#21 肯定するために聞く言葉
いろんな人の言葉を、たっぷり紹介してあるのが、
参考になってうれしいです、という感想を受け取る一方で、
「一回ずつが長いです」というメールもいただいています。
ただ、もうしばらくは、少し長めに、
いろんな言葉を、紹介させてもらいたいと思っています。
いい言葉を聞いたところで、数日経つと忘れるという方や
言葉を行動に活かしたいけどできないという人にとっては、
「いろんな種類の話を紹介してゆくこと自体」から、
いくつか、どう言葉を消化したらいいかのヒントを
得られるのかもしれないと思うからです。
この連載で、くりかえし扱っているのは、
「自分にとってすばらしい言葉があったとしたら、
その言葉を、すぐに役に立てようとするのではなく、
その言葉の美しさの中に、逃げこもうとするのでもなく、
言葉を発した人がそこで語ることができなかったことも、
自分なりに経験しようと試してみる」という、
少し時間のかかる言葉の受け取り方についてなので、
そのへんを、じっくり読んでくださると、うれしいです。
いいなぁ、と思う言葉があったとしたら、
その言葉を発した人が、
そこで言えずに終えたことは何かを想像しつつ、
その言葉の中に、否定しないで浸ってみること──
これは、ハイデガーが言葉に対して取っている態度です。
考え方の癖とも言えるものかもしれません。
たとえば、死について考えを進めるときに、
ハイデガーは、死を否定すべきものとしないで、
そのまま肯定できるものとして捉えてみようとしています。
今日は、短めに、そういうひとつの態度だけを紹介して、
あとは、かつて実際に肉声で聞いた、
三つの言葉をおとどけして、一息つきたいと思います。
言葉は長いですが、ずいぶん縮めた上で長くなっているので
ぜひ、じっくりと、読んでみてくださいませ。
「言えてしまったたら、言葉じゃないと思います。
ほとんどの気持ちというのは、言葉で言える前の状態。
だけど、世の中で頭がいいと思われている人は、
たいてい、物事を分析できる人のことなんです。
その『分析できる』って何かと言うと、
つまり、要素に分解できるということでしょう。
まずそれが、ウソだと思う。
人間は人間としてまるごといるわけで、
世界は世界で、自然は自然で、まるごとそこにいるはず。
だったら、その
『まるごと』を『まるごと』のまま
説明したり理解したりするための説明を考えたり、
記述方法を生みだしたり、そういうことが大切だと思う。
分析的なものって、もうぼくは、いいとは感じられない。
社会的にふだん妥当とされている考え方って、
分析なんてされないで
未解決のまま置きざりにしてることがほとんどです。
たとえば、死んだら生きものはいなくなると言う。
そう思うんだったらお墓なんか建てなきゃいい。
徹底させるんだったら、思い出すことも無意味でしょう?
でも、そんなことは、ぼくにとっては、ありえない。
大切な存在が死んで、ほんとうに悲しい思いをして、
死んだらおしまいという考えから離れることにした。
それはもう、頑として言い張りたいわけ。
科学的妥当性なんか、どうでもよくなるような
強さを持った個人的思いが、ぼくには、大切なものです。
ふつうに正しいと言われている程度のことからは、
きっと、何も出てこないと思う。
ふつうに正しいところからは何も新しいものは出ない。
そこには、底知れないこわさがあるのだと思います。
のろまよりも、速いことがいいだとか、
機械は大きいよりも小さい方がいいとか、
そういうことが、絶えず言われいるじゃない。
そうすると、日常で接することについても、
いいこととわるいことって、かなり、腑分けされる。
『なんで、ゆっくりがいけないんだ』
『なんで、いいことばかりとりたがるの?』
そういうことを、ちゃんと言える人って、少ない。
でも、結局、役に立つものが大事というのは、
理解できるものが大事という考えなんです。
だけど、言えないものも含めて言おうとしない限り、
言葉としての力をもたないように、
わからないことも含めてわかろうとしないと、
何も、わかることにはならないと思うんですよね。
社会の『ふつう』とされる考えも、変わりますよね、
一時期は、医学らしい医学では、患部は
患部のみを直すのがいちばんとされてきた。
今は、体全体の調子を整えれば、患部も
治っていくという風潮になってきてるでしょう?
一方、もっと前にさかのぼると、
『ガンになってしまったのは、
三代前のご先祖さまが悪いことをしてたから』
と言って納得していた時代もあったわけですから。
医者が最新の医療で病気を治すことよりも、
いろいろな人間観があったことを
知っていることが教養なんだと思います。
役に立つ立たないで言ったら
最新の医療を知っていることだけが
役に立つんだろうけど、じゃあ、
それが行き詰まったときにはどうするの?って。
でもこういう言い方もやっぱり間接的に
『役に立つ』ということで、
ほんとはぼくは、そんなことも
どうでもいいと思ってるんですけどね」
「新しい農業産業を興すために、私たちが
五〇億円を投じたその年の秋に、台風が直撃しました。
そのときの塩害が原因で、
大多数のミカンが枯死してしまう。
それは、本来なら、ありえない災害でした。
塩害への予防策は充分に練っていたつもりでした。
全面積に、台風時の潮風の害を荒い流すための
スプリンクラーを設置してありましたし、
停電時のためのディーゼルエンジンや貯水池も
確実に準備しておきました。
ミカンの樹は、二四時間以内に
塩分を水で洗い落とせば塩害は生じませんからね。
電力会社からは、事前に、
五時間以上の停電はないとの保証書をもらっていました。
しかし、実際の停電は四〇時間以上続きました。
しかも、停電用の予備貯水池とスプリンクラーをつなぐ
パイプが切断されていました。
自然に切られていたのではなく、
いやがらせで、何者かに切られたんですよ。
ついに、ミカンについた海水を洗うことはできなかった。
農場は、ほぼ全滅でした。
もともと、地元の根強い反対を受けていた農業実験です。
よそものの私や私の仲間がやってきたその土地の人々は、
『植物が育ちにくい』という理由で、特種土壌として、
政府から多額の補助金をもらっていました。
地元の大学の農学部も、『ここでは植物が育たない』と
理論的に証明していたわけですから、
私たちの栽培実験が成功したら、困ったのでしょう。
邪魔をしたい人は、たくさんおった。
その結果、ミカンは枯れました。
借金が残り、仲間の農民たちの不満が高まった上に、
住民たちの排斥を受けましたから、散々なものでしたね。
中傷の噂が流れたおかげで、私は当時、
業務上横領の容疑で警察に捕まっています。
これも、ぬれぎぬでしたけれど。警察から出た直後には、
次男の車の助手席に乗っていたら、鉄砲玉と言うか、
地元の暴力団の若い組員が当たってきましてね。
狭い道で、全速力のダンプカーに、
真正面からブツけられたというわけです。
それで私は肋骨を七本折ったんです。医者からは
『生きているほうが不思議なくらいの事故』
と言われました。次男の出血は、
確か二か月ぐらい止まらなかったんじゃないかなぁ。
わたしの足の傷も冷えるとウズきますから、
冬はいつも二重にホカロンを貼っていますけれど。
半年ぐらい手も動きませんでした。
今でも、だから、文字を書くことは、
どんな文字でも、ちょっとこたえるくらいなんです。
まったくの事故で、賠償金も取れませんでした。
もともと向こうとしては、
はじめから私を消すつもりだったでしょうから。
入院している間、住んでいる家の方には
日本刀を持ったヤクザが押しかけてきて、
『早くここから出ていけ!』
と畳に刀を刺しながら叫んでおったそうです。
そういうことで、家族を困らせましたし、
警察に言っても、ぜんぜん助けに来ないわけですよ。
つまり、まだ三〇年前ぐらいまでは、
そんな手口が堂々と通用していたんですね。
農業の世界は、一八世紀並みの考えがまかり通っていた。
農業の世界で新しいことをしようと思えば、
人一倍、農民のイヤなところも見ているんです。
もちろん、私の失敗はそれだけじゃありません。
農地法の改革を約束してくださっていた首相が
病で倒れられたら、改革がストップしてしまったり。
日本全国、農政は汚職のかたまりでしたし、
問題は明らかになっていた。
ただ、誰も動きださないうちから
ベルリンの壁を壊そうとしても、
ただ、銃殺されてしまうというだけなんですよ。
私はそんなのはイヤです。
実際に、早く改革を遂行しようとしたがために、
地元の腐敗した農民とヤクザに
食いものにされてしまった企業も、たくさん見ました。
だったら、自分のできることをやって、
農業技術の改良を重ねながら、時機を待った方がいい。
それでも、おもしろい人間には、
充分たくさん会えてきましたね。
販売は、慎重すぎるぐらいの規模にとどめていました。
実験は常に大切にしましたけれど。
私は深く考えないものですから、
失敗しても深刻にはならんのです。
五〇億円の実験が潰された後に、すぐ、
別の場所で、違う実験をはじめておるわけですよね。
私の行動を見てください。やってることは変わらない。
それは、何ひとつ、がっかりしていないからです。
つまり、結果としては、挫折感というようなものは、
私には、なかったようですね。
懲りないというか……妨害は関係ないんですから。
最初からだめだなぁと思う人は無視しますが、
最初に『この人はいいなぁ』と思っていても、
あとでその人がダメになることだって、たくさんある。
ただ、最終的に時代が変わった時に、
その経験が役に立てば、それは、
ひとつの、いい試行錯誤になるんですよ。
たくさんの人にとって、結果的に
『いい経験』になればいいわけです。
時代は誰がどうしようと変わっていくのですから」
「人それぞれに、やっぱり
いちばんいい時期ってあるんでしょうけど、
ぼくは、チャンスだけは平等だと思っているんですよ。
でも、今の時代の中で勘違いされているのは、
何も実行せずに、チャンスの平等ということには
何も試さずに、自分で目をつぶっておいて、
結果の平等を求めてくるでしょう?
そんなバカな話があるかと思うんですよね。
やっぱり汗を流している人は、
流しただけのことはなければいけないだろうし、
働くっていうことの大事さは、やはりあると思います。
いまの三〇代ぐらいの人たちと話していて感じるのは、
今日やったことを、明日には認めてよという
この短絡的な部分……そこには腰が引けちゃいますね。
ぼくの年、五〇代になって、
まだこうして汗流してることだって、たのしいし、
それを日々やってられるというよろこびはすごいから、
ましてや、まだ何もやっていない人なら、動くべきです。
ぼくの場合、何になるかはわからないけど、
でも、何かを生む根っこになるかもしれない原稿を
書いているということは、それだけで、よろこびですよ。
原稿を書いている時に、いちばん気持ちが安らぐんです。
そりゃ、確かにしんどいですよ? でも、たのしい。
たのしんでやらないと、例えば、
若い人に説得しても、効かないだろうなぁとは思います。
例えば、説得する側が、たのしんでやっていないとね。
営業をイヤがる若い子がいたとしたら、
売りこみの電話をうれしげに平気でかけてると、
まわりが何かやるようになっちゃいますよね。
ぼくは実際、会社にいたときには、
売りこみがたのしくて仕方がなかったんです。
ボロボロに断られるし、断られるところを、
みんな見ているわけ。でも、ああ、断られても
ああやってかけるんだ、というのが伝わったみたいで、
今は、若い人たちが売り込みの電話やってるらしい。
それをこの前、元の会社の人たちに聞いて、
『ああ、それはいい遺産残したなぁ』
と思ったんだけども。本来的に、仕事っていうのはさ、
何でもかんでも、やっぱり、おもしろく、ですよね。
クチで言ってもしようがないんだけども、
ほんとに心からたのしくやってたら、
顔は厳しい顔してやっていても、
やってることから出るたのしさを、マネしたくなる。
イヤなことをやっているのは格好悪い、
ということは、どんな人でも、わかっていますから。
ぼくにとって、ほんとうにためになった時間は、
新人賞をいただいてから、
いちばん最初の小説が掲載されるまでの間に、
何度も何度も書き直したときなんですよ。
そのときに、編集者に言われ続けたことは
『今やらないと、先へ行ったらやれなくなる』
ということでした。
『あなたの書いたものが一作でも
本になったり、よそに書きはじめたりすると
つきあう相手の体温が変わってきて、
相手がなかなか、ここまで厳しいことは
言わなくなってきます。
今だったら、どんなことでも言える。
ここでやっておくことっていうのは、
先へ行ったら一生の肥やしになるんだから、
嫌がらずにやってください』
そう言われましてね。
もとより、こちらも、もう、
嫌がるも何も、それっきゃないんですから、
必死で食らいつきました。
『こうやっとけば、“いざ鎌倉”というときに、
すぐに出陣できて、恥をかかなくなりますから』
って、最後には言われまして……。
そういう時間は、もう、ぼくにとっては財産です」
あなたは、これらの話を聞いて、どう思いましたか?
そして、あなたにとって、いいなぁと感じて、
「この中には、大切なことが詰まっているはずだ」
と、肯定するためにくりかえし聞く言葉は、何ですか?
いいなぁと思った言葉をそのまま肯定すると、
それを手に受けて、運んでゆきたくなるというのが、
ハイデガーの考えなのだと、ぼくは受け取っていますが、
その話については、また、近いうちに紹介する予定です。
次回に、続きます。
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木村俊介 |