老人になるための練習
(「コンビニ哲学発売中」の特別篇)

第3回 結論というか、落としどころ、について。


いえいっ。「ほぼ日」の木村です。
このコーナーは、年齢を重ねることを、
いわゆる、若さの衰えとしてではなくて、

「暮らしていくなかで事情が込みいってきたり、
 仕事のシビアさが増したりする中で、
 楽しみや考える内容が複雑になってゆくこと」

という現象だと、仮に捉えてみます。
そこで「経験」や「老い」を、ごまかさずに考えよーかと。

それにしても、もともと言いたかったのは、単に、
「経験が増えると、せつなさも増すでしょ。
 せつなさって、良いよねえ〜〜〜っ!」
ということなんだけど、
書いているうちに、何だか話が変わってきそうなのよ。

ほんとは、ふだん木村が、
「ほぼ日・デリバリー版」という
メールマガジンのようなもので触れている感じの、
せつない気分のメール紹介に、だんだん移行していって、
このコーナーを「投稿もの」にしたいんだよー。
だけどなぜか、まだ、投稿募集になっちゃいないです。

今日も、どうやら、
経験とかを考えるための「動機づけ」になりそうで。

動機づけも大切だとぼくは思ってるけど、
「せつな系メール」を読んだ気持ちに戻って、
一息ついてみるために、ここではいったん、
最近「ほぼ日」に届いた、せつな系のメールを、
紹介してみたいと思います。

>今日、久しぶりに前の会社の友人と食事をしに行って、
>私が好きだった人が結婚したことを知りました。
>もう、ぜんぜん、なんともないはずなのに、
>胸がちくちくするのは何故なのでしょう?
>みんな、やっぱりそうなのかな?
>
>彼のことは、なぜか私にはよくわかり、
>勘違いされやすい人で
>他者に誤解を与えやすい行動を
>起こしがちな人だったけど、
>それすらも私にはよく理解できた。
>そして傷つきやすい人だった。
>
>ちょっとした仕事上の意見の食い違いで、
>お互い泣きながらしゃべったこともあった。
>「俺を見捨てんといてくれ」と言われてぐっさり。
>胸にしまってあった「好き」の気持ちがずんずんした。
>「好きな人を見捨てれるわけがない」心の中で叫んだ。
>あの時、私たちは一番理解できたと確信してる。
>けど、それだけじゃ恋になったりしないねんなあ。
>
>私が会社をやめるとき、「実は・・・」と告白した。
>そしたら
>「君が築きあげたものは絶対、守っていくから」
>そおいう、カタチやった。
>いろいろと思い出してしまったよ。
>ちくちく・・・。
>
>「あお」


こーゆうメールの、うるおいのある複雑な気持ちを
わかったり味わったりするコーナーなの、と言いながら、
「なぜ年齢を重ねることを考えたいか」の続きに参ります。

     *      *      *

結論を求めている人が多いんだけど、
その結論が、うまくつけられていない場合が多い。
ぼくが「老い」について考えてみたい動機のひとつには、
それを感じたっていうのが、あるんです。

具体的で現実的な「こたえ」を
探しているものには、例えばビジネス書があるけど、
でも、実はそこに「経営哲学」だとかを、
あんまり読みとれなかったりしませんか?
「ああいう本って、出だしがおもしろいんだけど、
 後半がつまらないんだよねー。なんでだろう」
とか、ぼくは前に、darlingとクルマの中で話してた。

まず、出だしがおもしろいというのは、
「問題提起」がしっかりしている証拠です。
だから、その疑問そのものは素晴らしいはず。
・・・でも、なんで後半がつまんないんだろう?

例えば、今、ぼくの近くに転がっている本には、
『システムという名の支配者』というものがあるけど、
それも、ぼくにとっては、
「前半おもしろ、後半は・・・」的なやつです。

「アメリカの社会の荒廃がなくならないのは、なぜか?
 ・・・深刻な問題の原因を私達が見誤ってるからだ。
 『大きな政府』『麻薬』『多様主義の教育』
 『個人的責任感のない文化』『だめな政治』・・・
 そんなのが『私達アメリカ社会の荒廃の原因だ』と
 よく言われているんだけど、いや、そうではないぞ。
 私達の社会の高い離婚率や子供の精神の荒れには、
 たぶん、もっと、違うところに、原因があるのだ。
 だから、ただ単に、細部の政策を直すだけでは、
 アメリカの社会は、まったくよくならないのじゃ」

出だしは、こんな感じです。
ちょっと、そそるでしょう?
「現状のとらえかたが不完全だから、よく見てみよう」
そういう考えのはじめかたには、ぼくもなるほどと思う。

だけど。
「じゃあ、荒廃に対する本当の原因は、何?」
に対するこの本の結論は、なんつーか、残念なの。
えーと、いろいろなことを省略して、
ものすごく大雑把に言うと・・・結論がつまらない。

似たようなことは、この本ではなくともあります。
表紙に著者の顔写真が「ばしーん」と出てくるタイプの
経営方針的な本って、今はすごく溢れているけれど、
たいていが「前半おもしろ、後半は・・・」だと思う。
もちろん、いい本も、たくさんあるんだけど。

えーっと。
なんか、こういうのって「人生」に似てませんか?
若い時の勢いはあるんだけど、収拾がつかないみたいな。

つまり、「落としどころ」とか「点をつけること」というか、
そういうことって、実は、最初に考えをはじめることより
何倍も何倍も、むつかしいと思うんです。

だから、疑問だとか、破壊だとか、否定だとか、
そういう若さの象徴だけで終わらずに、
代案だとか結論だとか、時には妥協だとか、
そういう方向のものに関しても、
ちょっと、まじめに考えてみたいなあと感じているの。
成熟だとか、加齢だとか、老いだとかについても、そう。

ぼくにとってのこういう感覚と
似たような発想をしている人としては、
ポール・オースターという作家がいます。
今回は、その言葉を「超訳」気味に紹介だよ。

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ぼくたちにとって、大きな意味を持つ作品は、
書かれた時代の常識に反している場合がほとんどだ。
・・・しかし。誰かが言うような
「作家が時代の要請や、強制を感じて
 作っていないような作品は、つまらない」
という考えは、果たして、ほんとうだろうか? 

わざわざ実験的に作る作品は、
現在の慣習の壁を打ち破りたいという
「切実な願い」から生まれているはずなのに、
でも、「前衛的」とされる作品は、
だいたいが、短命で終わってしまうよね。
それはたぶん、「破壊したい」という慣習に、
結局、とらわれてしまっているからだと思う。

その一方で、
まわりの状況をまったく変えていないのに、
ぼくたちの感覚をよみがえらせてくれる作品や、
新しい思いを植えつけてくれる作品がある。

例えば、カフカ。

彼の書いたものは、
通常の規範のまったく外に立っている。
だから、ぼくたちは、その作品を読むためには、
新しい場所をつくるしか、なくなるんだよ。


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「今の時代の壁を破るんだ」という感じの、
若さっぽい発想からは、もしかしたら、
「奇抜さのための奇抜さ」しか生まないかもしれない。
・・・ぼくは、こういう文を読むと、そう思います。

つまり、変化させるための変化、じゃあなくて、
自然に考えている道筋としての結論、とか、
ものごとの落としどころ、だとか、
そーゆうものについて、普通に考えてみたい。
出発点以上に、着地点が気になってきてるんです。

だから、年齢を重ねることに、興味があって。
「画龍点睛」っていう言葉も、気になるなーーーっ。


[今日の2行]
わざわざ実験的に作られるものは、「破壊したい」という
慣習にとらわれているから、結局は短命で終わりがちだ。
                  (オースター)


(※やっぱり話が途中なんだけど、つづきます。
  それにしても、まだ投稿ものにならないぞ?
  でも、感想は楽しく読んでます。ありがとね)


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2000-10-26-THU

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