青柳 |
今糸井さんがおっしゃったような
3番目のことと合体してるんですけど、
ぼくは学生の頃からまず
「現代って何だろう?」
という命題があって。 |
糸井 |
すでに。 |
青柳 |
はい。
ぼくが学生の頃には紛争があって、
その当時ぼくは山に登ってばかりでした。
そういうことをやっていたものですから、
ちまたの現代のことというよりは、
ひとつの定点観測になりうる定点は何だろう?
と思っていました。
人間の歴史を考えて大きく分けると、
先史の時代と古代とそれ以降しかないと
ぼくは思っているんですよ。
先史はもちろん文字も金属もほとんどない。
古代は文字を持っていて都市をつくり、
経済システムをつくり法律体系をつくっています。
現代と違うのはガスや電気や化石燃料の技術が
なかったというくらいなんですよ。
そういう前提のうえでの
完成形体は、ローマ帝国なんです。
中世のあと近代主義社会になって
現代になるんだけど、まだ完成形までは
行けてないと思うんですね。まだ先はある。
そこで、われわれの歴史から見ることのできる
ひとつのモデルというのが古代という時代であり、
古代というものの完成形体はローマではないか、、
ぼくはそう思ったんです。 |
糸井 |
じゃあぼくが展覧会で持った感想そのままに。 |
青柳 |
そうなんです。
いみじくもおっしゃったんですね。
それ以前にぼくは個人的にルネサンスの時代の
美術なんて研究してみたかったんですけど、
時代が新しくなればなるほど
ひとりの人間の生きざまや生活など、
そのひとの持つ個としての特殊事情によって、
かなり左右されますよね。すると矮小化されて、
つまらないところまで立ち入ってしまいます。 |
糸井 |
枝葉の研究になるよね。 |
青柳 |
それはどうも体質にあわないと思って、
それでローマをはじめたんですね。 |
糸井 |
完成形がローマだと思ったのは
研究しはじめてからですか? |
青柳 |
研究しはじめてからです。
誰もが感じるんだろうけど、
ある予感というかぼんやりとした見通しは、
学者の場合には特に絶対必要なんですよ。
まだ勉強していないけどここを突っつけば
どうにかなるんじゃないかなあという勘が、
少しは当たったわけです。 |
糸井 |
そうすると古代ローマ時代が
人類史にとってある種の完成形なんですか。
こないだ青柳先生と話したときには
人類史上の天才という話になったんだけど、
これがおもしろいんだっ。
ショックをうけるくらいおもしろかった。 |
青柳 |
科学史の研究者たちがよくやるのですが、
人類史上の天才100人をトップから並べようと。
そうするとほとんどだいたい誰もが
アインシュタインを80番くらいに置きます。
もちろん日本人は残念ながらひとりもいない。
トップから20番目30番目くらいまでは、
ほとんど古代ギリシャの自然科学者や哲学者で、
アリストテレスなんかがばーっと入ってきて、
そのなかにローマ人は全然入らないんですよね。
ギリシャ人たちが活躍した時代は
紀元前600年代から紀元前200年くらいまでの
約400年ですけど、ただ、当時に
生活レベルが上がったかというと、
これはほとんど上がってないんです。
その当時からギリシャ人たちは
「まずいものしか食わない」って、
地中海世界でも有名なんですね(笑)。
生活レベルで言うとその100人の天才リストに
名前を輩出していないローマ人というのは、
そのギリシャ人の発明したものを
徹底的にアプライしていくわけですね。
応用して利用しつくして
自分たちの生活水準をぐんぐんあげる。
この生活水準はイギリスで産業革命が起こるまで
人類のどこも克服できなかったものなんですよ。
約17世紀くらい克服されないものを築いちゃう。
4~5年くらい前から日本の教育が閉鎖状態と
言われて、そうすると教育研究者や文部省が
「創造性のある人間をつくらないとだめだ」
と言うけど、創造性って何かというと、
ギリシャ人のような天才をぐんぐん輩出したって
われわれの経済などが好転するかっていうと、
少なくとも歴史上の教訓を見るとそうではない。 |
糸井 |
それを知って展覧会場に立つと
「豊かさ」がキーになっているとわかります。
まずいものを食って天才を出した時代があって、
そのギリシャにあるものを追求したところで
何があるかというと、豊かさを求める歴史ですね。 |
青柳 |
現代には3タイプの金持ちがあると言われます。
ひとつは南米のブラジルやアルゼンチンのように、
お金さえあればやりたい放題にできるというもの。
2番目はイギリスの貴族の、
衰えたとは言え奥深い金持ちのありかた。
3番目は北イタリアの市民レベルでの豊かさで、
誰もが豊かになれて、豊かになったときには
そのよさをエンジョイできる生活と環境がある。
その点は南仏などよりもはるかに上なんです。
もちろんアメリカの金持ちはこの3つとは
また別ですけど、そのあたりを考えたときに、
例えばローマ時代の1世紀2世紀の頃は
やっぱり古代社会という違いはあっても、
ある豊かさの典型じゃないかと思いますね。
それは奴隷であれば違いますが、市民であれば
今の北イタリアの生活レベルに達しています。
食料が供給されるし生活補助もありますから、
そういう意味での豊かさはあったんですね。 |
糸井 |
何よりまず、ぼくらが毎日
うるおいのない生活をやっていまして(笑)、
今仕事をしているひとって
みんなそうじゃないかと思うんですけど、
うるおいを無理やりある時間にかけて、
うるおった気持ちになったら次の仕事に向かう、
そのくりかえしになっていますね。
見本になっているアメリカっていうのも
そうやってうるおいを生活から分断している。
そう毎日感じながら俺は
「ほんとは違うんだろうな」
と思ってるけど、それだけではどうしようもない。
で、あの展覧会に行ったら……。
どう言ったらいいんでしょう?
無駄なものの多さにびっくりさせられるんですよ。
「お前ら装飾しないと生きていけないのか!」と。
あれを見てそう感じるのはやっかみ半分ですけど、
思えばきっとあの時代って、お金のあるひとから
あんまりないひとまで、ほんとに装飾しないと
生きていけなかったんでしょうね。 |
青柳 |
そうですね。
もし今のモダンなデザインを持っていったら、
「何だこののっぺらぼうは」と言われますよ。
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