ポカスカジャンの脱線マガジン。

ツアー日記

9月17日(金) 帯広

長い旅のおわり。
東京、横浜のファイナルを除けば、
実質的なツアーファイナル。
いつもと違う本番前の3人。
楽しい夏休みがおわってしまうときの子供のように
しょ〜んとしてる3人。
旅に出て今日で39日目、ライヴは実に27本目。
3日に2日の割合でライヴをやってきたわけだ。
俺たちはハウンドドッグよりすごいんだ。
昔でいう子供バンドみたいなもんだ。

ライヴはHOTなお客さんと共に盛り上がったが、
いつもと違った点が2つ。

1つは俺が歌う永ちゃんのロックンロール(永六輔さん)。
いつもはお客さんに一度はあげたバスタオル(矢沢風)を
失礼にも返してもらって使い回してたわけだが、
この日はちゃんと差し上げたこと。
でも、よく考えると、横浜でも使うと思うのだが……。

2つ目は、今回ワハハから同行してくれた新井さんへの
曲のプレゼント。以前、新宿二丁目のランプポストでの
ライヴでのみ歌われた幻の名曲「新井富士雄のブルース」を
アンコールで歌ったこと。
歌詞的には、富士雄のFは風俗のF、とか、
富士雄のE-mailはエロ-mail、とか、
あまりほめられたもんじゃないが、
サビを会場ひとつとなっての大合唱。
新井さんの目にも涙が……。

ライヴ終了。
「やっと終わった」とか
「これで休める」とか
「一区切りついた」とか
「寂しい」とかいう感情は不思議とまったくなかった。
むしろ、「やっと何かが始まった」という気持ちが強く、
これは3人とも同じだったようで、
みんな目がギラギラしてる。

始まり。
そう、今回のツアーは
PSJにとっての始まりだったような気がする。
格好よく言わせてもらえば、今回のツアーは
これから天下をとりにいきますよと、
日本全国に宣戦布告したようなツアーだった。

俺は忘れない。
俺たちに“青二才”と呼ばれながらも
本番前にこっそりとユンケルを買ってきて
俺たちに手渡してくれたスタッフの福原を。

札幌から夕張へ向かう途中、景色がとつぜん大草原に
変わったとき、なぜだか涙がこぼれてきて、
となりを見たら俺よりもっとすごい勢いで
涙を流していた新井富士夫を。

最終日の帯広での本番前に、
「これを今日のスタッフジャンパーにしよう」と言って、
黒のジャンパーをメンバー、スタッフ全員分買ってくれた
WOWOWのスタッフの川村さん。
玉井と省吾のけんかを
「こんなのポカスカジャンじゃねぇ」と言って
泣きながら止めてくれたか川村さん。
(俺はちゃんと起きてましたよ)。

青森での凱旋ライヴが終わったとき、こっそり俺と省吾に
「本当にありがとう」と車のなかで言ったときの、
うれしそうな顔をした玉井を。

そして、省吾。
実は省吾と玉井のけんか、本当言うと俺は途中から
目を覚ましていた(最初は本当に寝てた)。
でも2人はけんかするくらいのほうがいいと思って
俺は寝たふりをしてたのだが、
省吾が玉井に殴りかかろうとしたとき、
実は俺は省吾の腕をグッと握りしめて止めていた。
だから省吾は、あのけんかを俺が知っていることに
気づいているはずだけど、誰にも言わないでいてくれた
(これで全国にバレたけど)。
俺は酒につぶれて眠ってたことにしてくれた、
そんな省吾を忘れない。

PSJ結成の歌の最後の部分、
“だからこれからもずっとずっとPSJの人生の旅は続く”と
歌いながら、毎日そこで泣きそうになって、
あわてて桑名正博のものまねをしてごまかしてた自分を
俺は忘れない。

そして、今回のツアーを計画し、実行させてくれた
喰さんはじめ、ワハハ本舗の全スタッフの皆さん、
本当にありがとうございました。
あと、僕らのチケットを買ってくれた
約2000人のお客さん、本当にありがとう。
みんながCDも買ってくれることを願ってます。
(いやらしいね、俺は、ホントに)。

今日も元気にポカスカジャン。
のんきなもんだねポカスカジャン。
笑って、唄って、ほがらかに、
それでは皆さんこれからも
ヨロシクネーーーーーーー。

(PSJ / 大久保乃武夫)

1999-09-26-SUN

BACK
戻る