ポカスカジャンの脱線マガジン。

8月9日(月)

ついにこの日がやって来た。
今日からポカスカジャンの
“サージェント・ペッパー・ロンリー・ハード・
スケジュール・バンドのマジカニミラレルツアー”
が始まる。

このツアーは約2ヵ月間、日本全国を
ライトエースに乗っかって北から南まで移動しながら
ライブをするという、まさにハードスケジュールバンドに
ふさわしい内容なのだが、
さらにビックリしたのが、当初ワハハの事務所から、
「泊まるとこはどこも取ってないから
 自分たちで泊まる場所を車なりテントなり
 ナンパして泊めてもらうなり、どうぞご自由に」
と言われていたのが、どうも本当らしいということだ。

昨日の最終打ち合わせに来た事務所の人間もたった一人。
今日の朝の出発に至っては見送りゼロ。
いつもじゃけんにしてる事務所の辺りのノラ猫が
顔を見せるとついつい恋しくなってしまう始末だった。
それにしても不思議だったのが、あれほど普段
「うるせえなぁ」
と思っていた女房と2ヵ月間会えなくなると思うと
急に淋しくなってしまうことだった。

そんなことはさておき、朝6:30に渋谷の事務所を
出発した3人は、一路、初日公演の下田へ向かった。

出発しても最初に車内で聴くCDのことで3人でもめにもめ
「やっぱり自分たちのCDだろう」とか、
「下田といえば海、海といえばサザンだろう」だとか
言い争った結果、省吾の持ってきたBOOWYのCDに
決まったのには笑った。

夏休みということもあって道は小田原辺りで
すでに混雑し始め、CDはBOOWYから
ドラゴン・アッシュ→浜田省吾→ローリング・ストーンズと
なんの脈絡もなく進み、午前11時、撮影のため
城ケ崎という観光地に着いた。
(あっそうそう、今回のツアーの模様は年末に
 WOWOWで放送する予定なので、何日間かは
 WOWOWのスタッフも同行するのです)
 
城ケ崎には吊り橋があり、そこでの撮影となったのだが、
ここでまた省吾が足がすくんで話にならない。
あのデブな身体で吊り橋のワイヤーにへっぴり腰で
つかまってる姿は本当に可愛くもあり憎らしくもあった。

そんなこんなで午後2:00に下田到着。
今回お世話になる鈴木さんと3:30に
待ち合わせしてるのでそれまで待望の自由時間。
玉井は街へくり出し、省吾は車で睡眠、
そして僕は今、車の中でこの日記を書いている次第です。



さてライブが無事終了していま続きの日記を
書いている訳ですが、いや〜、本当に大変でした。
何が大変って、まずライヴ会場のジャズ喫茶の
スペースの問題で、会場のピアノをどかして
イスやテーブルをどかして、床を清掃して、
ドラムセットやスピーカーを運んでどかしてから、
ここは音響機材がないので自分たちで持ってきた音響機材
(これが重いのってなんのって)を運んでセットして
配線して、サウンドチェック(といっても自分たちで
マイクで声を出し、それを3人の内誰かが外で聴いて、
ミキサーをいじるという二度手間、三度手間な手法しか
できない)をして、最後に今回ワハハの事務所から
僕たちと同行してくれている新井さんに無理やりお願いして
音響を担当してもらい、それを説明するという、
ここまででもう開場時間ギリギリ。楽屋がないので
汁だく(編集部註:汗だく、の間違いと思われます)のまま
車の中で着替えるしかないのだが、これがもう
狭い車の中での3人の着替えはイライラするばかりで
ライヴ前のムードは最悪。

そしていよいよライヴ開始。
狭い会場に58人もお客さんが来てくれて会場はぎっしり。
そしてやはり客層はバラバラ、若い女の子あり、
地元のヤンキー風の男あり、子供連れあり、
でもライヴ自体は、オープニングテーマで始まったときこそ
お客さんもカタかったけど、しゃべりでほぐしながら1曲、
2曲とやるごとに徐々に盛り上がり、自然発生の手拍子が
ず〜〜っと続くという思った以上のライヴになった。

とくに今回のツアー用に創ったポカスカジャン
3人の結成のいきさつソングは、
15分もある長い曲なのに、
終始盛り上がってほっとした。
アンコールも終わり汁(汗)だくのままCDを売る3人。
その時俺は“俺達って格好いいなあ〜〜”って
本気で思いました。
結局CDは15枚しか売れなかったけど。

その後は前記した音響機材やら何やらの片づけで、
もう身も心もボロボロのまま今回宿泊まで
お世話になってしまった鈴木さんの家へ。
そこでプロレスのビデオを見ながらビールを飲んで
ライヴの反省をして、最後にアンケートを読んだら
あらびっくり。
“面白かった”
“また下田に来てネ”
などのなかに
“新井さんすっごく良かった”
というのが一枚あったのだ!!
それを見て大喜びする新井さん。
なぜだなぜだのPSJ。
謎に包まれたまま初日の夜が終わっていった。

P.S. 初日から省吾は車をぶつけました。

(PSJ 大久保乃武夫)

1999-08-12-THU

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