるようなものも大作もないけど、
>四年ほど前からつけていた創作ノートが
>いま、わたしのの支えとなっています。
>
>それは、額に入れるべきものでもない、
>誰に見せるものでもない落書きですけど、
>それをみると、
>なぜか素直にリセットされるようです。
>それは、まぎれもない、
>わたしの”経験”だからかもしれない。
>
>このまま、漫然と後半戦も
>いってしまうかもしれないけど、
>”生き急ぐ”ような、人生より、
>ずっと素敵だろうと思います。
>
>なり子
-----------------------------------------------
>結婚1年半目の妊娠5ヶ月26歳です。
>私は、別れた彼に何年か後、必ず会います。
>一番長く付き合ってた彼にも会いました。
>
>半同棲してたし、一番人間的に私と似ていた人で、
>深く深く、私は人生をかけて愛していたつもりです。
>(きっと、主人より。もちろん主人は大切ですが)
>会った時は、主人と一緒に劇場に足を運んだ時です。
>たまたま彼?の隣に座ってしまって、
>私は固まりました。声はかけませんでした。
>似ている、似すぎだ。
>彼かどうかジロジロ見るわけにもいかないので、
>彼の皮ジャン、彼の時計、靴、Gパン、眼鏡、
>覚えているものですね。全部、大正解でした。
>向こうが先に席を立って去ろうとした時、
>「3年が過ぎた」と、思いました。
>それ以上でもそれ以下でもなく。
>
>不思議な2時間が過ぎ、家へ帰りました。
>翌日、私の腕時計を見ると何と、
>彼と会った時間で時計は止まっていました。
>彼と同じ時を刻んでいた腕時計は止まりました。
>「青春は終わったな」
>青春は終わりました。
>そしてやっと、私の人生は始まりました。
>と、思うのですが。
>
>Hana
-----------------------------------------------
>今、26歳。
>それが「もう」なのか、
>「まだ」なのかはわかりません。
>人生の線は、いつとぎれているのか
>知る術はないから。
>
>たくさんの涙や幸せの経験が、
>私を「生」へと向かわせる。
>大好きだった人が去っていったときも、
>友達に裏切られた時も、両親の涙を見たときも、
>逆に、例えようもない幸福感を味わったときも、
>私は歩き続けていました。
>
>他人や自分の気持ちが、たやすく測れなくなり、
>「信じられる」と「理解されていない」思いが
>いつも戦っている。
>突然やってくる孤独感にさいなまれる時もあります。
>それでも、今の方が心が豊かです。
>そして私はそれを予感していたんだと思います。
>悲しい分、くやしい分、はっとするような幸福感や、
>涙の止まらない感激を、味わうことができています。
>きっとこれから、もっといろんな経験をして、
>心の皺が増えていく。余計なこともたくさん覚える。
>
>そしてますます、
>「生」への執着が強くなるような気がする。
>それが大人になるということかもしれません。
>
>ぽーーんと投げ出す勇気は眩しい。
>でも、まっさらでも不安な魂より、
>ズタボロでも逞しい魂の方が、
>愛しいと思うようになりました。
>
>ふー
----------------------------------------------
>わたしは、10代のころ、
>かなりおばかで、今もおばかなのですけれど、
>人に求められることがうれしくて、
>ただ人のいいなりになって
>自分を傷つけつづけてばかりいました。
>
>そのことが結局、相手の人を
>だめにするということがわかったのは
>もう、とりかえすのが大変なくらい、
>相手の人(ようするに前に付き合っていた人ですが)
>のこころに巣食ってしまった後でした。
>
>相手の人の行動も相当なものだったんですけれど
>そのことによって、傷つけられること望んでいたのは
>きっと、わたしだったのです。
>
>なにしろ、わたしに依存しはじめ、
>わたしを傷つけることも少なくなって、
>おだやかな関係になった相手の人を、
>あなたなんかいらないよ、といわんばかりに
>切り捨てたのは、わたしでした。
>
>傷つけられることに
>酔っていたのだろうと思います。
>後になって、わたしは心の痛みの
>ドランカーになって、痛みがあることによって
>生きているという実感を求めていたのではないか
>とも思いました。
>
>自分が傷つけられたと思い、
>痛みを知るという経験よりも、
>傷つけられたのは本当に自分なのか、
>それとも相手なのか考えられるようになったことが
>わたしのこころに変化をもたらしました。
>
>傷つけられたのは本当に自分なのか、
>それとも相手なのかと考えても
>確かな答えは出ません。
>相手のこころを完全に読み取ることは、
>わたしにはできないし、たぶん本人にも
>難しいことだと思うのです。
>以前のわたしが
>自分の心を読み取ることができなかったように。
>
>答えが出るものではないと思えば、
>あせる必要もないのだなぁ、思うわたしは、
>たとえ相手に同じことを求めないとしても、
>以前よりいっそう自分勝手なひとになった、
>ということなのでしょう。
>
>すあま
------------------------------------------------
>「未熟なわたしを親は笑っているかも」
>といったメールを、このあいだ出しました。
>
>その後、おんなじことを、
>小さいころに戻ったつもりで母に聞いてみました。
>母の答えは、「親も、ばかだから」。
>大人のほうが子供より成熟しているとは思う。
>でも、大人であっても未熟さを抱えているんだ、
>という部分を、母は隠さずに認めている。
>だからこそ、わたしの未熟さを
>笑わないでいてくれるのかも。
>
>たくさんのメールを読んで、
>みなさんの、まわりに対する視線が、
>年を重ねるにつれ穏やかになっているなあ、
>と感じました。
>その穏やかな視線が、
>母がわたしを笑わないでいてくれることと
>おんなじように感じられて、
>なんだか、とてもあたたかかった。
>
>マンゴスティンさんの言ってらした
>>そして、ときどきは
>>人の弱さや身勝手な部分を許すことも覚えました。
>>自分にもあり得ることとして。
>という部分なんか、まさにそれ!!
>
>まわりの人やものごとを受け入れることって、
>じぶんをまるごと受け入れることで
>できることなのかもなあ。
>
>じぶんの弱さをうけいれることと、
>一回限りになるかもしれない人との出会いや
>じぶんのまわりにいる人との関係を
>大切にすることとは、おんなじところにあるんだ、
>と思いました。
>
>あや
----------------------------------------------
>はじめまして、24歳です。
>「経験」について書こうと思います。
>
>少し前に、夜間の学校に通っていました。
>新幹線で片道約1時間かけて、
>わずか2時間の講義を受け、また新幹線に乗る。
>そんな生活を半年間送りました。
>どうしても叶えたい夢があったからです。
>
>なかなか思うような結果が出せず、
>最終日の講義が終わった日、
>友人3人と飲みに行きました。
>
>自分達の持つ世界観の話しや、他人への嫉妬、
>才能についての不安、オシマイには
>「講師には見る目が無い!」
>などと散々悪たれをつき、
>互いの傷を舐め合いました。
>そしてワタシは気分が悪くなり、
>トイレに1時間篭る羽目になりました。
>そこから先はよく覚えていませんが、
>気がつくと友人の家で、
>ワタシは始発の新幹線でノコノコと帰りました。
>
>単なる酔っ払い談のようですが、
>今のワタシにとっては貴重な、愛すべき夜です。
>夢を追うことを止め、
>規則正しい生活に戻った今だからこそ、
>あの日の夜がキラキラと光り、
>ワタシを切なくさせています。
>
>Sat
------------------------------------------------
>経験と言っても、私の場合
>無駄に年を重ねてきただけという気もしますが、
>今、すごく思っていることは、
>私は私を好きでいてくれる人によって
>生かしてもらっていると言うことです。
>
>あんまり当たり前すぎて
>ちょっと恥ずかしいですが。
>大人になれば多少辛いことがあっても、
>他人の前では、何事もないように
>普段通りに振る舞ってしまうものですが、
>自分が辛い状態にあると言うことを
>話せる人がいるということ、
>自分が辛い状態にあることを自分以外に
>1人でも知っている人がいてくれるという事、
>「聞くことぐらいしかできないけど、
> 何かあったら何でも言って」と
>言ってくれる人がいる事が、どれだけ嬉しいことか、
>今、ものすごく感謝しています。
>
>私はその人達に対して、
>一体何をしてあげられるのか。
>自分のあまりの無力さに情けなくなりますが、
>自分がしてもらって嬉しかったことを、
>自分が出来る範囲ですることしかできない。
>
>「聞くことぐらいしかできないけど、
> 何かあったら何でも言って」
>
>れっどファル
----------------------------------------------
>去年の暮れに別れた彼は、
>とてもとてもいろんな経験をしている人でした。
>刹那的、という言葉を連想させる人でした。
>
>いつも私が彼に対して思っていたことは、
>あまりにも心を痛めるような経験をしすぎたために、
>臆病になっているところが
>あるんじゃないかということです。
>なかなか人を信じることもしないし、
>心を開こうともしない。傷つくことが怖くて、 >
動けなくなっているんじゃないかと。
>過去に捕らわれすぎているのではと思っていました。
>
>実際、私自身は経験したことがないから
>言えることかもしれない。
>でも、傷つけられるのが怖いからといって、
>自分から壊してしまうのって、すごく寂しい。
>未来のことは誰にもわからないはずなのに、
>そうやって自分から可能性を閉ざしてしまうことが、
>普通の人よりも多い人なんじゃないかと思うのです。
>そうして、心が充たされる事が
>あまりなかったのかもと思います。
>
>誰よりも寂しがりやのくせに、
>いつも強がって無理してたから、
>なんだかほっとけなくて、連絡は取れないけど、
>1年近く経った今も心の中で、
>どっか心配しています。
>
>私にとって『彼という人と出逢えた』という経験は
>例え終わってしまった事にしろ、
>とてもとても大事な宝物です。
>短い間だったけど、彼とのやり取りの中で、
>いろんな事を感じ、想い、
>成長させてくれたと思います。
>彼にとっても、
>同じ気持ちでいてくれれば嬉しいのですが。
>
>他にも、嬉しいとか、
>良かったって思う経験ありますよね。
>あ〜、オトナになって良かったなぁって瞬間、
>すっごく些細なことなんだけど、
>恋の歌ひとつとってみても、
>実際に恋愛をして喜びを感じたり、
>傷ついたり、哀しんだりという経験をしていると、
>より一層身に浸みて感じる事ができるし、
>10代の頃はわかんなかった
>ビールの美味しさがわかったとか、
>クラッシックの良さがわかったとか、
>そういうのって、
>経験を少しずつ積み重ねてきた結果でしょ。
>
>哀しい経験も、悪いばかりじゃないと思うし。
>自分が傷ついた分、人の痛みも、
>少しかもしれないけど、
>やっぱりわかるような気がする。
>すごく、楽天家な考えだけど、
>辛くて哀しい経験さえも、
>いつかは『良い経験だった』と思えたり、
>経験する事で、遠慮とか躊躇とかも
>一緒に覚えてしまうけど、それを踏まえた上で、
>臆病になりすぎずに誰かを思いやったり、
>時には自分にワガママに、
>出来るようになれればいいなと思います。
>
>たーにゃ
------------------------------------------------
>お休み前のほろよい気分で読んでいたら、
>やっぱりきゅーんとなるんですね。
>
>老い、年をとること。
>書いてると冷静になってきちゃうので
>いやだなーと思うけど、
>今日、ふと、大人なんかこの世にいない。と
>思うと、とてもラク〜になれる気がしたもので。
>みんな、ただ年を重ねているだけで、
>経験はふえるけど、
>ある時から大人になったりはしない。
>大人なんだからこうしなくっちゃとか
>コドモのうちにできることやっとこうなんて
>思うから、不自由になるんじゃん、と思うんです。
>
>なんでこんなこと書くかと言うと、
>うちの父をみてそう思ったから。
>この間、娘の私に無心したんですね。10万円。
>返すとはいってるけれども。
>なんとなく、お金に困ってそうなのはというか
>自由になるお金が少なそうなのは
>わかっていたので、貸したわけです。
>なんとかできる範囲だったから。
>
>渡すとき、私の目とか見ないんですね。
>カゼひいてるから、移すといけないから
>近くで話せないとかいって。
>
>もともと見栄っ張りな父だから、
>「自分が立派な大人になれなかった」こと、
>すごく恥ずかしいみたいなんです。ふだん
>エラソーなこといっといて、
>娘にお金を借りるのが自分でもイヤというか。
>そのお金だって、会社の人とかに
>「ありません」といえばいいのに
>いえなくて、借りにきたのは想像がつくし。
>
>私にしても、父はというか両親は
>頼れる存在であってほしかったし、
>尊敬できる大人であってほしかった。
>だから、お金を貸してといわれたとき、
>寂しかった。
>
>でも。じゃあ私は大人なのかな、
>大人になれるのかなと思ったら、
>なれないし、なりたくもないカンジ?
>31歳といえば、例えば15の頃の私からしたら、
>自分のことは自分でできる、
>正しいことがなんでもわかる、
>カッコイイ大人のはずだけど。
>現実は、親を負担に思うし、
>甘えられないと寂しいとか思ってる。
>
>人間として、とるべき責任とか、
>こうありたい姿とか迷いながら
>一生懸命年をとるだけで、
>大人になるとかって、ないんじゃないのかな。
>
>経験の分だけ、わかるとか、
>思い当たることが増えるだけで、
>なにかができるようになるわけじゃないし、
>お金がないから大人失格なわけでもないし、
>ならなくていいと思うのよ、お父さん。
>
>なので、家族だし、ちゃんと説明して、
>ウソつかないで、
>正々堂々と借りてってくれないかなー。
>親と子ではありますが、大人と子供としてでなく、
>ただ生きてきた長さが違うだけの人として
>いろんな方とおつきあいできないかと思うのです。
>わかりにくいですかねえ。なにいってんだろ。
>
>大人になるんじゃなくて、ずーっと子供で、
>わかることを増やしながら年を重ねるの。
>そうすれば、
>「あのときこれをやっておけばよかった」なんて
>後悔はしなくてすむような。
>今始めればいいんですもん。
>そのときできるペースでね。
>ムリして大人して、できないで、
>「立派な老人」になれそうもなく
>自分で情けないとか思ってる、
>うちのパパのような人に。
>「いーって、あなた大人とちがうし。その代わり、
> その時の自分的にビシっとしてみない?」
>と、いったら、わかってくれるかなあ。
>
>酔いが覚めてきました。
>老いについては、ほんとは毎日ビビってるけど
>それはまあ、おいといて。
>と言うか、外見の老いを自覚すると、
>心が老いるみたい。悪い意味の老い。
>外見の老いさえなければ、経験をつむって、
>長く生きるって、すばらしいことだけなのに。
>きれいじゃなくなる自分は怖い。
>どうしていいか解らない。
>これからの私は何をしても醜いのかと思うと。
>
>独り善がりなことばっかり書いて、ごめんなさい。
>でも、うーん、例えばボクは子供だと思っている人
>10代の人とかが、
>「大人に失望する」っていうのはなにかおかしい。
>大人じゃないの。人間なの。
>あなたの延長でしかないの。
>みっともなくて当たり前でしょう?
>
>お手本とかって、ありえないと思ったり。
>食べてくのはほんと大変なんだから、
>長く命をつないでいるだけで、
>すっごく尊敬できることなのよー。
>
>結びのごあいさつ、いつも困ります。
>いいたいのは ありがとう です。
>
>さくら
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「ふ〜〜〜(・・・長いのう)」と思った?
今回は、さすがに、ほんと〜〜に、長かったでしょう?
ひとつひとつにコメントしたら、
この量の倍になっちゃうくらいに、まじめに読んだよ。
あ。言い忘れてた。今日のタイトルは、
もともとは、このコーナーで紹介しようしてた、
「プレゼントと思われているものは、
実は、解くべき問題だったりする」
という、哲学者の
ウィトゲンシュタインの言葉から来ています。
素敵なプレゼントは、あとで謎かけになる場合もある、
とか、そーゆうことを言いたいもんなんだろうけどさ。
その意味で、もらったたくさんのメールは、
木村にとって、うれしいプレゼントでもあり、
あとで読みかえす「問いかけ」でもあると感じてるの。
ふたたび、あらためて、ありがとうございました。
「老人になるための練習」というコーナーは、
予告どおり、今回でいったん終了いたしますが、
個人的な経験と老いは、まだ続いていきますので、
その練習は、ぼくなりに継続したいと思うのじゃよんっ。
それでは、また別コーナーでお会いしましょーねー。
よどがわ、よどがわ、よどがわ。
(おわり)
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