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第24回 間違いという眠りのなかで

怠けたいときもあるよなあ、
そういう流れでお送りしたのが、前回でした。
今回は、似たようなところで、「無駄」についてです。

怠けながら無駄なことをしたり、するよね?
怠けていないけど、実は、やっているのが
すっげー無駄だった、というときもあります。

弱いひとのほうが多いので、
「無駄なあやまちをしてしまった」という言葉は、
もう、いろんな本のなかに、たくさん見出せます。
だから、これから紹介しようというのは、
よりどりみどりのいい曲のなかからセレクトするときの
DJのような気分(やったことないけど)で、楽しいよ。

あやまちを犯すからこそ、ひとは魅力的になる、
みたいな言葉は、それこそ昔から各地で語られました。
そういうなかで、気に入っているのが次の言葉です。

「間違えることは、本当のことをつかむことに対して、
 睡眠が覚醒に対するような関係にあるんだ。
 間違いから覚めて、よみがえったように
 再び本当のことに向かうひとを、見たことがある」

確かに、間違えたからこそわかることは、
それは日常生活大きなことから細かいことまで、
いーろいろ、数え切れないくらい、ありますよね。
そういうのを、睡眠にたとえたあたりが好きなので、
今回はこの言葉をしゃべったひとを、紹介してみます。
近い内容で、こんなことも言っているよ。

「本当のことと間違えることとは、
 おんなじ源泉から発している。
 これは不思議だが、確かなことだ。
 だから、間違いは、
 ぞんざいにしてはいけないことが多い。
 同時に、本当のことも傷つけてしまうから」

好きなことをやっていて
煮詰まったときに、こういう言葉をきくと、
やれやれ、と一息つけたりしませんか?
いや、もちろん問題が解決するかどうかとは、
また別なのですが、何となくほっとします。

なぜなら、これを書きつけたひとも、
そう刻みつけることによって、
間違えてばかりのじぶんをなぐさめたり、
逆にヒントをつかもうとしていたり、
もう一度じぶんを興奮させていたのであろうから。

これらの言葉を書いたのは、
60年かけて81歳で最高傑作を完成させて、
翌年に亡くなったという、すごいひとなのです。
『ファウスト』を書いた、ゲーテ(1749〜1832)だよ。

「たくさんの矛盾がうなっている場所に、
 私は何よりも好んでさすらう。
 誰も他人に、迷う権利を許さないんだ。

 私は、内部でもがくことを愛する。
 疑うことがなかったら、
 確実なことを知る喜びは、どこにあるんだろう?」

このひとにとっての
「間違えたり怠けたり」からの復活へのヒントは、
やはり老練だからいくつもあるのですが、
そのなかのごく一部だけを、最後に紹介いたしますね。

「あなたの胸から出たものでなければ、
 ひとの胸をひきつけることはできない。
 心をよみがえらす泉が、
 じぶんから湧いてこなければ、
 心と体を癒してはくれないだろう。

 ひとの到達できる最高のものは、驚きなんだ。
 もし驚かされたら、それで満足するといい。
 それ以上のものは与えられないし、
 それ以上のものを裏側に求めるべきでもない。

 素材は、誰の前にも転がっている。
 内容を見出すのは、
 それに働きかけようとするひとだけなんだ。
 形式は、ほとんどのひとにとって、ひとつの秘密だ」

たくさん出してしまうと、
ひとつひとつを味わえなくなりそうなので、
今回は、このへんで。


[今日の2行]
間違えることは、本当のことをつかむことに対して、
睡眠が覚醒に対するような関係にあるんだ。
                  (ゲーテ)

[今日のぼくの質問]
ゲーテの言葉は、ちょうどいいときに読むと、
まじでしびれるので、大好きなのです。

ところで、間違えることって、ぼくは
もう生まれてから今まで数限りなくしていますが、
みなさんにとっての大きな間違いと、
それから抜けていい方向を見つけられたことって、
どんなものがありますか?
それこそ、ものすごく参考になりそうなので、
よろしかったら、メールで教えてくださいませ。

その他のメールも、うれしいです。

mail→ postman@1101.com

2000-05-14-SUN

 
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