ポカスカジャンの脱線マガジン。

ツアー日記

9月19日(日)晴れるも重くむす 一路東京へ

苫小牧〜仙台のフェリー経由で東京に戻る。
北海道ではすっかり秋を感じていたのに、
東京に戻るにつれムシ暑さで、なんだか一気に
現実に引き戻される。

ここ最近、車中でヘビーローテーションで廻っていた
奥田民生の「さすらい」「イージュー☆ライダー」も
街並みが都会になるにつれ車窓の風景とは合わなくなる。

首都高の下の暗くよどんだ道を走る。
もはや日勝峠から見た風景も、
佐世保の烏帽子岳から見た景色も、
長野の北アルプスのハイウェイコースもない。
あたりまえだ。

久しぶりに渋滞に巻き込まれる。
旅のくせで窓を開けると、排気ガスが入ってくる。
「うぁー東京だー」。
思わず皆、声が上がる。
でも僕はそれをいいとも悪いとも思わない。

ここは東京だ。
僕の今住んでいる街だ。
それだけだ。

完全にこのツアーは終わったわけではないけど
(9/29、9/30新宿プーク人形劇場、
 10/3横浜サムズアップがまだある)、
東京に戻ってきたということでの“終わった感”や
“懐かしさ”みたいな感傷には不思議とおそわれなかった。
どっちかというと“やっと始まったなー”だ。

思えば僕はいつもそうだ。
高校を卒業してからというもの、
何度も始まりの繰り返しだった。
ザセツしたり、逃げ出したり、人を裏切ったり、
その度に何度も始まりを繰り返した。
自分でもみっともないし恥ずかしいなと思う。

でも自分で自分に隠し事などできはしない。
それを受け入れなければならない。
そういう自分を背負って行くしかない。

僕は自分と決別するつもりも、決着つける気もない。
まともに自分と向き合えるかどうかだ。

前にハーレーに乗って全国を1人でツアーしてる
元気さんの“ツアー日記”にこんなフレーズがあった。
(※元気安。ワハハ本舗所属のアバンギャルドフォーク芸人)

「死ぬために走るなー、生きる為に走れー」。
ハーレーで走行中、
深い濃霧に巻き込まれた時に出た言葉らしい。
元気さんがそうであるなら、さしずめ免許をもたない僕は
「死ぬために歩くなー、生きる為に歩けー」だ。

声に出してみる。
「生きる為に歩けー」。
異常に地味だ。
何かのリハビリ中の人みたいだ。でも仕方ない。
僕は僕のままで歩くしかない。何せリハビリ中だ。
生きる為に歩く。
クロマニヨン原人みたいでいい感じだ。
堅い物食べるぞ。

(PSJ / 玉井伸也)

1999-09-27-MON

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