糸井 |
エチカとして語られていることって
実はエコノミーなんだっていうのを、
もう冷厳に受け止める必要があると思うんです。 |
青柳 |
いい経済システムをエチカのほうに
昇華していくことこそすべきでしょうね。
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糸井 |
これは粗末な言いかたをすると
ほんとうにひとに怒られますからね。
鬼って言われますからね(笑)。
そろそろ時間も限られてきちゃったんですけど、
青柳先生の「現代を知る」っていう動機から
ポンペイをやってきたなかで言うと、
この先の学問的な野心というようなものは
どんなところに結びついているんですか? |
青柳 |
今一番やらなきゃいけないことは・・・。
われわれは学者として「研究をやれ」と
世間や学会から要求されてはいますが、
研究者集団って30〜40人だけなんですよね。
今まではその部分に7〜8割のエネルギーを
注いでましたが、それを2〜3割にして、
今度はむしろそれまでに時間を割いてきて
自分なりに理解できたもののレンジを
広げるあたりに力を注ぎこんでいきたいなあと。
そうすれば研究することへの世間一般からの
サポートも、もう少し強固になるんじゃないかな。
そうすると同業者の若いひとたちが
もっとしっかり研究できるような、
いい世代交代になっていくような気がします。 |
糸井 |
知と富のシェアですね。 |
青柳 |
そうです、シェアです。 |
糸井 |
シェアというのも鍵ですよね。
昔は円周率って3.14で計算していましたが、
今の小学生は3でいいとなったらしいですね。
それは、今青柳先生がおっしゃったことに
ちょうどぴったりあうと思うんです。
円周率を何けたまで計算できるかを
意味がないほど何兆何億けたまでやっても
ぼくらは豊かにならないじゃないですか。
だとしたらそれを3にしたおかげで
円周率を使って考えるきっかけになる。
ぼくはすごくいいニュースとしてとらえたんです。
一方では学力の低下で3にしたと悲しむ面も
なくはないのでしょうけど、ぼくにとっては、
円周率が何けたわかっていようが、問題は
必要としているか、使えるかどうかなんですね。
そうなるとまた山姥を認めるか認めないかと、
そこに戻るような気がしますね。 |
青柳 |
日本社会では1円という単位が存在しています。
すると消費税で100円につき5円がかかりますが、
それにかなりの労働力が使われてるんですよね。
買い物するとき1円玉がやりとりされますが、
例えばそのやりとりで3秒失ったとすると
1日30秒、そうなると国民として何秒失うか、
そう考えると、最終けたについては気分によって
払わなくていいというようにしたほうが
よほど社会として円滑になるんじゃないかと。 |
糸井 |
ぼくはまったくおんなじことを
「ほぼ日」で書いたことがあります。
名前もあって「ざっと5円玉」というんです。
7円も8円も全部「ざっと5円玉」という風に
払っても払わなくてもよくてファジーな通貨を
最小単位にすることを考えたんです。
そのときには「2000円札」と
「ざっと5円玉」というのを考えたんですが、
2000円札が採用されてやったあとは思いましたが、
「ざっと5円玉」はだめで。
その後「ほぼ日」の読者から投書がありました。
どっかのコンビニのレジに箱が置いてあって
その箱には1円玉が入ってるそうです。
「必要なかたは使ってください。
不要なかたはここに入れてください」
その方法は好評だったみたいですよ。だけど、
「子供に1円の価値を教えているのに
こんなことをされたらこまります」
という母親の投書があってやめるちゃった。
この投書は理念的にまちがったエチカが
いいものをつぶしちゃったという例ですよ。
ぼくも欲しいんです、「ざっと5円玉」。
こないだバリでアメ玉でお釣りもらいましたね。
パチンコの玉はお菓子にしてますし。 |
青柳 |
ヨーロッパでは小切手が流通してますよね。
偽造されないようにアルファベットで数字を書く。
イタリアのようにけたが大きくなる通貨では
最後の3けたを書かなかったりするんですよ。
そのあたりは生活の知恵だと思いますけどね。 |
糸井 |
為政者である限りは権力のにおいがしていて
民間レベルの提言にOKを出しにくいけど、
もっと一番便利で現実に即したルールを
考えたりしたら、結実するはずですよね。 |
青柳 |
それでしかも昔みたいに
ちょっとまけてよ、と交渉のできるような。 |
糸井 |
まったくそうです。ぼくの子供のときには
そういう交渉が実際にありましたからね。
定価を厳密にするような差別化をしちゃった。
つまり昔は「2円安くする」ということを
意味として語っていたはずなのに、今は
そういうことがもう意味としては失われていて。
おそらく窮屈な過渡期になるのでしょうね。 |
青柳 |
昔、機械仕掛けをするときに歯車を使ったら
必ず歯車の「遊び」を計算にいれてましたよね。
遊びを計算に入れて歯車をつくる職人がいた。
ところが今はコンピューターで設計します。
そうなると計算だけをした遊びのないものを
職人のところに持っていくことになっちゃう。
「こんな構造でこういう歯車はできない」
職人側と設計して依頼する側とには
すごい摩擦があるようです。 |
糸井 |
今、あいまいなはずの人文系のことも
それとおんなじになっているんですよ。
クリエイティブにすらも遊びのない歯車を
要求されている時期が現在なんです。
「いい顔を選ぶなら数値で表せばいい」とか、
効率的に証明できるものだけが求められるような。
マーケティングの知識を詰めこんでハンコ押して、
間違いない方向にだけつくっていくってなると、
なぜぼくらがこういう商売をはじめたのか、
その動機がまったく失なわれてしまうんです。
だからぼくは一時クリエイティブというものから
少し離れよう、と思いました。
今やっているインターネットでは
自分で敷地をつくれますから、
ぼくはこのファジーに賭けたんですよ。
「ざっと5円玉」を生めるかどうかという話と
このあたりでは構造的におんなじだと思います。
学問でもおんなじように、企業の
「お金を出す以上は成果をこれだけあげてくれ」
という要求がもし曖昧ならパトロンになるし、
あいまいじゃないといわゆる産学協同になる。
でも、どっちも違うんですよね。
「どっちも違う」というその中間で解決するのが、
ぼくは真のエコノミーだと思うんです。
エチカにまで普遍化できる説得力というか、
そこのところが「歴史に学べ」ですよね。
ポンペイなんか見てますと「こういうのがある」
というのが実現されているからおもしろい。 |
青柳 |
流行の言葉で言えば多様性が存在するんですね。
学問ひとつにしても国からお金をもらっている。
でも国だけに向いていればいいかというと違う、
そのあたりで多様なひとのサポートを受けないと
結局尻すぼみになってしまうような気がします。 |
糸井 |
そうですね。
今一番進んでいるのがアメリカだというのは
もうわかっているので、アメリカのやりかたを
ギリシャに例えてぼくらがローマになるとすると、
キーワードは最終的には「妥協」ですよね。
最適妥協。「でも無理じゃん」というのはしない。
妥協と説得力というのは、おんなじことですよね。
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