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#22 評価する側ではいけない


前回の "#21" に、次のような感想をいただきました。

「『言えないものも含めて言おうとしない限り、
  言葉としての力をもたないように、
  わからないことも含めてわかろうとしないと、
  何も、わかることにはならないと思うんです』
 という言葉に触れて、
 『言ってもわからないかもしれないから
  言わないでおこう』という態度は、やっぱり
 いけないことなのかもしれないってことを痛感しました。
 云わずにいるってことは
 そこで中断していることとおなじことなんですね。
 もしかしたらそれは
 不誠実に近いことなのかもしれないって感じました。
 今まで、わからないものに出会うと
 どこまで自分がわからないのかに対峙しないまま、
 放棄してしまっていたのかもしれないです。
 でもわからなさに出会って、一歩ふみだすか、
 踵を返すかで、その次のことが見えてくるかもしれない。
 そう思って読んでいました」


この方がおっしゃっている、
「わからなさに出会ったところから中断せず進むこと」は、
想像できなかったおもしろさに出会うことかもしれないな、
と思いつつ、メールを拝読していました。

この連載では、
「おそらく、好きなことしか、
 人は聞くことができないし、語ることもできない」
という考えを源にして、
「性急に目的を定めると、その目的範囲内の達成しかない。
 自分も知らなかった、しかし待っていた結果が来るまで、
 丁寧に待つ方法は、どういうものなのだろう?」
という視点で、自分の考えを組み立ててゆくための方法や、
自分を動かす言葉を生み出すための方法を、探っています。

ヒントにしかなっていないと見えるハイデガーの言葉や、
断片的でそれぞれ独立しているようにも思えるであろう
ぼくがかつてインタビューで出会った方々の肉声の引用は、
一見、バラバラな紹介に見えるかもしれませんが、どれも、
「これを読んだ人の中に、何かが生まれるかもしれない、
 導火線になりそうな言葉」という視点で集めたものです。

今日も、
「これが、待っていた言葉だったんだ」
とあとで気づくような言葉に近づくための方法を、
ハイデガーの境遇や、ぼくが実際に聞いた言葉などから、
暗示という形で、お伝えしてゆこうと思います。

ハイデガーは、
人に大きな影響を与える哲学を語りましたが、
彼自身も、哲学に出会うことによって、
自分では想像もしなかった境地に動かされていった、
という生涯を送りました。

彼の言葉との出会いは、かつて紹介したように、
敬虔なカトリック神学生としての日々にはじまります。

哲学者になることなんて、夢にも思っていなかった頃を
振りかえり、彼は、カトリックを否定した後も、何度も、
「神学という由来がなければ、
 私は思索の道へと至ることはなかったでしょう。
 由来は、つねに未来であり続けるのだと思います」
というような言葉を、さまざまな人に、告げていました。

哲学者の教授としてようやく落ち着いた頃に、彼は、
かつて過ごした神学寮の寮長に向け、手紙を書いています。

「私は、寮で勉強をはじめたころを、
 感謝に満ちた思いでよくふりかえります。
 私のすべての試みが、ふるさとの湖と、どれだけ強く
 緊密に結びついているかを、ますます実感しています。
 あの頃から『存在と時間』までは、長く曲がった道が
 つながっているように思われるのです。もちろん、
 私が達成したことと達成されるべきだったことを
 比較すると、達成されたことはわずかなものでしょう。
 それでも、私たちが私たちの幼い日を自ら胸に秘めて
 大切にし、そこから、働き出そうとつとめるのならば、
 わずかなものでも、いいものになるに違いありません」


そもそも、貧しい中で育ち、
村一番の優等生として学問を志したハイデガーは、
哲学教授としての職業を手にするまで、ほとんど、
生活を組み立てることに夢中だったのではないか、
というように述べる歴史家もいるほど、
あちらにぶつかり、こちらにぶつかり、という道を経て、
哲学に向かうようになっていったのです。
哲学者として一流になることは、夢でも何でもなかった。

ギムナジウムを卒業した後、すぐに
イエズス会の修道院に入って神父になろうとした彼は、
「神経性の心臓障害」という名目で、
三か月後には、修道院から去らざるを得なくなりました。
その後、小さい頃からの夢を保ち、大学の神学生として、
カトリックに関わろうとしていたのに、勉強のしすぎで、
またもや心臓障害という診断を下され、休学に陥る。

たびたびの心臓疾患があるから、将来
教会職に就くことはできないだろうと先輩に勧められ、
神学を学ぶことを断念するのが、二一歳の頃。
同時に、彼の金銭的な命綱とも言えていた
カトリック関係者育成のための奨学金も、打ち切られます。

小さい頃からの夢の「司祭」になることができなくなり、
金銭的にも困った青年は、数学や物理に進路を変えたが、
学科を修了することができないまま、金策に苦心しつつ、
哲学の学位を修め、教授職の就職のために奔走する……。

そういう中で手にした哲学への道だからこそ、
ハイデガーは、後になって、
「窮地に立ったときほど、言葉が生まれる」だとか、
「いい言葉は、生まれるのを待つしかない」といった、
受け身的な立場を、よく取っているのかもしれません。

彼の伝記的な話は、後日、また詳しく話す予定ですが、
今回は、このあたりで一休みして、
独特の用語を噛みくだいた、要約の形で、
彼の言葉についての考えを、紹介しておきますね。

「口に出して言うべきものがほとんどないときや、
 あったとしても稀にしかないというときにこそ、
 言葉には、尊さが備わるのではないでしょうか。
 ただ、評価だけをしていることには、意味がありません。
 たとえそれが、肯定であっても否定であっても、
 『評価』は、既に存在するものを、単に一人の人間の
 行動の目的に、おとしめてしまうことになるのですから。
 例えば、『神は最高の価値だ』と主張することは、神を、
 その人が評価できる程度のものだと、貶めることになる。

 大きな人は、より大きなものを、
 自分を越えて持とうとするのだが、
 小さい人は、自分自身しか欲することができないでいる。
 だから、自分と等しくないすべてを、矮小化して評価し、
 うさんくさいものにして、自分に等しくしてしまいます。
 話すということは、じっと聞くことから生まれると思う。
 すべての発言は、何かへの返答という形になるはずです。
 性急に評価せずに、後からつけたして言葉にもしないで、
 実際にある輝きを、自由に聞くことが大切なのでしょう。
 将来に話すことのために、道をあけておくと言いますか」


ハイデガーのこの言葉の
「評価」とか、「言葉の道をあけておく」とかいった話に
関係するであろう言葉を、実際にぼくがインタビューをして
うかがった発言から、今日の最後にも、二つご紹介します。

「例えば、今だと、専門的な軍事ジャーナリストたちが
 ずいぶんたくさんメディアに登場しているけど、
 彼らにはある種のプライドがあって……その結果、
 なんか、アメリカと一蓮托生になってしまうんですよね。
 大衆の知る欲望の構造が生んだ
 ひとつの結果なのかもしれないけど、
 軍事なら軍事のことを、知ることによって、
 やっぱり、アメリカの軍事側と同一化してしまう。
 軍事ジャーナリストが、
 まるで自分が米軍の人間であるかのように
 報道してしまうというのが、ありがちなんです。
 『知ることで仲間になってしまう』というか。

 『知ることで仲間になる』っていろんな情報に言えて、
 仲間意識みたいなものが出て、
 『同じ趣味だとイイ人だね』みたいに、
 思いこみがちじゃない。でも、それはおかしいですよね。
 だから、ジャーナリズムは、知ったうえで、
 対象と同一化しないで、さらに素朴な好奇心を
 大切にして、距離感をとっていくということが、
 けっこう問われる仕事なんですけど、
 そうは、なっていないでしょうね。
 専門家であるがゆえの盲点って、あると思うんです。

 ジャーナリズムって、やっぱり、
 立ち位置を決めないところに意義があるというか。
 自分の位置を決めちゃ、ダメなんですよ。
 常に距離を持って、どんな対象からも距離を持つ。
 自分の立場を決めたら、
 その時から、型にはまってしまいます。
 型を求めたがるのは人間の本性なんだけど、
 意識的に型から離れていかないと、自然と人は
 決まりきったポジションに定まってしまう。
 そうすると、凝り固まった批判しかできない。
 賛成でも反対でも、そういう勢力として
 一つのかたちになってしまうことで、
 批判の柔軟性を失ってしまうんです。
 そういう姿は、あちこちでほんとによく見てきました」

「表現に関わる人には、そうかもしれないでしょうけれど、
 だいたい、それぞれ、伝家の宝刀を持っていますよね。
 『チャンスが来たら、コイツを出そう』
 という、とっておきのネタ。
 そういうのって、もし持っているなら、
 すぐにでも出したほうがいいんですよ。

 ぼくも、かつては、ずっとあたためてたネタがあった。
 『いつか出そう』って。
 ただ、どうやら、このままだと崩壊が見えていると感じて
 『あぁ、この状況を救うのはコレしかない』
 出すしかない、と腹をくくったんですよ。
 財産を出してしまうわけだから、
 不安と言えば不安だけど、他に手はない。
 あとのことは、あとのこと、あとで考えればいい。
 ところが、それを出しおわったとたんに、
 ヒョッと、次の『とっておき』のものが、
 いきなり生まれたんです。ま新しいやつが。

 え? なんだこれ? と思いました。
 『とっておき』用の椅子ってひとつしかない、
 ということに、気づいた瞬間でした。
 今の『とっておき』を温存していると、
 次の『とっておき』は、座れない。
 だったら、出してしまえば、すぐに席は空く。
 精神構造がどう作用してそうなるかはわからないけど、
 ぼくは今もそう思っていますし、
 今まで実際にそうでした。

 1年先? 2年先? 考えてない。
 長期的な視野、ほとんどない。
 『来週の企画を、どうおもしろくしようか!』
 『あの企画、どう見せて、どう終わらせるか!』
 今も、そういうことばっかり考えてます。
 だから、料理の素材と一緒で、
 いいアイデアが出たら、その端から、どんどん出す。
 鮮度が高いうち、感動がナマナマしいうちに、出す。

 あ、もちろん、仕事ははやくおわらせて、
 プライベートな時間を持ちたいとは思ってますよ?
 でも、仕事で楽しんでいる自分だって、
 もちろん、まちがいなくいる。
 考えてみたら、オトナは
 起きてる時間の半分以上が仕事なんだから、
 仕事に遊びがなかったら、きっと、
 人生、かなりヤバイってことですよ。
 『ちょっとやりすぎかな?』
 というぐらいまで、仕事をやらないと、
 今度は、『遊び』がおもしろくないんですよね。
 遊びから得るチカラが、少なくなってしまう。
 仕事してないと、遊びに飽きちゃうから。
 多少は苦しんでおかないと、
 両方ともたいした収穫がなく、終わっちゃう。
 『ちょっとやりすぎ』
 ってくらいが、仕事も遊びもちょうどいい。

 いま、昼の一時過ぎから話してますけど、
 今朝は八時まで仕事してました……。
 仕事を眠い目こすって頑張るんだけど、
 終わった瞬間、その、何もしないでいられることに
 浸っていたくて、もったいなくて眠れなかったりする。
 三〇分ぐらい、何にもしないことを満喫したり。
 そのぐらい仕事をやったあとって、
 何でもないことを話していても吸収力が違う。
 頭がよく回転しているなぁって思います。

 自分に対しても、人に対しても、
 仕事に対しても、遊びに対しても、
 ものすごい愛情を持っているやつは、強いと思う。
 愛のないやつはダメでしょ。
 ダメなやつって、おそらく、愛のない人のことでしょう。
 ぼくは長い間ずっと、念のあるところに
 道ができていくと思っていたんです。
 どうやら世の中を動かすその『念』は、
 愛があってのものじゃないかと思う。
 強い念を持つって、愛がないと無理ですよね。
 強い憎しみにしたって、強い愛がないと出てこない。
 だとすると、愛が大きい人は大きな仕事をするだろうし、
 ぼくがどのぐらい大きな愛を持っているのかは、
 これから問われていくだろうと覚悟してますけれど」


あなたは、今回の、
「評価」や、「待つ」ということについて、
どういうことを考えながら、読みましたか?

次回に、続きます。

あなたが、読んだ後に感じたことや考えたことなどを、
メールで送ってくださると、とてもうれしく思います。
postman@1101.com
件名を「コンビニ哲学」として、送ってくださいませ。


                  木村俊介

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postman@1101.com
こちらまで、お送りくださいませ。

2003-11-09-SUN

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