POMPEII
「ポンペイに学べ」
青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。

第11回 窮屈な過渡期に
    
[今回のみどころ]
最終回。ふたりは今の時期に何をやるかを語ります。
ちょっとだらだらするところも含めて
ゆっくりお楽しみくださいね。

糸井 エチカとして語られていることって
実はエコノミーなんだっていうのを、
もう冷厳に受け止める必要があると思うんです。
青柳

いい経済システムをエチカのほうに
昇華していくことこそすべきでしょうね。

糸井 これは粗末な言いかたをすると
ほんとうにひとに怒られますからね。
鬼って言われますからね(笑)。
そろそろ時間も限られてきちゃったんですけど、
青柳先生の「現代を知る」っていう動機から
ポンペイをやってきたなかで言うと、
この先の学問的な野心というようなものは
どんなところに結びついているんですか?
青柳 今一番やらなきゃいけないことは・・・。
われわれは学者として「研究をやれ」と
世間や学会から要求されてはいますが、
研究者集団って30〜40人だけなんですよね。
今まではその部分に7〜8割のエネルギーを
注いでましたが、それを2〜3割にして、
今度はむしろそれまでに時間を割いてきて
自分なりに理解できたもののレンジを
広げるあたりに力を注ぎこんでいきたいなあと。
そうすれば研究することへの世間一般からの
サポートも、もう少し強固になるんじゃないかな。
そうすると同業者の若いひとたちが
もっとしっかり研究できるような、
いい世代交代になっていくような気がします。
糸井 知と富のシェアですね。
青柳 そうです、シェアです。
糸井 シェアというのも鍵ですよね。
昔は円周率って3.14で計算していましたが、
今の小学生は3でいいとなったらしいですね。
それは、今青柳先生がおっしゃったことに
ちょうどぴったりあうと思うんです。
円周率を何けたまで計算できるかを
意味がないほど何兆何億けたまでやっても
ぼくらは豊かにならないじゃないですか。
だとしたらそれを3にしたおかげで
円周率を使って考えるきっかけになる。
ぼくはすごくいいニュースとしてとらえたんです。
一方では学力の低下で3にしたと悲しむ面も
なくはないのでしょうけど、ぼくにとっては、
円周率が何けたわかっていようが、問題は
必要としているか、使えるかどうかなんですね。
そうなるとまた山姥を認めるか認めないかと、
そこに戻るような気がしますね。
青柳 日本社会では1円という単位が存在しています。
すると消費税で100円につき5円がかかりますが、
それにかなりの労働力が使われてるんですよね。
買い物するとき1円玉がやりとりされますが、
例えばそのやりとりで3秒失ったとすると
1日30秒、そうなると国民として何秒失うか、
そう考えると、最終けたについては気分によって
払わなくていいというようにしたほうが
よほど社会として円滑になるんじゃないかと。
糸井 ぼくはまったくおんなじことを
「ほぼ日」で書いたことがあります。
名前もあって「ざっと5円玉」というんです。
7円も8円も全部「ざっと5円玉」という風に
払っても払わなくてもよくてファジーな通貨を
最小単位にすることを考えたんです。
そのときには「2000円札」と
「ざっと5円玉」というのを考えたんですが、
2000円札が採用されてやったあとは思いましたが、
「ざっと5円玉」はだめで。
その後「ほぼ日」の読者から投書がありました。
どっかのコンビニのレジに箱が置いてあって
その箱には1円玉が入ってるそうです。
「必要なかたは使ってください。
 不要なかたはここに入れてください」
その方法は好評だったみたいですよ。だけど、
「子供に1円の価値を教えているのに
 こんなことをされたらこまります」
という母親の投書があってやめるちゃった。
この投書は理念的にまちがったエチカが
いいものをつぶしちゃったという例ですよ。
ぼくも欲しいんです、「ざっと5円玉」。
こないだバリでアメ玉でお釣りもらいましたね。
パチンコの玉はお菓子にしてますし。
青柳 ヨーロッパでは小切手が流通してますよね。
偽造されないようにアルファベットで数字を書く。
イタリアのようにけたが大きくなる通貨では
最後の3けたを書かなかったりするんですよ。
そのあたりは生活の知恵だと思いますけどね。
糸井 為政者である限りは権力のにおいがしていて
民間レベルの提言にOKを出しにくいけど、
もっと一番便利で現実に即したルールを
考えたりしたら、結実するはずですよね。
青柳 それでしかも昔みたいに
ちょっとまけてよ、と交渉のできるような。
糸井 まったくそうです。ぼくの子供のときには
そういう交渉が実際にありましたからね。
定価を厳密にするような差別化をしちゃった。
つまり昔は「2円安くする」ということを
意味として語っていたはずなのに、今は
そういうことがもう意味としては失われていて。
おそらく窮屈な過渡期になるのでしょうね。
青柳 昔、機械仕掛けをするときに歯車を使ったら
必ず歯車の「遊び」を計算にいれてましたよね。
遊びを計算に入れて歯車をつくる職人がいた。
ところが今はコンピューターで設計します。
そうなると計算だけをした遊びのないものを
職人のところに持っていくことになっちゃう。
「こんな構造でこういう歯車はできない」
職人側と設計して依頼する側とには
すごい摩擦があるようです。
糸井 今、あいまいなはずの人文系のことも
それとおんなじになっているんですよ。
クリエイティブにすらも遊びのない歯車を
要求されている時期が現在なんです。
「いい顔を選ぶなら数値で表せばいい」とか、
効率的に証明できるものだけが求められるような。
マーケティングの知識を詰めこんでハンコ押して、
間違いない方向にだけつくっていくってなると、
なぜぼくらがこういう商売をはじめたのか、
その動機がまったく失なわれてしまうんです。
だからぼくは一時クリエイティブというものから
少し離れよう、と思いました。
今やっているインターネットでは
自分で敷地をつくれますから、
ぼくはこのファジーに賭けたんですよ。
「ざっと5円玉」を生めるかどうかという話と
このあたりでは構造的におんなじだと思います。
学問でもおんなじように、企業の
「お金を出す以上は成果をこれだけあげてくれ」
という要求がもし曖昧ならパトロンになるし、
あいまいじゃないといわゆる産学協同になる。
でも、どっちも違うんですよね。
「どっちも違う」というその中間で解決するのが、
ぼくは真のエコノミーだと思うんです。
エチカにまで普遍化できる説得力というか、
そこのところが「歴史に学べ」ですよね。
ポンペイなんか見てますと「こういうのがある」
というのが実現されているからおもしろい。
青柳 流行の言葉で言えば多様性が存在するんですね。
学問ひとつにしても国からお金をもらっている。
でも国だけに向いていればいいかというと違う、
そのあたりで多様なひとのサポートを受けないと
結局尻すぼみになってしまうような気がします。
糸井

そうですね。
今一番進んでいるのがアメリカだというのは
もうわかっているので、アメリカのやりかたを
ギリシャに例えてぼくらがローマになるとすると、
キーワードは最終的には「妥協」ですよね。
最適妥協。「でも無理じゃん」というのはしない。
妥協と説得力というのは、おんなじことですよね。


[お知らせ]

ポンペイ展はもうすこしだけ、
2月19日くらいまでは開催しています。
場所は品川駅近くの品川インターシティで。
品川駅をとおれば行けるように掲示してあるので、
興味のあるひとはやってるうちに行ってねー!
あ、感想くれたかた、ありがとうございます。
今度どこかで紹介するかもしれませんよっ。

(おわり)

2000-02-11-FRI

BACK
戻る