第1回 可能性が、ともすれば部品に見える。
(♪三味線の音で登場)
ちっす。どうも。水ぶっかけろぃ。
「ほぼ日」の木村ともうします。まいど大変恐縮で。
10月22日の日曜日の朝に、コーヒーを飲みながら
デリバリー版宛てのせつないメールに返事を書いてたら、
急に、こういうコーナーをはじめたくなりまして・・・。
せつない経験だとかを、考えてみるコーナーなんだけど。
なので、構想数十年!みたいな大作ではないのよ。
おそらく「短期集中の投稿もの」になると思います。
そーゆう感じで、しばし、
おつきあいいただけると嬉しいです。
今回と次回は、このコーナーの動機を、前口上します。
1回目、ちょっと「まじめ」になるけど、読んでみて。
* * *
えーっと。
これは、単なる個人的な好みの問題なんだけど、
ぼくの場合、高校生の頃にオウムの事件があったり、
二十歳の時に酒鬼薔薇事件があったりしてた時期に、
実は、そーゆうものに、あまり関心を持てなかったの。
なぜかというと・・・。
いわゆる「若者の凶悪犯罪」とされるものって、
何というか、やろうと思えばできる、というか、
あんまりうらやましくない、という感じがあったから。
・・・理由になってないかもしれないけど、
リアルに言えばそういうような印象があって、
ぼくにとっては「どっちでもいいもの」でした。
だから、当時、そこで
「なぜ、このような若さで、
こんな凶悪なことをせざるをえないのか?」
とか、社会学的に考えたりすることも、全然なかったし、
「そりゃたぶん、環境に我慢できなかったんだろうな」
とか思って、いつも、それで考えをおしまいにしていた。
・・・野球で強くなったり、サックスをうまく吹いたり、
そういう「他人とは違うかっこよさ」を求める時の
別のかたちとして、宗教や殺人を選ぶと感じていたので。
自分がおんなじ年代だったから、
「この先に何をどうやるか」の大海みたいなものに
ほとんどの人が投げ出されて答えを出しあぐねている、
その状況のほうが、事件そのものよりも興味があって。
10代の人って、
「若いんだから何でもできるね。可能性があるね」
と、今でも、よく言われがちでしょう?
だけど、そういう「可能性」というのは、
ダンスだったり数学だったりするような、つまり、
人工的な特技を学習して上達してゆくタイプの、
妙に「不自由なもの」にも見えるんです。
「まだ何でもできる、可能性がある」って、同時に、
「何にもしなければ何にもなれない」恐怖も生むわけで。
だから、いろんな人が、いろいろなかたちで、
10代の当時に偶然得意そうだった何かの能力を磨いて、
そこに膨大な時間を費やして特訓しますよね?
何か、そういうのが、前から気になっていたんです。
いろいろなことをできる「可能性」としての選択肢が、
いつしか、ともすれば、工業製品を作るための
「部品」のように見えてくるのが、とても、つらい。
殺人すらも、他人よりも違うことをやるために、
自分を装飾する部品として選んだものかもしれない。
「客観的に見て」という判断で
他の人よりもかっこよくなるには、
殺人も含めての特殊な技能を手に入れたり、
ミリオンセラーを続出させたりしなければ、救われない。
そうだとすると、あるスポーツの競技記録を
詳細に覚えたその記憶力でほめられるような
データに残るタイプでの栄誉を求める以外には、
身のこなしかたがなくなってしまうのだろーか?
・・・そう考えはじめたら、「若さ」というものが、
個人的には、だんだん邪魔になってきたんです。
ぼくのまわりの「若さ」を謳歌している人たちも、
そういう見えやすいランキングで1位を目指すための
生き方や訓練をしている人たちばかりだったし。
でも、ランキングの1位という客観的なものには、
わかりあうこと、だとか、せつなさ、だとか、
そういうものって、あんまり要らないことになっちゃう。
客観的に議論しつくしたはずの哲学者のヘーゲルも、
「私を理解したものはひとりしかいなかった。
しかも、彼ですらも、私を誤解していた」
と言い残して亡くなった、と言い伝えられています。
客観的な部品を集めておしまいにはなりたくないので、
ヘーゲルのような年の重ねかたを、木村は、したくない。
若さの可能性を部品のように扱って、
ランキング上位に行くために時間を埋めるやりかた以外の、
何らかの発想や行動の方法が、あるのではないだろ〜か?
それが、このコーナーをはじめる動機のひとつ、なのです。
で、次回とかに詳しく言うけど、それは、
年齢を重ねることと関係あるんじゃないかとぼくは思う。
・・・ふー。何かややこしくなっちったよ。
いったん、今回はこのへんで。
まだまだ整理されていないけど、少しずつ話を進めます。
明日掲載の次回に、つづく。
[さみしげな今日の2行]
「私を理解したものはひとりしかいなかった。
しかも、彼ですらも、私を誤解していた」
(ヘーゲル)
(※ま、世の中はだいたいが誤解だろうけど、
最後の最後に、これ言うのは、きついよなぁ)
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