老人になるための練習
(「コンビニ哲学発売中」の特別篇)

第6回 主観的で投げやりだけど、まじめな感じで。


短期集中でたくさんの投稿にしたのは、
言葉を、一時的に投げただけの
不安定な状態にしておきたいからです。
そのかわり、今日もメール引用が長いですし、
最終回の第8回なんて、おそらく、
むちゃくちゃにたくさんの、スクロールするのに
気が遠くなるくらいのページ数になりそうですけど。

「経験」とか「老い」とかの話をすることは、
何だか悟りを開くことや修行になってしまいがちで、
気をつけないと、真剣なあまり、すぐに
狭い道の王者を目指しかねないと、ぼくは思います。

まじめな内容で、
ひとつのテーマを会話で突き詰めようとする時には、
前にある発言の良いところを生かすこともできます。
だけど、その一方で、まじめに突き詰めるあまり、
前にある発言が「足かせ」になる場合も、ありそうで。

すでに発言されたいろんなものが、なぜか、
いつのまに、アリバイ確認のようになっちゃって、
「客観的に判断して、有益な意見」
のような発言だけになったとしたら、やばいと思う。
・・・「こないだ、あれを言ってしまったから」
「あれがすでに言われている状態だから」みたいに、
発言する側が不自由になる怖れが、ありますよね?
そうなると、飛躍して話ができなさそうじゃん。
それは、避けたい。

だから、このシリーズは、短期のまま、
発言がぜんぶ「おおごと」にならないうちに、
たくさんの投稿を載せる形が、いいなと思ったの。

あ。そうだ。
今回はまず、そういうことに関係している
哲学者のフーコーの言葉を紹介してみますね。

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歴史家は、自分を出さずに何かを語ろうとする。
歴史家は、他人にものを語らせようとするから、
自分の個人的な好みをなるべく出さないようにする。
従って、自分自身と執拗に戦わなければいけなくなる。

・・・「自分の偏見を持った好み」を黙らせて、
「自分が嫌いだと思う気持ち」もおさえつけて、
「自分が感じている未来への展望」をごまかしている。

だから、架空の「客観性」を持つ学問を
つくりあげなければいけなくなるし、
死をよそおって死者だけのいる王国に入る。

自分の生み出すものから、
「個人的な意思」の痕跡をすべて消して
客観的な法則を他人に示すのが歴史家だとしたら、
彼らは、何か客観的な世界の意思に従いたがって、
自然の摂理だとか、究極だとか、大きな目的とか、
そういうものを信仰していることになるんじゃない?
・・・そういう信仰は、ぼくには、
単なる禁欲主義にしか見えないんだ。

ぼくは、歴史を、客観的な立場から、
観客としてとらえるべきではないと思う。
少なくとも、いつまでも観客にとどまる人間は、
歴史を知ることが、ありえないんじゃないかなあ。
お客は、内部の事情には、通じられない。
だから、歴史の中にいて、歴史を作る人間だけが、
歴史を見ることができるんだと、ぼくは考える。


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ここで書いてある「歴史」という言葉を、
「個人的な経験」にして読むと、わかりやすくない?
それぞれの経験を、客観的に権威づけるのは、
だからむつかしいんだと思う。

つまり、経験だとか老いだとかいう、
とても個人的な歴史をたどるためには、
客観的なものに行き着けなさそうだから、
主観的な思いだけを、ここで集めたいわけです。

もう少しフーコーの言葉を紹介します。

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昔にぼくが言ったことに、
ひっきりなしに振りかえらないで欲しい。
ぼくが言ったことは、
言った瞬間にすでに忘れられるんだ。
ぼくは、忘れるために、ものを考えるのよ。
過去にぼくの言ったことには、もう、何の意味もない。

人が何かを書くのは、それはすでに、その何かを
頭のなかで完全に使い古した時なんだと思う。
人が書けるのは、血の気を少し失った考えだけだ。
だから、ぼくがすでに書いたものごとは、
ぼくの関心からは、もう、すでに離れている。
ぼくが興味を持つのは、
ぼくがこれから書きえることと、
これからなし得ることだけなのだから。


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書いたりひらめいたりする瞬間にものを忘れて、
ほとんど「忘れるためだけに書き散らす」くらいで
いろいろと書いたり考えたりできるのならば、
少しは自由に、いろいろと感じることができるぞ、
と、木村は、この文章を以前に読んだ時に、
とてもラクになれたような気がしたんです。

そんな、いい意味での投げやりな気分で
ここに投稿してくれるといいなあと思って、
だから、フーコーの文章を紹介してみたんだけど。

木村は、おおごとにしないで、普通なまじめさで、
こういうことを一度やってみたかったんです。

例えば、今日これからお送りするうちの
3通目の「ヤマチ」さんなんて、ちょうど、
そういうスタンスを持っている人ですから、
シリアスと言えばシリアスなメールではあるのですが、
ぼくは、普通な気持ちでじーんと感動していました。

では、みなさんからのメールを、どうぞ。
15通ですから、ちょっと長くなりますけど、
それでもゆっくり読んでみてほしかったりします。

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>私は自分よりもかなり年の離れた男性からやたらと
>ちやほやされる、という経験を何度もしています。
>「いやー若い子はやっぱりいいねえ」
>という発言、何十回と聞いたし、
>「若い子が来るとみんな喜ぶからねえ」っていわれたり。
>
>女の子の「若さ」は大人の男性にとって、
>ものすごい力を持つ。
>20歳になったころ、私はそうはっきり知りました。
>
>でも、「若さ」なんてすぐ
>無くなっちゃうものだって私は知ってて、
>それは私に「女子高生」だった時代があったから。
>当時、高校生って世界最強のような
>扱いをされてたように思います。あの当時、私は
>「世の中的にトップ」な立場にいると思ってたし、
>でも、卒業したら無くなるってのも、
>実際経験して知りました。
>
>「女子高生」と同じように、「若さ」も、
>一時的に私の中にあるもので、
>ある時期が来たらなくなるだろう、
>なんて事はすぐにわかりました。
>
>そういう、私の中心じゃないもの、
>すぐなくなっちゃうものに
>やたら憧れる男性の気持ちが
>かなり、迷惑だったりします。
>若ければ、私でなくてもいいわけですよね?
>結局、私のことは見てなくて、
>私のもってる「若さ」を見てるんですもん。
>
>これから年をとっていくってことが
>決められてるのに、
>「若さ」だけで私を計ろうとしないで、
>と私は言いたいなあ。
>今まで身につけたもの、これから身につけてくものが
>大切なんじゃないかな。落していくものよりも。
>最近そう思っています。
>
>若さにこだわっていてはいけない気が、
>するんだけれど…。男の人と女の子では違うのかな?
>
>ma


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>ナンデモデキル、ナンニデモナレルって言葉を、
>人にも言われて、自分でもそう思って、
>でも、何をしたいのかも、
>何になりたいのかもわからなくて、
>何もしないで過ごしていたら何にもなれなかった、
>っていう、すでに枯れてしまっている若いヒトたちって、
>夢に向かって頑張っているヒトたちと同じくらいいそう。
>
>なにか特技といえるものもなく、
>かといって今から「特技」を作るには遅すぎる気もして、
>でも、達観するほど残りの人生が短いわけでもなく、
>ただひたすら中途半端な若さを持て余してる人々。
>
>こういう気持ちって、可能性の部品が
>見つからなかった人特有のゆううつ?
>「部品見つけ」や「部品磨き」以外に
>時間を費やしていたら
>こんなクウキョな気持ちにならなかったのかなぁ?
>
>ユ


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>木村さん、同世代だったんですね。
>自分と同世代の方の「老人観(?)」の様なものを、
>一度読んでみたいと思っていたので、
>かなり気になりました。
>
>このあいだ、「キッド」という映画を観てきました。
>非常に爽やかなラストでした。
>「いやー、めでたしめでたし」みたいな感じの。
>「夢」とか「人間って、いつまでも若いんだぞ!!」と
>いうような、輝かしい世界でした。
>でも、「死」や「衰え」みたいなものが
>微塵も無い映画だったので、
>現実を忘れて楽しむどころか、
>かえって気持ち悪さが残りました。
>
>「死」や「衰え」を
>とてつもなく恐怖にとらえるのでもなく、
>めちゃくちゃボジティブなフリをしてしまうのでもなく、
>普通に捉えることって出来ないのか?って、
>時々考えています。
>
>去年、祖父が入院した一ヶ月の間に、
>父が自殺しました。
>痴呆状態の祖父を目の当たりにして、
>自分の老後を悲観したために、
>もともと鬱状態だったものが
>悪化してしまったことが理由の一つです。
>結果的には、祖父は、亡くなる一ヶ月前まで、
>自分の店で、元気に店番をしていたのですから、
>大往生だったのですが・・・。
>
>父が亡くなってから、
>私は今まで、父のことを父の口から、
>あまり聞かせてもらってないことに気付きました
>(父はあまりアピールしませんでした。
> アピールが下手でした。そして、娘も薄情でした)。
>
>自分自身のことをあまり認識してもらえず亡くなる、
>何だか辛いものが・・・。
>こんな死に方は嫌だ、と思います。
>(ヘーゲルさんには馴染みがないのですが、)
>誤解されたまま死ぬのも嫌です。
>
>・・・そう、思いつつ、
>「客観的にみてかっこよく」なるための
>努力もしちゃってます。
>(書いているうちに、頭が沸騰してきました)
>
>今は、孤独にならないために、
>自分の腹の底からの気持ちを、
>人にわかるように伝える努力をしています。
>人がいくら周りに居ても、
>自分からかけ離れた認識をされていたら孤独なので。
>
>ヤマチ


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>小3 小1 3歳の 母です。
>
>今まで 考えて見もしなかったんですが 
>(気づかなかったというか)
>
>人より もっと いい成績に なりたい
>人より もっと うまくピアノが 弾きたい
>人より もっと 速く走りたい
>人より もっと やさしくなりたい
>人より もっと ・・・・・・・・・・・・
>人より もっと 相手を 苦しめたい
>人より もっと 上手に 人を 殺めたい
>
>同じ線の上にあるとは、思ってもみませんでした。
>自分自身の事もそうだけど
>子供の心の成長を見守っていく事も、難しい。
>
>jurarin


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>コンビニ哲学読んで、
>今、心臓がバクバク言ってます。
>まさに今回のテーマで私は悩んでいた!のです。
>
>「『何にもしなければ何にもなれない』恐怖」
>あぁ、これだ、と思いました。私は今、大学一年で、
>いろんな人から「今が一番いい時期だね」とか
>「何でも出来ていいね」とか言われて、
>でもなかなか自分で何をしていいかわからなくて
>何かに打ち込む自信もなくて悶々としておりました。
>
>専門学校で勉強してるともだちが
>やたらまぶしく見えたり、
>様々なことにチャレンジしている
>同い年の人を見て落ち込んだり。
>
>その様々なことや、
>何か一つのことに打ち込める可能性を
>「部品」というふうに木村さんが解釈されてたのが
>とてつもなく衝撃的で…
>
>続きをすごく楽しみにしています。
>勢いで書いてる文章で、
>まとまりも脈絡もなくてすいません。
>ただ何か、反応してみたくて、
>メールしてしまいました。
>
>みず


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>医学的には身体機能の多くはピークが10代〜20代で、
>あとはどんどん下降するという研究結果があります。
>記憶はあいまいですが。
>ただひとつ、かなり年をとるまで
>伸び続けるものは情緒的な面とか
>人間関係の面なんかだったと思います。
>
>そっかー、と振り返ると
>私の感情はずいぶん色合いが
>増えているように感じます。
>小学生の頃なんて白か黒しかない世界だったのに、
>だんだんグレーの部分がわかるようになり、
>グレーに濃淡がでてきて、
>さらに微妙な色彩の加わるというように。
>
>私の思春期以降は
>“この時代はなかったことにしたい”と思うような
>無駄な苦しみとしか思えないことが
>満載だったのですが、今思うと
>「あの苦しみがあったから
>「今こんな風に感じることができるんだな」
>と気づくことがあります。
>
>体は老化しちゃうけど、心は成長したい。
>私はこの「成長」という言葉に
>すごくこだわっているかもしれません。
>
>32歳からヴァイオリンを始めました。
>こんな年であんな楽器を始めても
>ヴァイオリニストになれるわけじゃありません。
>そんなの百も承知で。
>いつかやりたいと言い続けて、
>やがて「やりたかったけど忙しかった」と
>言い訳して諦めるのは、
>人生に未練残しまくりの老人みたいでしょ。
>そういうバアちゃんになるのは嫌なんです。
>
>「やってみたがあかんかった」
>と笑って言うバアちゃんがいい。
>でも、少しずつできるようになるんですよ。
>子供のように上達はしませんが、
>練習すると確実に少しずつうまくなるんです。
>「あー私成長してる」ってすごくうれしい。
>老化は悲しいけど成長はうれしいです。
>心だけでなく、ほんのわずかなことでも
>身体的な能力も成長したいです。
>
>長いメールになりましたが、
>ヴァイオリンのこと書いて、思い出したので
>ちょっとだけ、いい話させてください。
>
>ヴァイオリン教室に70歳すぎの
>おじいちゃんが習いたいと門を叩き、
>先生はちょっとびっくりしたそうです。
>
>初めてですと言う割に
>いろいろ知っているので、よく聞くと
>「少年時代に少しやっていたが
> 戦争がおきて続けられなかった。この年になって、
> あの時の気持ちがよみがえってきて、
> もう一度触れてみたくなった。
> ワクワクしてならない」と。
>素敵なじいちゃんだと思いませんか?
>こんな心の熱いじいちゃんをみると
>胸が熱くなったりして・・・・
>
>にゃんこ


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>わたしにもまだまだ、訳の解らないことが多いです。
>30とちょっと生きてますけど。
>つい最近メールをはじめて、
>親友と言葉を交わしているうちに、
>自分の中のものが一気に一つのまとまりになりました。
>そして解ったことは「私はなにも知らない」。
>そして考えつづけなければならないんだと思いつきました。
>
>私も大人になることに憧れてました。
>いろんな豊かな考え方ができると思って。
>でもいろんなことを知れば知るほど、
>自分は無力であり、
>なにも知らないのだと打ちのめされてしまうのです。
>そして、自分の考えがいかに傲慢だったか。
>
>kob


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>いろいろなことにとらわれながら、
>一つのゴールに向かってではなく、
>毎日を少しずつクリアーしていくというのは
>とてもよくイメージできます。
>ピークにむかう山登りに、人生を例えられても
>僕はなんだか、違和感を感じてしまいます。
>
>僕は一つのことに打ち込むことが苦手です。
>あっちの世界も、こっちの世界も
>覗いてみたいって思うので、なかなか
>一つのところにジッとしていられません。
>将来に大きな目標を決めるなんてことも、
>そのとたん未来に、がっしり
>縛られた気がしてしまってどうも苦手なのです。
>
>世界は知り様がない程広くて深いんだなと感じて
>欲張りの僕はとても失望したこともあります。
>
>最近は、あんまりがつがつしないで、
>自分のまわりになんとなく存在している世界を
>ゆっくり咀嚼しているだけでも、とても充実した
>時間を重ねていくことが出来るのかなあと
>思うようになりました。
>
>昔の自分は、自分の好きなものを探して
>ブラウジングするばかりで、
>今そこにあるものの中に自分の興味を
>見い出す力については、
>意識していなかったような気がします。
>それが年をとることと関係あるのかどうかは
>わかりませんけれども。
>
>とはいえ
>自分で作った料理は、どうしてもがつがつと、
>あっという間に食べてしまう、修行が足りない
>私です。
>
>akihiro


--------------------------------------------------

>「若さっぽい発想からは、もしかしたら、
> 奇抜さのための奇抜さしか生まないかもしれない」
>を見て、浪人時代に知った言葉をおもいだしましたよ。
>
>「アンチテーゼはテーゼに回収される」ってやつ。
>
>「壊せ!」とか「NO!」とかって言うのって
>カッコ良く聞こえるけど、実はその前に、
>壊すべき対象、YESと言える対象が存在して
>はじめて言える言葉であって
>壊すべき対象、YESと言える対象に
>全面的に依存している。
>「YES」と言えるものがなければ「NO!」とは言えない。
>だから「NO!」なんて言うより、
>「YES!」って言切れるほうが何十倍もかっこいいよね」
>と言われたことがあるんですよ。
>
>なるほどね〜って感じしません?
>
>自分の頭や感覚から涌き出てくるものを肯定する、
>それが時代に合っていようがなかろうが、
>そんなの後づけの話じゃん!というスタイルで、
>無から築き上げるということが出来ると。
>
>ohr


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>先月、展覧会に行ってきました。
>そこで一番印象に残ったのは、
>90歳を過ぎた画家たちが、口をそろえたように、
>「死ぬまで(もっともっと)こうして絵を描きたい」
>と言っていたことなんです。
>死ぬまでやりたい、つまり、それをしながら死にたい、
>そういうふうに思えるものがあることが、
>私にはわからないから。
>
>「おいしいものを食べてから死にたい」とか、
>「死ぬときは誰かと一緒にいたい」とか、
>そういう先回りの方法で
>点のうち方を考えるんじゃなくって、
>いまの場所からするする伸びて、
>伸びていって、その先端に、静かにぽつりと
>うたれるような点を想像したいんですが・・・。
>
>SA


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>「痴呆老人を赤ちゃんを扱うように、
> という人がいるけれど、赤ちゃんと違うのは、
> 老人には長い人生の中で生まれた自尊心がある」
>と精神科の医師がコメントするんです。
>これはアタシにとって結構衝撃的なことでした。
>人間はボケてしまっても自尊心は失わないものらしい。
>
>そうするとやっぱもう少し「自尊心」というものを
>調べたくなりますよねぇ。で、本日、
>仕事をするフリをしてインターネットを覗いたら、
>「自尊心とは良いナルシズムのこと。
> つまり精神の防御システムである」とのことでして、
>「ごまかすことなく
> 人生の無意味さに直面する能力がない
> 私たちにとって、自尊心(精神防御システム)は
> 健康的に生活するのには必要である」
>と書いてありました。
>
>年をとるってことは
>「人生の無意味さに直面しそうなこと」から
>何度も逃げるってことでもあるわけで、
>そのたびに「セーフ」なんてつぶやいて、
>なんかよくわからない自己への信頼が
>増えてくんのかもしれないと、
>アタシは思ったのでした。
>
>わび助


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>友人のご両親が車で夕飯に連れて行ってくださる途中、
>雷と豪雨で周りの山々がけぶって
>すごいことになってたんです。そうしたら
>「ほら、見てごらんなさい!山水画みたいねぇ!
> 晴れた山はいつでも見られるけど、
> こんなにキレイな山は、滅多に見られないわよ!
> あなた、良い時に来たわね〜!!」
>そう言われて見ると、本当に山々がキレイなんです!
>見方によって、滅入る雨も外の景色も、
>なんてすべてが輝いて見えるのだろう。
>と感動しました。
>
>かのん


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>誰彼を恨んでいると
>決して「いいひと」は見つかりませんね。
>見つからないと自分も
>「いいひと」になかなかなれません。
>自分が満たされていないと誰かを恨む・・・。
>このループから抜けだす原動力が
>私の場合、経験だったのです。
>「経験すること」はいいことだと思います。
>少なくとも無防備に
>人を傷つけないようにと考えながら行動できます。
>
>mo


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>年齢といえば、わたしは63歳の女で、
>一応仕事はね、定年まで勤めあげたんですけど。
>恋も2、3経験しましたね。なが〜い恋もしましたよ。
>
>年をとったというだけで、
>年下の友人たちに、何も、伝えたいこととか、
>教えてあげたいこととかがないんですよ。
>つまり、年は老人なんだけど、
>きもちは30代ぐらい、ということで、
>ほんと困ります。このアンバランス。
>たぶん、結婚して、子供を産んでということを
>しなかったせいなんでしょうね。
>
>ただね、糸井さんが
>「たましい」という言葉を使うようになったとか
>言っていらっしゃいましたでしょ。
>わたしも、還暦を過ぎた頃から、何はどうでも、
>たましいの下劣な人とつきあうのは
>もういやだなと思うようになりました。
>高貴なたましいであって欲しいな、
>自分も人も、と思うのです。
>それだけあればいいやと。
>それと、だんだん
>「死」が近づいてくるのを感じますね。
>死にたくないです。
>
>har


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>私は今28歳です。
>12月に29歳の誕生日を迎えます。
>
>10年前、今の自分は全く想像できなかった。
>でも、悪くない10年だった。
>山あり谷あり。鉄砲水も食らった。
>それでも生きている。
>やっと自分が見えてきた。
>自分を生きているのが
>面白くなってきたってところかな。
>・・・・・こんなこと言ってる今の自分を、
>10年後の自分はどう思うんだろ。
>「青いな〜。」なんておもうんだろうか?
>
>kyo


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きっと、これをぜんぶ読んで、
「ふーーーっ(・・・長かったなあ)」
と思っているかたが、いるでしょう?

そして、何か感じるところがあったメールも、
そうでなかったものも、きっとあると思いますが、
木村は、ここに掲載されたメールには、すべて、
どこかしらで、「おおおっ」と動かされました。

それと、今回のフーコーの言葉って、個人的には
自分の中で何回読み直したかわからないものなのよ。



[今日の2行]
少なくとも、いつまでも観客にとどまる人間は、
歴史を知ることが、ありえないんじゃないかなあ。
                (フーコー)


※今日の本文、フーコーの言葉、15通のメールや、
 「経験」「老い」に関して思われたことなどを、
 メールの表題(Subject)を「rojin」にして、
 postman@1101.comまで送ってね。
 第8回までは、なるべくたくさんご紹介しますのだ。


(明日につづく)

2000-11-01-WED

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