#26 経験と年齢
誰もが一度は感じたことのあるような疑問や、
なんでこのことが気になるんだろうという話を端緒に
ハイデガーという哲学者が書いた
『存在と時間』という本を扱っている最中です。
この哲学書上の大きな課題のうちのいくつかは、
あなたが実際に『存在と時間』を読んでいなくても、もう
既に、このコーナーを読んだ人には伝わっているはずです。
ハイデガーが基礎にした、
「人の存在は、その人に流れている時間と、切り離せない」
という問題意識を、
たとえばあなたが、「存在と年齢」に引きつけたとしても、
経験をもとに、今すぐに考えられることは、沢山あります。
三年前、この「ほぼ日」の中で、ぼくは、
年齢をテーマにメールを募集したコーナーを作りました。
そのときにいただいた、膨大なメールの数々は、
『存在と時間』について考えるにも参考になると思うので、
今日は、そのときにいただいたおたよりの一部を紹介して、
「取り返しのつかない時間を過ごしている最中の人の考え」
を、紹介してゆきますね。。
……そもそも、年齢と経験についてのメールを、
三年前に募集したのには、あるきっかけがありました。
そのきっかけとは……
いろいろな報道に触れる中で、特に、とても若い人たちが、
「この先、自分は何をどうやればいいのか?」
と、まるで大海に投げ出されたかのような問いにおびえて、
答えを出しあぐねているように見えていたこと、なんです。
十代の人は、
「若いんだから何でもできるよね、可能性があるね」
と、今でも、大人たちに、よく言われがちだと思います。
しかし、そういう「可能性」というのは、
ダンスだったり数学だったりするような、
つまり、人工的な特技に学習して上達してゆくタイプの、
妙に「不自由なもの」にも、見えるんです。
「まだ何でもできる、可能性がある」
という言葉は、同時に
「何にもしなければ何にもなれない」
という恐怖だって、生んでいるのでしょう。
この年齢で、やらなければいけないことを探すからこそ、
いろんな人が、いろいろなかたちで、
十代の当時に偶然得意そうだった何かの能力を磨いていく。
そして、膨大な時間を費やして特訓していくわけですよね。
いろいろなことをできる「可能性」としての選択肢が、
いつしか、ともすれば、工業製品を作るための
「部品」のように見えてくるのは、つらくありませんか?
極端なことを言えば、
殺人すらも、他人よりも違うことをやるために、
自分を装飾する部品として選んだものになってしまうなら、
それは、かなり不自由な選択を迫られている、
と言ってもいいと思うのです。
「客観的に見て」という判断で
他人よりもかっこよくなるという欲望は、
殺人も含めての特殊な技能を手に入れたり、
ミリオンセラーを続出させたりしなければ、満たせない?
──そうだとすると、ある分野のデータを必死に覚えた
その記憶力でほめられるような、人にほめられるかたちで
栄誉を求める以外に、身のこなしかたがなくなるのか……?
そう考えている人は、「若さ」というものが、
邪魔だと思う人も、多いのではないか。そう思ったのです。
三年前の当時で、二三歳だった、
ぼくのまわりで若さを謳歌している人たちも、
実際に、見えやすいランキングで一位を目指すための
生き方や訓練をしている人が、とても多かったですし。
若さの可能性を部品のように扱って、
「客観的な部品を集めたら、それで完成だ」と
ランキング上位に行くために時間を埋める方法ではない、
発想や行動の方針は、きっとあるのではないでしょうか?
ひとつの目的のためだけに、
ひとつのことをやって、それをやり遂げて、終了。
受験に合格したり、コンクールに入選するためには、
それでいいし、そうしないといけないかもしれないけど、
もしも、違うあり方も見つけられたら、
もっとうれしいはずでしょう。
そういうことを考えた後に、ぼくは
「年をとる」とか「老いる」ということは、
きらめきが消えてゆくともとられがちだけれども、
「ひとつの目的のためだけの競争から、退く」
というものに深く関わることだ、
とも捉えることができると思いました。
老いとは、死ぬ前に、何を楽しみたいのかを、
真剣に探しはじめることでもあるはずでしょうから。
若い時の勢いはあるんだけど、
収拾がつかないまま終わるのではない方法や、
疑問だとか、破壊だとか、否定だとか、
そういう若さの象徴だけで終わらずに、
代案だとか妥協だとかにも向きあうという方法。
そういう方向を考えるために、三年前に、
「楽しみながら、ごまかさずに年齢を重ねること」
について思うことを、メールで募集していたのでした。
「今の時代の壁を破るんだ」という感じの若い発想では、
「奇抜さのための奇抜さ」しか生まないかもしれないから。
「痛い経験をしていた人特有の優しさ」だとか、
「年齢を経ていろいろな喜びを知ったからこそ、
こういうのがほんとに大事だとわかった」みたいなのを、
人に会って感じることが、おもしろかったのですが、
メールであったとしても、そのことは変わりませんでした。
これらのメールの中には、
ふと、流されてゆきそうな日々の中で、あなたなりに、
経験や意志について考えるヒントが、あるかもしれません。
では、いくつものメールを、紹介してゆきましょう。
今日はまず、十代の頃に感じたことを中心に、紹介します。
「わたしが高校生なりに真剣に悩んでいたとき、
『人に迷惑をかけてでも、好きなことをしなさい』と、
父から言われました。十年経った今でも忘れられません。
『人に迷惑かけてでもやりたいコト』
を見つけることができれば、幸せですよね」
「中学生だった頃のある日、ひょうきん者の父が唐突に
『死にたいって思うことがあったら、俺に言うんだぞ』と
言いました。当時、何の心当たりもなかった脳天気な私は
『なんなんだ?おとう?』と口があんぐりしました。
でも、大人になるうち、仕事や恋愛などで、
『ああ、逃げ出したい、いなくなっちゃいたい!』
と思う時、ふとこの言葉が頭に浮かびます。
父はなぜ、私にこんなことを唐突に言ったのかなぁ?
もしかして、当時、会社で大変な目にあっていた父が、
誰かに掛けてほしかった言葉かもしれません」
「十五歳の高校生です。
空論に基づいた話より、経験に基づいた話がおもしろい、
とは思います。でも、沢山生きてきたから、
経験に基づいた話が出来るかっていったら、
私は若いからそんな事をいうのかもしれませんが、
できない、と思います。
空論に基づいた話をしてる人は、いくら経験をつんでも、
自分のものにできないと思います。先生とかを見てても
『あたし達の何倍も生きてきて、
なんでこんなに陳腐なことしかいえないのかな』
と思うわけです。もちろん、大人になるまでの時間で、
考え方が変わったり、学んだりするのでしょうが、
身近な大人である先生達を見ていて、経験を積む時間を、
自分自身の根拠のない自信に変えてしまったり、
言い訳を正当化してしまう時間に使ってきたのかと思う。
すごい手厳しいことを言ってしまいましたが、
大人だって、子どもだって、個人差があって、
集団として見られたらたまったものじゃないですね。
でも、大人が良いな、と思うのは、やっぱり、
プロフェッショナルの仕事を見たりとかする時です。
子どもとは技術が違いすぎる。日々学ぶ人は、きっと
どんどんと楽しく生きる術を身につけていくのですね。
私自身、年齢を重ねるだけで、何をしないでも
学んでいくことはあると思うのです。
ただ、それで子どもをバッシングする
理由にしないで欲しいです。
個性を大切にっていうのは、私たちが言われ続けている
『お前らは**なんだからさぁ』
をなくすことなのだと思うのです」
「私はいま二〇歳になったばかりです。
大人になって、何を大切だと言いたいのかなあ。
小さいころ、大人はすごいことを悟った人なんだ、
と思い込んでいたので、未熟な私を見て、
親は笑っているんじゃないか、と小さいなりに不安で、
おまけに、失敗するのが怖かったんですね。
それなのに、親は何も教訓を教えてくれなかったんです。
でも、教えてくれないと私が思っていただけで、
実は、親は教えてくれてたんだろうなあ。
小さいころの私は、大人になって気づくことというのは、
すっごく奇抜で、すんばらしい事柄だと思ってたんです。
でも、本当は、大人になって気づくことって、
言葉で聞くだけなら『な〜んだ』っていうようなことで。
だから、親が実はしょっちゅう言っていたのを気づかず、
『そういうことじゃなくて、本当のことを教えてよ』
なんて、私は言ってたのかもしれないです。
大人になってからわかることや、経験からわかることは、
言葉で言えば当り前でも、実は本当の意味でわかったり、
肌でわかるには、もっと、深いことなのかもな。
「仕事の意義が感じられない。人間関係も嫌。
毎日が苦痛で、金曜の夜から月曜が憂鬱でした。
もう辞めようと思うんだと母に言ったところ、
『なに言ってんの!会社からお前なんか
もう要らないって言われるまで
椅子にかじりついてでもいなさいよ!』
と言われました。あまりに時代錯誤な言葉に感じて、
言われたときは大笑いしてしまったのですが、後から、
他もいくらでもあるし、とタカをくくっていた自分と、
母は全然違うんだと、改めて認識しました。
こんな風にずっと仕事を続けてきたのかなあと、
いつもは子どもみたいな母を尊敬した言葉でした」
「私はグラフィックのデザインをしていますが
会社勤めのはじめの頃、毎日毎日流れ作業のように
仕事が消化されていき、
『くだらん仕事ばっかりで感性が腐ってしまう!』
と悩んで焦っていた時に、
雲の上の存在とも言える尊敬するデザイナーの方が
『どんなに小さいと思える仕事でも、
できあがったものに君の名前が見えないインクで
刷られていると思え。分かる人には分かるんや』
と言ってくれました。
『俺もそう思ってここまで来たよ』と笑ってはりましたが
『プロなら仕事を差別するべからず』
というような、よく言われるもっともな言葉よりも
『私でにしかできん日本一のチラシを作ったる!』
と燃えました。それから今まで十年もこの仕事を
続けていられるのは、あの言葉のおかげと思います」
「高校の時の化学の先生はとても分かりやすい教え方で、
将来は教師になりたい、と思っていた私の目標でした。
毎年自分の授業のノートを作り直す熱心な先生でした。
授業中、難問が有ったりすると
『苦しい時は上り坂、楽な時は下り坂』が口癖で、皆、
またあの言葉だぁ、などと顔を見合わせたりしてました。
私は教師にはなりませんでしたが、
五二歳になるこの歳まで、仕事や子育てなどで
先生のこの言葉に随分何回も、助けられました。
はじめは『苦しい時は上り坂』ばかり思い出しましたが、
『楽な時は下り坂』の方が含蓄が有ると、今は思います」
「私の仕事って、漠然としてて、
手を抜こうと思えば割とバレずに手を抜けちゃいます。
長い目で見れば、将来ツケがまわってくるんですが、
どうしても怠け心には勝てない。そう思っていたとき、
『手を抜く方が疲れる』という言葉を聞きました。
たしかに、色々手抜きの方法を考えたり
コソコソするのって、疲れるよなぁと、同感しました。
これを言ったのって、木村拓哉さん、なんです。
以来、彼に対して一目置くようになりました」
「高校生の頃、ぽんぽこぽんに太っていて
着ていく洋服に困っていました。
あれこれとっかえひっかえしながら
『でぶだから似合わない!』『スタイル悪い!』などと
ごねまわっていたら、ふだん怒ったことのない母に、
『私の産んだ子の悪口を言うな!』
と怒られました。その瞬間から
母の産んだ子の悪口を言うのはやめました」
「小学生の頃、何故か一度だけ、もし家族が
生き別れになったら、という話になったことがあります。
そのとき、普段は自分から話さない、おとなしい母が、
『もしそうなったら、私はお父さんを探す。
親子は離れても縁を切っても、血でつながってる。
その絆は消えへん。けど夫婦は離れたらただの他人や。
私はそんなん絶対いやや。だからお父さんを探す。
あんたらはあんたらでそこまで愛し合える人を探して、
その人と生きていって』と泣きながら話して、
思春期だった私たち子ども三人は驚かされました。
その父と母が、親のせいでどん底の生活を
余儀なくされていた者どうしで、ずっと励ましあい、
寄り添って生きてきたと私たち子どもが知らされたのは、
私たちが二〇歳を過ぎ、結婚を考える頃でした」
「十五歳の高校一年の女子高生です。ガキです。
でもそれなりにいろいろと考えてるはずです(たぶん)。
去年くらいまで、いろいろと背伸びしていました。
大人っぽく、とか、年上の人にくっついていたり。
最近、友達も増えて精神的に落ち着いて、
年相応になりました。または、なっているといいな。
疲れるし、バカな時期に気取ったら勿体ないなって。
歌歌いながらプールに飛び込んだり
月見だんごを食べて帰ったり
売店に走ってやきそばパンをかじりながら階段登ったり、
生活指導の先生からミニスカートで逃げたり
そういうのがとても楽しいです。
学生のうちにのんびりする仕方とかも、覚えたいし。
今は思う存分無駄なことができるから。
心配をかけない範囲で。
ああ、あの年のうちにあれやっときゃぁよかった、
ってならないようなのを目指してるのですが、
うまくいくでしょうか。でも、後で後悔する切なさも、
ある意味良いかなぁ、という気もします。
年齢って素直に生きたら素敵なものになるかなぁ、
と自分の好きな年上の方を見ていて思いました。
山田太一さんの
『早春スケッチブック』という脚本が凄く好きです。
『生きるってことは、自分の中の、
死んで行くものを、くいとめるってこったよ。
気を許しゃぁ、すぐ魂も死んで行く。
筋肉もほろんで行く。脳髄もおとろえる。
なにかを感じる力、人の不幸に涙を流す、
なんてぇ能力もおとろえちまう。
それを、あの手この手を使って、くいとめることよ』
これは、とても感動した一節でした。
私にとっての『老化』と『成長』の違いは
こういう部分にある気がします。成長して死にたいです。
縁側で日本茶すすり、孫と遊園地に行く約束をしたのに、
あったかい布団で死んじゃうような、
そんなのに憧れます。ガキの甘い夢なのでしょうか?
経験はまだ少ないです。間違いなく。
でも、少ない経験を反芻して、夜中まで考えて、
悩むことが、友達の役に立てるときがあると気づいて、
うれしいということもあります。
相談にのる放課後は、私にとってはかけがえのない
とても大切で切ない思い出になる気がしました」
「高校三年、最後の体育祭で張り切り、
体育祭自体は好評に終ったのですが、
一緒にやってた人たちに、
『つっぱしりすぎだ』
との反感を買ってしまいまして、ぼくに内緒で、
みんなで打ち上げに行かれちゃいました。
人生最大にへこんでた夏休み。
手元のバイトをしてたときに
二十代前半の職人さんに
『あんちゃん、よく動くなぁ』といわれ、
『俺の動きって余裕なくないですか?』
と聞きかえしたら
『がむしゃらでいいんだよ』と一言。
泣きそうになりました。多分一生忘れません」
「高校の頃、野球部でした。
練習はけっこうスパルタのきついもので、
甲子園という目標があっても、それを忘れて、
妥協してしまいそうなメニューの連続でした。
その時、1つ上の先輩が
『こういうのは自分のためと思うと妥協するだろ?
違うんだ……地球のためにやってるんだと思え!』
全然意味わかんないけど、なんかおもしろくて、
いまでも、なんだか我慢しにくい時
『地球のため、地球のため』と唱えてます」
それぞれの境遇や年齢なりの考えを、どう思いましたか?
一見、哲学とは関係がないように感じるかもしれませんが、
このコーナーで扱っているさまざまなテーマを、
抽象的な話で終わらさないためにも、
まずは、いったん、その年齢ならではの言葉や、
あなたの年齢ならでは感慨に、注目してみてくださいませ。
十代や二〇代の頃、あなたは何を中心に生活してましたか?
次回に、続きます。
あなたが、読んだ後に感じたことや考えたことなどを、
メールで送ってくださると、とてもうれしく思います。
postman@1101.com
件名を「コンビニ哲学」として、送ってくださいませ。
木村俊介
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