【“写真を観る”編 第5回】
アルフレッド・スティーグリッツ
Alfred Stieglitz(1864〜1946)
写真集『Georgia O'Keeffe: A Portrait』より
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アルフレッド・スティーグリッツは、
20世紀初頭のアメリカにおいて、
ニューヨーク近代美術館における
世界的な写真のコレクションをはじめ、
数多くの写真文化の発展に
大いに貢献した写真家の一人です。
その偉大なる功績から、
今では、現代写真の父などと呼ばれています。
スティーグリッツは1864年ニューヨークにて、
裕福なドイツ系ユダヤ人移民の家庭に生まれます。
そして1882年に、ドイツのベルリン工科大学に
機械学を学ぶために留学します。
そこで、レンズをはじめとして写真工学に触れ、
やがて写真家を志します。
スティーグリッツという写真家は、
ざっくりとした言い方をすると、
2つの大きな顔を持っていました。
ひとつは、もちろん写真家としての
アルフレッド・スティーグリッツ。
そしてもうひとつの顔は、
写真イメージ、出版、ギャラリー運営、著述など、
それまで伝統のなかった米国アート界において、
独自の文化表現の確立に多くの影響を与えた
カリスマ的な存在でもあった
アルフレッド・スティーグリッツ。
それこそ、スティーグリッツが主宰していた
ニューヨークの“Gallery 291”では、
写真展だけではなくて、
セザンヌやマチス、ピカソといった、
当時アメリカでは無名だった前衛画家を
次から次へと紹介していきました。
そして、後の彼の妻となる
ジョージア・オキーフをデビューさせたのも、
このギャラリーでした。
(その後、妻のジョージア・オキーフも
アメリカを代表する女流画家になるわけですから、
その手腕は、並々ならぬものがありますよね。
そのあたりの詳細は、
『オキーフ/スティーグリッツ
愛をめぐる闘争と和解』ベニータ・アイズラー著
という伝記もありますので、
興味のある方は、読んでみてください。
手法なんて、どうでもいいんだ、
と思わせる写真。
スティーグリッツは、歴史的に考えてみても、
すごい写真家であることには違いないのですが、
ぼくにとって、スティーグリッツという写真家は
そういった歴史的な功績とはまるで別のところで、
とても大切に思っている写真家の一人なのです。
実は、ぼくは今となっては幸いにも、
そういったスティーグリッツの功績を知らないで、
パリのギャラリーで、偶然に彼の写真に出会いました。
それはとても小さな「空の写真」でした。
しかしそこには、その小さな印画紙とは思えないほどの
奥行きと、拡がりが写っていました。
少なくともぼくは、それ以降も、
その写真以上に、「空が写っている!」
と感じることの出来る写真に出会っていません。
特に5年前から、自身の「今日の空」を
撮り始めてからというもの、
その写真を、思い出さないことがないほどです。
そして、その後いろいろ調べてみると、
その「空の写真」のほとんどが、
スティーグリッツが晩年、
ジョージア・オキーフと共に
ジョージ湖という湖の畔で、
暮らしていたときに撮られたものでした。
残念ながら、そこでの生活はいろいろあって、
長くは続かなかったようですが、
今こうやって振り返ってみると、
スティーグリッツはもちろんのこと、
妻のオキーフにしても、
あの牛の頭蓋骨をモチーフにした有名な絵も
この地で描かれたものだったのです。
とにかく、このジョージ湖の小さな家でふたりは、
同じものを見て、一方では写真を、
一方では絵画を、作り続けていたようです。
写真集『The Photography of Alfred Steiglitz
Georgia O'Keeffe's Enduring Legacy』より
(クリックすると拡大します)
そして、そんなふたりのやりとりを見ていると、
スティーグリッツが若い頃(19世紀末)、
「あなたはボタンさえ押せばいいのです。
あとは全部、コダックにおまかせ下さい」
というキャッチコピーのもと、
急成長してきたコダックフイルムに
反発するようなかたちで、
写真家の作家性を守るため、
エドワード・スタイケンなどと一緒に
賢明に啓蒙してきた“ピクトリアリスム”なども、
どうでもいいことに思えてくるから不思議です。
今でも当時と同じように、
相変わらず、ちまたではアナログだ、
デジタルだといった論争も未だに続いていますが、
ぼくは、そんなこともどうでもいいことで、
やはり大切なのは、方法論ではなくて、
「何を見て、どう感じるのか」
ということなのだと、いつも思っています。
妻ジョージア・オキーフを写す。
それから、そういった一連の「空の写真」とは別に
ぼくにとって、もうひとつ大切な
スティーグリッツの写真があるのです。
それは、ある意味では彼の代表作でもあるのですが、
妻“ジョージア・オキーフ”を撮影した写真です。
その一枚一枚の写真もさることながら、
『Georgia O'Keeffe: A Potrait』というタイトルで
70年代にまとめられた写真集は、
ぼくにとって、数多くの写真集の中で、
もっとも好きな写真集なのです。
当たり前の話ではあるのですが、
写真集というのも、一冊の本なのです。
よって、その製本の感じであるとか、
装丁のデザイン、印刷の品質及びに紙質などが、
その仕上がりの印象を、大きく左右します。
この写真集は、その内容も含めて、
写真集という“もの”としても、ぼくは大好きなのです。
そして何よりも、こうやって改めて
アルフレッド・スティーグリッツの写真を観てみると、
やはりスティーグリッツの写真というのは
すべてが「空の写真」と「オキーフの写真」に
集約されているように思うのです。
たしかにスティーグリッツという写真家は、
アメリカ写真界においては大きな偉人の一人です。
しかし、おそらくそんな彼も最終的には
愛する妻の中に、すべてのものを見ていたように、
ぼくは思うのです。
もちろん、それは社会的にどうした、
ということではないかもしれませんが、
もしかしたらそんなことが、
この世の中で、一番すてきなことかもしれませんよね。
そして、きっとそんなことを感じることが出来た
スティーグリッツだからこそ、
あんなにも、広くてどこまでも続いているかのような
空の写真が撮れたのではないかとぼくは思うのです。
そんなスティーグリッツの写真を
是非とも一度観てみて下さい。
そして、たまにはそれを機に、
奥さまでも、恋人でも、
もちろん、お子さんでも構いませんし、
ご両親だって、いいのかもしれません。
とにかく、時には身近な人にカメラを向けて
写真を撮ってみて下さい。
そして、同じ場所で空の写真を撮ってみましょう。
するとそこには、あなたにとって
一番大切なものが、大切なものとして
一枚の写真になるかもしれません。
次回は、
「とにかく、光をつかまえろ。」
というお話しをします。お楽しみに。 |
2006-11-03-FRI
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