「ポンペイに学べ」 青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。 |
ベスビオス火山の噴火で消滅した悲劇の古代都市、 くらいの認識しかなかった「ポンペイ」が、 ぼくには、日本の未来を考えるヒントに見えてきたのです。 紀元前の都市から2000年代を見るというのは、 もっと当たりに近づくような気がするのです。 2001年8月7日(火)から10月28日(日)まで、 江戸東京博物館 で世界遺産ポンペイ展が開催です。 11月から、神戸、名古屋、鹿児島、島根をまわるんですよ。 |
第7回 優しさを基本にした文化 糸井 イタリアにいらっしゃると、 生活がイタリアになりますよね。 イタリアの特色として 強く感じたものは何でしたか。 青柳 生活の単純さと優しさ、 それを強く感じましたねえ。 食生活が、まず単純明快なんです。 つまり、日本のように ヨーロッパ料理もあれば、和食もあれば、 エスニックなものもあるというような 多様性というものが必ずしもあるわけではない。 もうひとつが、社会生活の中で、 みんなが何よりも優しさを求めているんですね。 糸井 それつまり、どういったらいいでしょう。 「わたしたちは優しさを求めている」 という発言があるわけではないですよね?(笑) 青柳 はい(笑)。 糸井 どんなふうにお感じになったのですか。 青柳 例えば、発掘の作業員と朝、接触したときにも、 毎日毎日、なるべく違う言葉であいさつしよう、 ということを前もって考えているんです。 それから、例えば どこかに入り口があっても、必ず譲りあう。 ……もちろん、わざとらしい時もありますよ。 譲りあうというのは、 非常に外交的な感じがする時もありますから。 だけれども、人への優しさが習慣になっていて、 それをやらないと、社会的な人間ではない、 というふうに判断されるわけです。 何につけても何しろ優しさが必要なんです。 糸井 それはもう階層を問わないのですか。 青柳 問わずに、ですね。 ヨーロッパ社会のどこでもそうだと思います。 ドイツ、イギリスでは ちょっと変わってきますけど、 ラテン系は非常にその部分を重要視しますね。 ぼくはこの「優しさ」というのに関しては、 以前は、日本にも違う形であったと思うんですが、 特に戦後になってから、だんだんと優しさが 少し崩れてきているのかなあ、と イタリアで生活していると感じましたね。 あ、そうだ。 イタリアの人たちは、 まず、小さいものが好きですね。 日本でも、おちょことか、 小さいものがなくはないのですが、 彼らの場合は例えば、小さな一輪挿しであるとか、 たばこ一本分で 満杯になってしまうような灰皿だとか、 そういう細かなものを、 とっても大切にしていますね。 われわれのようなたばこを吸う人間にとっては、 「灰皿なんて、デカイほうがいいんだ」 なんて言いがちだけど(笑) 糸井 (笑)そうです。 青柳 つまり、灰皿なら灰皿の 原点を示すような形のものがあるんですね。 「デカければいい」みたいな、 だんだんとおおまかになっていって 漠然とした生活に なってしまいがちなところを、 そうしたもので 気づかせてくれるところがあります。 糸井 なるほど。いいですね。 (つづく) |
2001-10-25-THU
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