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#3 感情の教養


ほぼ日が配信しているメールマガジンで、
「人から聞いた中で、最も印象深い言葉」
という特集を組んだとき、いちばん反響が大きかったのは、
それぞれの人が苦境に何度も思い出す種類の言葉、でした。

「苦しい時は上り坂、楽な時は下り坂」

「努力してるのにと思うときは、圧倒的に努力が足りない」

「ちゃんとやっている人は、言いわけをしない」

「人に迷惑をかけてでも好きなことをしなさい」

「永遠に生きるかの如く学び、明日死ぬかの如く生きろ」


こういった、ふと人に言われ、
後になるほど、なるほどなぁと、噛みしめたくなる言葉。

何百通ものメールを読んでいると、
「あなたになら聞いてもらえると思った」
という信頼の裏づけがあって伝えられたときにこそ、
言葉は、言ってくれた場面と一緒に
思い出したくなるものになるようでした。

「難しいことを初めてするとき、誰がうまくできる?
 最初はできなくていいの。ひたすらやっていれば、
 いつか『あれ? 私できた!』と思う瞬間が来るはず」

「神様は頑張っている人の所にしか降りて来ない。
 頑張ったなぁと思っているぐらいでは、来ない。
 あぁ、もう本当に頑張ってるでも、まだ来ない。
 死にそう、殺してくれえ、と
 叫ぶほど頑張っていると、ふと降りて来るよね」


職場や学校の先輩の言葉で印象に残るのは、こういった、
「一緒にやろう」という共感がこもったものなのだけど、
両親の言葉の場合、無償の愛情の裏づけがありさえすれば、
振りかえると、いつだって、特別な言葉として響くらしい。

「町工場で汗水たらして働いて少ない給料で育ててくれた
 両親に感謝し、初月給で父の好物の鮨をご馳走しました。
 私の勤める会社の手帳もプレゼント。
 父は『お前も一人前やのう』と笑っていました。
 後日何気なく手帳を開くと真っ白でしたが、
 食事に行った日付欄に、一行だけ
 『スシハライッパイ』の文字が……泣けました」

「私は不器用で、何をするにも人の五倍位の時間が必要で、
 一つのことにかかると周りが見えなくなってしまいます。
 学生時代は理系の研究室に在籍し、
 朝五時半に家を出て、毎日終電で家に帰っていました。
 生き物相手の研究で、土曜も日曜も無く、
 家ではご飯を食べて寝るだけで、
 学生の頃の毎日は、本当に研究しかありませんでした。
 そんな娘を、母はどんな気持ちで見ていたのでしょう。
 一人娘で、本当は離れたくなかったはずなのに、
 『美穂(わたし)が好きな仕事をするため』と
 家を離れて一人暮らしをすることを許してくれました。
 母は二〜三日に1通のメールをくれますが、
 先日の母からのメールで、泣いてしまいました。
 『七時半ごろ、
  わんこ散歩のとき、涼しい風が吹くので、
  川沿いをぷーらぷーら歩いてたら、流れ星。
  何十年かぶりに見た流れ星。
  アッと言う間で、
  「……美穂、美穂」の続きが出てこなくって、
  残念ながらお願いは何もできませんでした。
  でもきっとママの気持ちは通じているでしょう。
  だからバランス良くいっぱい食べて、
  お風呂は入って、ゆっくりおやすみ。バイバイ』
 幾つになっても、お嫁にいっても、
 子どもは子どもなんだなぁと思います。がんばります」


両親の言葉の場合は、いわゆる「クサイ」と
思われがちなものほど、大きな反響があったのです。

「何があっても何をしても、あなたは
 いつもお父さんとお母さんの宝もの、と言われました」
 
「私の産んだ子の悪口を言うな!と怒られた時から、
 母の産んだ子の悪口を言うのはやめました」


表面では反抗しても、親からの愛のこもった言葉は、
生き方がにじんでいるものであれば子供に思い出され、
いつか別れた後にも、支えになるものなのかもしれない。
これは、膨大な量のメールの集積から、実感しました。

ただ、こうした、
子供や、信頼する後輩への言葉のように
綴られた哲学書や小説は、実はとても多いんです。

「不幸は未来への踏み台だ」

「人は努力するかぎり迷う」

「不遇はナイフのようなもの。
 刃を掴めば手を切るが、把手をつかめば役に立つ」


いずれも名のある人の言葉ですが、不遇のときの言葉は、
「ほぼ日」にいただいた「先輩の言葉」と、
緊張感も迷いの度合いも似通ったものが、ずいぶんある。

何人かの人の著作に夢中になってはいたけど、
まだ一冊も本は書けていない青年。

教員になるための試験に一度落第し、教員になった後は、
「酒を沢山呑んでいる。もう不幸ではないが、
 前よりも孤独だ。教師として人のかわりをしていて、
 自分のために仕事をする時間がないのだ」

というメモを残す若者。

これはどちらも、二〇世紀を代表する哲学者の
ひとりとして数えられるフーコーの、二〇代後半の姿です。
「ほぼ日」にメールをくださる、
二〇代や三〇代で転職に迷っている人と、
悩みの内容そのものは、とても通じるものがあるわけで。

もしかしたら、今のあなたが悩んでいる問題は、
どこかの誰かが、それに向かって考え続けて、その人なりに
とっくみあった試合を済ませた後のものかもしれません。

それぞれの時代の個人を捉えた問いは、
今も誰かが悩まされているものかもしれないし、
そういう問題は、解決したと思ったら何度となく現れたり、
人によっては、
「振り返ってみると、私は幼年期から老年期まで
 同じモチーフのことを考え続け、それは充実していた」
とつぶやく場合さえあるわけです。

まわりの人にはバカにされ、
笑われてしまった考えかもしれないけど、
残っているからには、ひょっとしたら、
どこかにいる人の身になるかもしれない言葉。

埋もれて消えていった大多数の発言の中で、
偶然のように生き残った言葉だけが、
今、味わえる形としてさしだされているんですよね。

哲学者と呼ぶよりは文筆家と呼んだ方が
よいかもしれない、ハンナ・アレントという人は、
言葉のやりとりについて、次のように主張していました。

「わたしたちは、閉じている扉の前で、
 ドアを叩きながら立ち尽くしているように生きている。

 しかし、孤立した考えだって、いつかは
 大きな道に広がる小道を代表しているかもしれない。

 『それぞれの人は、自分が正しいと思うことを話し、
  それが本当かどうかは神に委ねよう』
 という言葉の偉大さは、ほんとうのことは
 ひとつとは限らないと考察したところにある。

 ほんとうのことがひとつでないならば、
 人と人との間には、いつでも、
 無限に話しあえる余地が残っているのだから」


言葉を残した古い人の気持ちが伝わってくるのなら、
世間的にはその発言への評価が定まっていたとしても、
いつ、どういう問題意識で受け取るのかは
自由に委ねられているわけです。

だから、言葉という言葉は、すべて自由に吸収できるはず。

著名人へのインタビューが記事になりやすいのは、
「どんな会話であれ、一見、体裁として
 問いと答えが埋まっているように作れるし、
 一応、オリジナルに交わされたやりとりだから」
という理由からでしょうが、本にしても、実際、
その時にその境遇で読んでいる人はその人しかいない。

その点では、本を読むことも、
充分にインタビューをしているようなもので、
言葉に身を浸す中で思うことは、常に新鮮なものになる。
そういう気持ちで哲学者の言葉を紹介すると、
今、それを読んだ人は何を感じるのでしょうか。

ぼくが毎日作っているメールマガジン
「ほぼ日デリバリー版」でまじめな特集をしたとき、
「感情を扱ってくれるメルマガだからうれしい」という
感想をいただいたことがあり、とてもうれしかったんです。

「本が好きで、文学部を卒業して10年経ちました。
 就職したのはIT業界なので、
 知識の面では理系卒の人たちにかなわず、最初は
 『私がいままで大切に思ってきた読書って、
  何の役にも立たない』とさえ思っていました。
 でも、10年経って振り返ってみると、本で得たものが、
 苦しいときにこそ救いになっていると気がついたんです。
 たぶん、自分は仕事でダメになっても、
 人生そのものまでひっくり返るような
 弱い人間じゃないというヘンな自信というか。
 生きていく底力のようなものを、本はくれたのだろうと、
 私はこの歳になって、ひしひしと感じています」


このメールをくださった人のような
すでに言葉の好きな方にも、
これからたくさんの言葉に接したいという方にも、
感情に直に届く哲学者の言葉を、
これから、ひとつずつ紹介してゆきたいと思っています。

「オレは理論が知りたいんだ。
 これじゃ、ただの言葉遊びの人生指南もどきだよ!」
と思った方も、もうすこしだけ、見守っていてください。

感情についての教養を重ねることは、
次第に、理論につながっていきますので。

さまざまな感想や、あなたが読んで考えたことなどは、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「コンビニ哲学」として
気軽にお送りくださると、うれしく思います。
すべてじっくり読んでいます。いつもどうもありがとう。


                   木村俊介

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2003-09-26-FRI

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