ポカスカジャンの脱線マガジン。

ツアー日記

9月21日(火)

今年もやって参りました、
毎年恒例の喰始のワークショップ。
このワークショップというのは、5日間河口湖の
ほとりにあるロッジで素人さんを集めて寝食を共にし、
それぞれに分けられた班でネタを作ったり、
エチュードをやったり、落語のスタイルを借りて
“心に残る一曲”を語ったり、
3つの班が「検察」「弁護」「陪審員」にわかれて
アドリブで裁判を繰り広げるということをやったり、
夜になるとシチュエーション・バーで「極道バー」
「幽霊バー」「出稼ぎ外人バー」などの飲みやさんが
オープンし、それぞれの接客方法で客をもてなす、
というような、外のワークショップにはない、
楽しくそして意外と感動的な会なんです!
(ちょっと宣伝口調?)

その喰始のワークショップも今年で3回目。
1回目2回目と参加しているポカスカジャンは
今年も参加。初日、俺達は仕事が入っていたので
少々遅れて河口湖に到着、そぼふる秋雨と言うには
少々強すぎる雨の降るなか、俺達は車を降り、
中へと走り込む。
その、皆が集まる一番大きなロッジでは
生徒全員が集まり、初日に入る前に出されていた宿題
「いままでつらかった事」の作文を読んでいた。
しかしその発表も終わりのほうだったらしく、俺も

「そろそろメシか?」

などと油断していたら、喰さんが俺達2人
(言い忘れていたが初日は玉井が家庭の事情により
来れなかった)にフイうちを食らわせた。

「じゃあ、大久保とショーゴで、ツアー中の
 いちばんツラかった事をマンザイ風に話してみて」
 
おいおい、漫才なんかできっこねーじゃん。
漫才っつったら、昔玉井が辞めるって言ったときに
アドリブでちょっとやったぐらいじゃん。
しかもケイコ場で誰もいない時に……。

しかし、俺達2人は舞台に立った。
とりあえずは大久保が話のリーダーシップをとってくれて
形にはなったが、オレはオチらしいオチが
見つからぬままに終わった。

そしてその漫才がやっと終わりメシの時間。
しかしツアーの疲れか、さっきの漫才の緊張からか、
俺は激しい胃の痛みに襲われ、
楽しみにしていた夕食をあきらめて、ベッドに入って
休んだ。チクショー、明日はいっぱい食うぞー
(WAHAHA本舗のマネージャーの和田志津子風)。
バイバイ。

(PSJ/中山省吾)


グッドマンのワークショップ参加ルポ

雨が降っている。大雨である。
天気予報によれば、河口湖周辺は、
このワークショップが終了する9月26日まで、
ずっと雨だということだ。

なぜ雨が降っているかというと、原因はただひとつ。
このワークショップ主催者の、
喰始(たべはじめ)さんが雨男だからである。
去年のワークショップも全日程、雨だった。
ことしのタイ旅行のときも、喰さんが移動する先は、
すべて雨だった。コ・サムイという島から、
1日だけ喰さんがバンコクへ行った日は、みごとに晴れた。
「そろそろ帰ってくる時間だね」なんて言っていたら、
海の彼方(バンコクの方角)から真っ黒な雨雲が
ムクムクとこちらへやってきた。そういう雨男なのである。

去年のワークショップは、
おかげで、ずっと室内に閉じこもり、
次々とくり出される“エチュード”をこなした。
エチュードというのは“即興”ということである。
喰さんが出すとんでもないお題を、
その場で考えて、皆の前で演じるのだ。

たとえば、こんなのだ。

1班の10人が前に出る。
1から10まで番号が書かれた紙を引く。
その番号は“10人の中で何番目にエライか”
というのを表す。それは自分だけが知っている。

「皆さんは、家庭電気製品です。そして、ここは、
芸能プロダクションです。順番に入ってきて、
自分が何の家電かを演じてください。何番目にエライか、
というのは、他の人とのカラミで示してください」。

というのである。ものすごくムヅカシイ。

「これは、野田秀樹さんがワークショップでやっている
ことを、WAHAHA流にしたものです」

と喰さんは言う。どこらへんがワハハ流なのか、
なんて考えているヒマはない。とにかく出されたお題を
クリアするため、頭はフル回転だ。

1番、とか10番、ならちょっとラクだ。
いちばんエライとか、いちばん下っ端、
というのを表せばいいのだから。
「大型ハイビジョンTV」の「大物役者」or「社長」
としてふるまうとか、「生ゴミ処理機」で
「新入りの現場マネージャー」として、
ヘイコラ、ペコペコしていればいい。
困るのは「4番」とか「6番」。
どの班の(去年は4つの班に分かれた)誰しもが
このような無理難題に四苦八苦した。

「ことしは、もっと外に出て、楽しいことをやります!」

と喰さんは言うが、この雨では、
外に出ての授業は出来ないであろう。

去年は、閉じ込められて
キビシイ“エチュード”をくり返すうち、
素人で演技の「引き出し」を持たない生徒たちは、
どんどん自分のトラウマやら、不幸な生い立ちやら、
現在おかれている酷い状況やらを
カミングアウトするハメになった。

仲たがいも、ケンカも起き、
お笑いのワークショップのはずなのに
毎日誰かがドウドウ泣き、わめき、
精神的ショックで泡をふいて倒れる者まで出た。
地獄の合宿である。

今、これを書いているのは、初日の午後1:30。
3:00の集合時間を前に、私グッドマンは
スタッフと一緒にこうして現場にいる。
ポカスカジャンの3人は、東京での仕事を終えてから
こちらに来るらしい。
僕は講師の九十九一(つくも・はじめ)さんが
独り酒飲んでTVで台湾の地震のニュースを見ている横で、
この日記を書いている。

雨足が強くなってきた。食糧の買い出しに行った喰さんが、
そろそろ帰ってくるにちがいない。

(グッドマン)

 

1999-09-29-WED

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