2019-01-18
11月に始めたこの連載も、
今回が17回目で、
もう最終回です。
ほぼ日の渋谷さんに
週に2回原稿を送る、という
約束で進めたコンテンツでしたが、
仕事という感じはしませんでした。
編みものも、洋服も、
うろちょろするのも、
撮ることも、書くことも好き。
遊びながら原稿を作っているうちに
あっという間に
さよならの時が来ちゃった、
という気持ちです。
今週の月曜、火曜はMiknitsの編み会でした。
ほぼ日の社屋の会議室に
たくさんの人たちが集って、
とてもにぎやかな一日でしたよ。
わたしはテーブルをまわって
皆さんとお話ししながら、
不思議な感慨に打たれました。
わたしたち、同じ部屋で編みものしていて、
なんだか話が弾んでるけど
もともとは全然知らない同士なのよね、と。
歳も境遇も違うひとりずつが
こんなにあっさりと出会えるってすごい。
たとえば喫茶店で、
隣に感じの良い人が座って、
なんとなく気が合いそうでも、
そう簡単に話しかけるわけにはいかないのに。
まあ、編みものをする、という理由だけで
いきなり友達になれるわけではないけれど、
同じ手仕事をしているということが
なにはともあれ知らない誰かと
話をするきっかけにはなっている。
わたしたちはそれなりに
「屈託」もある大人だからこそ、
楽しみや興味を共有することが
やり取りを始めるための
助けになってくれることが
ありがたいよね、と思ったのでした。
思ったことがまだあります。
自分で編んだものを着ている人は
チャーミングだ、ということ。
それぞれ持ち前の魅力が
表に出ているというか。
セーターやマフラーに作者の
「人となり」が表れることに加えて
(もちろん表れますよ)、
それを着ることの喜びが
編んだ本人からふわっと出てる。
そして、これもきのう発見したのですが、
ハンドニットは
「若い人が着ると成熟を、
大人が着ると若さを」感じさせるのです。
それがなぜなのかは、今考え中です。
編みもののいいところについて、
もうひとつお話しさせてください。
先日会った友人が、
「たくさん転がるものがいい」
と言うのです。
「展開しながら、変化しながら、
何回も楽しめるようなものごとがいい」、と。
なるほどね、そうだそうだ、
と相槌を打ちながら、
「編みものはうんと転がるよ〜」
と思いました。
既製品のセーターなら、普通は
「買って、着て、出かける。ステキならほめられる」
というような転がり方をしますよね。
便利な世の中での、洋服の楽しみ方はシンプルです。
でもそこに「編む」を足すと、
「デザインを決めて、糸を買って、編んで、着て、出かけて、
会社や学校で今着ているセーターについて話題にする」
というような転がり方になります。
さらにその先は「編みもの仲間を作る」や
「自分でデザインする」という
道にも、つながっているかもしれない。
わたし自身、転がる糸玉を追いかけるようにして
いつの間にかここまで来たけど、
さらにこの先、どんな道が続いているのかわからない。
でもわからないってことが、
わたしには楽しみなのです。
なんだかいつまでも書いてしまいそう。
そろそろやめます。
今日の写真は古着屋さんの
冬のセールで見つけた
シルクのスカーフとブレスレット。
セールが終わっても、
冬はまだまだ続きますね。
連載も終わりますが、
わたしはもちろん「うろちょろ」し続けます。
いつかまた、どこかでみなさんと
お会いできますように。