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キミも、あなたも、とびだせどうぶつの森

nagata
2013/01/15 06:14

ひとりの遊びと
つながる遊び。

おいおいいまごろそんなこと言うなよ、
という感じがしないでもないのですが、
ぼくにとって、ほかの遊び手と
つながってゲームを遊ぶことは、
それ全体が少々「やっかいなこと」なのです。

だから、おいおいと突っ込まれつつ言えば、
『とびだせ どうぶつの森』も、
ほんとには、ひとりでやってたい、
という気持ちがあります。
って、おいおい。いや、ほんと、すいません。

もちろん、みんなと遊ぶことは楽しい。
近所のカフェにランチに行ったとき、
とみちゃんの提案で4人で南の島に行ったときの
「ほんとに旅行に来たみたいだ!」という興奮は
これまでのこのゲームにおける明らかなハイライトだし、
10歳のあーちん先生といっしょに
崖に並んで無意味に魚を見せ合ったときの
「友だちと成り行きで遊ぶ痛快さ」は
くだらなくて、かけがえのないものでした。

けれども。
実もフタもない言い方をすれば、
それは、ゲームじゃなくてもかまわないのだと思う。
ほかのなにかの遊びでも、
いや、遊びじゃなくて会ってただ話すだけでも、
楽しいメンバーと楽しいタイミングで接点を持てば
それは夜通しゲラゲラ笑っちゃうくらいに楽しい。

昔から、ほそぼそとではあるけれど、
それなりに長くゲームを遊んできて、
「ゲームはひとりで遊んでいるときに
 もっともゲームとしておもしろい」
というふうにぼくは思っている。
それは、以前、ちらっと書いたことのある、
ぼくの思うゲームの原則のようなものだ。

スポーツゲームや格闘ゲームやボードゲームで
誰かと遊ぶことのなかには、
缶蹴りやドッジボールや麻雀と同じ種類の
楽しさを見いだすことができる。
けれども、よくできたゲームのなかに
ひとりでふわふわと潜っていくような楽しさは
ほかの遊びとはあまり共通しない。

いうまでもないけど、
どちらの遊びのほうが優れているとか、
おもしろいとか、そういうことではない。
ただ、「ゲームらしさ」ということでいえば、
ぼくは夜中に南の島で珍しい甲虫を捕獲しつつ
海上にサメのヒレを見つけたときの
ピリッとする感覚のほうを挙げる。

一方、誰かの村に遊びに行ったり、
遊びに来た誰かが通りそうなところに
落とし穴を仕込むというようなことは、
ちょっとした頭の切り替えが必要だ。
「そういう遊び」として臨まなければならない。
すごく正直にいえば、
ひとりで自分のルーティンに
気持ちよく沈んでいくことと比べれば、
それは多少なりとも負荷がかかる。

だから、ほっとくと、ぼくはひとりで遊んでしまう。
誰かが「遊びに行くぜ」と声をあげれば
よしきたとベッドから飛び起きたりもするけれど、
ほっとくと、ひとりでだらだらと遊んでしまう。
水が低いほうへ流れるように、
ぼくは「ラクに遊ぶ」ほうを選んでしまう。

いま、世に数多あるゲームや遊びは、
「つながる」ことを価値として上位に置く。
みんながみんなつながることを喜ぶでしょ、
という前提のうえに組み上げられている。
その潮流にぼくはしばしば違和感を感じる。

書いたように、つながることがイヤなのではない。
むしろ、つながることはとても楽しい。
ただ、それは種類の異なるおもしろさだと
ぼくは思っている。
だから、わがままな遊び手として
好みを言わせてもらうなら、
つながりたいときにつながりたいぶんだけつながりたい。
そこのイニシアチブは自分で持っていたい。
ゲームにも、ほかのプレイヤーにも持たれたくない。

それは、ぼくの好みであるけれど、
ほかの人も同様に「つながること」に対して
好みがさまざまにあるのだと思う。
その多様性に対して、
みんながつながることをうれしがるだろうという前提は
なんというか、とても乱暴に思える。
もっと言っちゃえば、それはつくり手の都合だろう。

『とびだせ どうぶつの森』は、
ひとりを尊重してくれるゲームだと思う。
フレンドコードを交換した相手とでないと
つながることができないというような
通信上の仕組みばかりでなく、
コンセプトとしても、システムとしても、
ひとりでなにをしてもいいということが
ほんとうの意味で肯定されているゲームだと思う。

そして、ゲームのその姿勢に信頼がおけるからこそ、
つながることがより豊かな要素として組み込まれる。
その、気の遠くなるような気遣いと、
幾重にもはかられたであろうバランスを、
遊べば遊ぶほど、ぼくは希有に思う。

おしまいに添えるけれど、
糸井重里の、しげちゃんとしての遊びは、
「ひとりの遊び」と「つながる遊び」を
愉快にかき混ぜて曖昧にするもので、
ぼくにとってとても新鮮だった。

だって、しげちゃんは、
誰かがそこを訪れることを前提にひとりで遊んでいる。
そしてそれは糸井重里のみが成し得ることではなく、
このゲームにあらかじめ含まれた要素だ。
いまや、たくさんの人たちが
家具の配置やオリジナルデザインを駆使して
「つながる」を前提にした「ひとり」という
「しげちゃん的遊び」を楽しんでいることが
それを証明している。
そして、気づけば自分にも同じ動機が明らかにある。

そういえば、かつて糸井重里は、こう書いていた。

「『ひとりぼっちだなぁ』という感覚は、
 きりきりっと寒い冬の夜の、
 北極星の光のようなものじゃないのかなぁ。
 そのほのかな光が見つけられてないと、
 じぶんがどこにいるのかわからなくなっちゃう。
 『ひとり』が、まずはすべてのはじまりです。」

そして、
「Only is not Lonely.
 ひとりであるということは、孤独を意味しない。」
とも。
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