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第8回 逃れられなさかげん

みなさんのメールを、ぼくは今も
まだまだずっとくりかえし読んでいます。
いっつもどきどきしながら読んでいるのだよん。
どきどきしながら一休みっていうのをくりかえしてる。
いろんなメールのなかに書かれている内容って、
一見見逃しがちなんだけど、実はほんとーに
いろいろなことがつまっているように思います。
次のメールは第1回のときにいただいたものですが、
1回読んではうむむと思ってそのあと一服したり
というのを、ぼくは何度も繰りかえしてるのでした。

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>[今日の2行]
>科学は人を交換可能でさびしいものにしてしまう。
>人間は本当は『1回限りの企て』だ(ハイデガー)。
>
>[今日のぼくの疑問]
>科学技術が人を寂しくさせてるけど、現実にぼくらは
>何をしてもその技術から逃げれないのではないですか?

かなりの誤解はあると思いますが、
あえて感想を述べます。
科学技術によって人が淋しくなったことは、
ぜーったいに現実ですが、
そういう世の中にあって、
そういうものから逃れられなく生きていることも、
実は『1回限りの企て』なのではないでしょうか?
どんな状況下においても
自分のやり方でものを考えたり、
関わったりすることが
現存在としての人間なのだとしたら、
逃れられなさ加減の差が、
個性だったりするのかもしれないのでは?
「交換不可能なわたし」である場は、
この世の中であっても、
どこかにないもんでしょうかねぇ。
わたしは、あると信じているのですが。

ひさしぶりに、考えました。どうも、ありがとう。

A. W.
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言葉の端々が繊細なかただと感じました。
こちらこそ、ありがとうございます。
「逃れなさかげん」って、せつなくて素敵です。
もう逃れられないって芯から思うときが
ぼくですらもたまにあったりするのですけれども、
でもそんなときって、やりきれなくなると同時に
「きゅっ」と不安や快感が混ざった気持ちになるの。
これって何だろうかなあ?とかなり頻繁に思います。

もう逃れられないって思うのは、ぼくのなかでは、
「じぶんは別にどうでもいいものなんだ」
って感じるときであるような気がします。
もちろんA.W.さんがおっしゃったみたいに、
そのぼくなりの追いこまれかたというのが
「ひとつしかないかたちの追いこまれかたである」
とは思っています。その意味では交換不可能なの。
だけど、どうでもいいというその瞬間が
ぼくに示してくれるのは、もっと冷たい現実で。

そういう現実は、ぼくには
「あなたはもう要らないよ」
というメッセージに聞こえてくるのです。
直接誰かから「もう要らない」って言われたひとは
そのインパクトの加減をわかるのだろうと思うけれど、
そんなときって、がっくりきたり悲んだり、
逆にむしろどうでもよく突き抜けちゃって
爽快になったりもするような気がします。

変にがっくり来たりするのは
おそらく、じぶんのなかとしては
「じぶんが交換しようのない大切なものなんだ」
というのを変えられないのに、でも、
広角レンズみたいなものでじぶんを見たら、
非常に別に無意味でどうでもいいものって
すごくクリアにわかるからなんだろうと思います。

もちろん、ほとんどの場合はあまり
がっくりもこないかもしれないです。
ぼくもそんなにいつもはがっくりこない。
そういうじぶんのたいしたことのなさを
わかっていて、それでいいというときが多いから。
ぼくが何となく本当に乗っているときにはむしろ、
「ああ、いいぞー!」みたいなところに向かいたい、
とだけ思っているような気がします。
そういうときにはじぶんがどうしたこうしたという
ぐじぐじしたこだわりはない。そんなの忘れてる。
(それこそがハイデガーの言う
 「存在忘却」なのかもしれないけれど)

だから「じぶん」系統の話はその面で
少なくとも現実に建設的な話題ではなさそうですし、
むしろ建設どころかひとが病のように陥ってしまう
非常にあやうい着地点みたいなものかもしれません。
ただぼくがこの系統の話をちょっと気になるのは、
それでもけっこういろんなひとが節目節目で
「わたしって何だったんだろう?」
と放り出されるその瞬間があるからなのです。

あ、でも今日はこのへんにしておきます
この方面こそ、まさにごちゃごちゃとややこしくて
むつかしい話題になっていくような気がするから。
このへんは危険な題材になっていきますので、
これはちょっと一息ついて別のこと考えましょっと。
こんがらがりすぎるとやばいですね、たぶん。



[今日の2行]
世の中で逃れられなく生きていることも、実は
『1回限りの企て』なのではないでしょうか(A. W.)。

[今日のぼくの疑問]
『じぶん』関連の話題の持つような危険さって、
いったい何なんだろうかなあ。ぼくはわからない。
そこに意味があるのかも何だかよくわからない。
だけど無意味とも言えなさそうで、これ保留中です。
その辺で考え途中のメールをくださると嬉しいです。。


mail→ postman@1101.com

2000-01-23-SUN

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