ツアー日記(番外編)
青森公演で玉ちゃんを号泣させた、母の手紙
(ワハハ本舗 平間)
青森ライヴの際、玉井本人には内緒で、
玉井のお母さんに書いてもらった手紙です。
9月10日のツアー日記にも書いてあるように、玉井号泣!
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31年前の9月18日、午後3時3分、3020グラムで、
前髪がちぢれてる男の子が生まれた。
どこまでも伸びるようにと、伸也の名前をつけました。
いつも高熱を出して、夜中、病院に走ったのが
昨日のように思えます。小さな体に点滴され、
身代わりになれるものならと何度思った事でしょう。
小学校、中学校、高校と人並みに送ってきたと思います。
はや30年過ぎました、いろいろありましたね。
ハズレた子供には育ってほしくないと、
お母さんは必死でした。
(その影になって支えてくれたのが
亡くなったおじいちゃんと、おばあちゃんです)。
大学をやめたいと打ち明けられたときのショック。
そして、もう一度大学に行きたいと
頭を下げられた時のとまどい。
(北野)たけしさんのお母さんではありませんが、
お母さんも、あなたに何も残してあげる財産ないから、
せめて大学に行かせ、学問を身につけるのが財産だから、
と言ったのをおぼえてます。
(頭の中で、電卓で計算してました)。
東京という大都会での一人暮らし、
ちゃんと大学行ってるか、
こんどこそは卒業してくれ。
ギャンブルに熱中していないか……、
心配な日々を送ってました。
でも、辞典がアンダーラインで真っ黒なのを見て、
頑張ってるんだと勝手に安心してました。
そして、8年前、突然、
バンドでメシ食っていきたいと言われたとき。
何考えてるのこの子は、と情けないのと怒りで
いっぱいでした。浮き沈みの激しい世界、
そんなに甘くない、どうせあきらめるだろうと
思ってました。
ですから、6年前に結婚した時は、本当に安心しました。
これでバンドもあきらめて、普通の人生を送るだろうと
思っていたら、3年前のお正月、
「お母さん、俺、ワハハに入るから」と。
なんじゃそれは!
いくら説明されてもよく理解できず、
男30歳まで人生決めなくてどうする、
いつまでフラフラしてる!! と怒ったね。
内心思ってた、どうせまたすぐあきらめるだろうと。
ただ、お嫁さんにすまない気持ちでいっぱいでした。
東京へ行かせたのがまちがえたか、
育て方がまちがえたか悩みました。
やっぱり、片親じゃ子供を育てることができないのかと、
悩みました。
そして、初めて
「全体公演に出るから、お母さん見に来て」と
言ったひとこと。
それは伸也を見ているのじゃなく、
他人を見ているようでした……。今もそうです。
テレビに出るのが、すごくも、偉くもないんだよ。
雑誌、新聞に載るのも、すごくも、偉くもないんだよ。
今こうして見に来てくれてるお客さん、
あなたたちを支えてくれてるスタッフ、
お世話になってるいろんな人がいるから、
あなたたちがあるんだということを、
感謝の気持ちを忘れないでほしい、これから先もずーっと。
そして、お嫁さんに苦労かけた分、
いっぱい幸せにしてあげてください。
ゴールのない世界です、体が資本です、
十分気をつけてください。
母より
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