【“写真を観る”編 第1回】
ダイアン・アーバス (1923〜1971)
Diane Arbus
写真は、絵画に比べると、
その歴史も、それ程長くはないのですが、
それでも、被写体としての社会と密接に関わりながら、
数多くの、ぼくたちにとってひとつの財産と呼べるほどの
すばらしい写真が、たくさん残っています。
そして「写真を撮る」上でも、
ひとの「写真を観る」ことは、
とてもたいせつです。
“観ることで知ることが出来る、写真の楽しみ”が、
たくさんあるのです。
今まで20数回にわたって、
「写真を撮る」ということについてお話ししてきましたが、
今回からは、少しだけ目先を変えて、
ぼくの好きな写真家たちを紹介しながら、
「写真を観る」ということについて、
お話ししていきたいと思います。
その第1回目にとりあげる写真家は
「ダイアン・アーバス」です。
これ程に真っ直ぐな写真って、あるだろうか。
ぼくは先日、ふと立ち寄った本屋さんで、
一枚目の写真にある『REVELATIONS』という
一冊の分厚い写真集を見つけました。
この本は、現在、2003年末より、
世界の各地で巡回している
「ダイアン・アーバス写真展」の図録です。
(残念ながら日本にはその展覧会は来ませんが。)
この本はたんなる写真集ではなくて、
中には、彼女の日記であるとか、メモであるとか、
「写真家ダイアン・アーバス」という人物そのものに
大いに言及した内容になっています。
彼女は、ニューヨークで裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、
若くして写真家のアラン・アーバスと結婚します。
最初のうちは、夫の手伝いなどをしていますが、
やがて自分自身で、雑誌の仕事をしたりしながら、
いわゆる「フリークス」と呼ばれる
「とくべつな人々」を撮影するようになり、
世間の注目を集めるようになります。
そして、1971年に若くして自殺してしまいます。
ここでは、そういった波瀾万丈の彼女の人生には
あえて深く触れませんが、もし興味のある方は、
パトリシア・ボスワーズという人が書いた
『炎のごとく』という彼女の伝記のような本も
あります(*)ので、読んでみて下さい。
*現在、この本は絶版になっているようですが
古書店などで入手可能のようです。
なお、この伝記小説を原作とした映画「ファー」が
ニコール・キッドマン主演で、撮影中とのことです。
ぼくも、彼女の写真は
学生時代から大好きなのですが、
彼女の写真の何がいいのか。それは、
「ぼくはこれ程に真っ直ぐな写真を、他に知らない」
ということです。
どうやらぼくは、そのひたむきなまでの
「真っ直ぐさ」に、惹かれているのだと思います。
世間ではどちらかというと
彼女が選んだ被写体の特殊性について触れることが
多いように思います。
その上、彼女が活躍していた60年代のアメリカは、
ベトナム戦争が起きたりと、
混沌とした時代であったということもあって、
彼女の写真およびに彼女自身について
(最期は自殺したということも手伝ってか)、
様々な人が、社会との関わりに結びつけて、
いろんなことを言っています。
もちろん、そんないろいろを
否定するつもりはありませんが、
何よりも、ぼくがすごいなぁーと思っているのが、
ダイアン・アーバスは、一般の人々に、強く、
受け入れられた写真家だったということです。
彼女が他界した翌年1972年に、
ニューヨーク近代美術館で開催された、
「ダイアン・アーバス回顧展」の入場者数が、
それまで最高だったマチス展をはるかに凌ぎ、
写真展としては、いまだに同館の
最高入場者数を誇っているそうです。
やはりこれって、すごいことですよね。
確かに、彼女の写真の中に写っている多くの人々は、
ぼくらの社会からは隔絶されているかもしれない、
あるいはもうひとつの社会の中に
存在しているのかもしれない人々のすがたです。
けれど、その写真を観た人たちに、理屈ではない、
彼女のどこまでも真っ直ぐな眼差しが、
伝わったのではないかと、ぼくは思っています。
あるいはきっとその被写体はもしかしたら、
「ダイアン・アーバス」本人だったのかもしれません。
「ダイアン・アーバス」の写真というのは、
どちらかというと「芸術写真」と呼ばれる写真からは、
一線を画していたのですが、
ぼくは昨年、ぼく自身も参加させてもらった
「Pace/MacGill Gallery」で、
彼女自身がプリントした写真を観ました。
その写真は、彼女の最も有名な
「双子の女の子」が写っている写真だったのですが、
少なくともぼくにとっては、
その被写体の社会性とか、云々ではなくて、
理屈抜きに、とにかくその写真を観て、
きれいだと感じたのです。
ぼくがその写真の中から、
はっきりと感じることが出来たのは、
彼女の写真に対する、
そして被写体に対する、真っ直ぐな思いでした。
写真というのは、
撮影者がいて、カメラがあって、被写体があって、
それを一つの線上に、様々な思いと共に
つなげていく作業でもあるように思います。
少なくとも彼女の写真は、
とにかくそういった印象が
他の写真家に比べても、とても強いのです。
おそらくその理由のひとつとして、
きっと何にも増して、
自分自身に正直な人だったのかもしれませんね。
今までも、何度もお話ししてきましたが、
「写真には、どうやらそんなすべてが写ってしまう」
ようです。
彼女はただひたすらに
「真っ直ぐ」だったのだろうか?
先日、そんな30数年ぶりの大回顧展が
開催されている中で、あるニューヨークのギャラリーが、
『THE LIBRARIES』というタイトルの、
彼女の本棚を延々と紹介する美しい写真集を出版しました。
自分自身を掘り下げながら、
真っ直ぐとした眼差しを持って、
被写体に向かうイメージというのが、
ダイアン・アーバスの写真の
印象といえば、印象なのですが、
どうやらただ、ひたすらに
真っ直ぐというわけでもなかったようだと、
この写真集を観て、感じました。
それというのも、この『THE LIBRARIES』という
美しい写真集は、彼女の本棚を、
イメージとして蛇腹状につなげているのですが、
そのすがたは、彼女の好奇心であったり、
彼女の思考性そのものです。
本棚をのぞくことで、それを読み取ることが出来ます。
その本棚には、
1960年代にマグナムが出版した
『Family of man』という
彼女の写真とは対極にあるような写真集があったり、
マチスやモネなどの画集があったり、
それこそ彼女と同じユダヤ人のカフカの本が並んでいたり、
そしてそこには、彼女の写真が同じように並んでいます。
そういった意味では、この本棚のように、
彼女はしっかりと地に足をつけながら、
様々な思いを巡らしていたのでしょうね。
そして、これはあくまでも、
ぼくが勝手に、ダイアン・アーバスの写真を観て
思っていることなのですが、
彼女の写真は、一見暴力的なほどに、
真っ直ぐに、被写体をとらえます。
しかし、常にそこには、
同時に人としての知性を感じることも出来るのです。
もしかしたら、
それこそが彼女のやさしさだったのかもしれませんね。
だからこそ、出来上がった写真は、
決して暴力的なものではなく、こんなにも魅力的で、
多くの人々を、魅了しているのではないでしょうか。
とにかく、まずは、
そんな「ダイアン・アーバス」という写真家の
「真っ直ぐ」を観てみてください。
少しそんなことを意識しながら、見てみるだけで
きっと彼女の「思い」みたいなものが
少しずつ、伝わってくるはずです。
そうしたら今度は、あなたが写真を撮るときに、
彼女のそんな「真っ直ぐな思い」を
ちょっとだけ思い出しながら、
写真を撮ってみて下さい。
そうすると、きっと言葉にならない何かが、
ぼんやりと見えてくるかもしれませんよ。
写真家を知る3冊
『REVELATIONS』
2003年、ダイアン・アーバスの回顧展の
図録としてつくられた、336ページの本です。
500枚におよぶ作品とあわせて、
撮影風景、使ったカメラ、日記など、
彼女の生涯についての詳細な資料も収録されています。
彼女のことを“すべて”知りたいのなら、まずこの1冊を。
『An
Aperture Monograph』
ダイアン・アーバスが自殺した翌年、
1972年に刊行された184ページの写真集です。
「代表作」といったらこの1冊になるでしょう。
80点の作品がおさめられています。
ダイアン・アーバスと、
真っ正面から向き合う気分になるかもしれない写真集です。
『Magazine
Work』
第二次大戦後、コマーシャルやファッションの世界で
仕事をはじめたダイアン・アーバスは、
1960年代にその仕事をやめ、
「エスクワイヤ」や「ハーパーズ・バザー」などの雑誌に
「作品」を発表するようになります。
その写真を、彼女の死後にまとめたのがこの本です。
140点が収録されています。
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2006-06-16-FRI
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