青柳 |
古代都市としてローマとポンペイを比較すると、
都のローマにはトップに皇帝がいるわけです。
その下に元老院議員、更に下には騎士階級。
騎士階級は必死の思いで出世してきたので、
今のエリートサラリーマンのようなものです。
地方都市のトップには村長さんがいたり、
町の旧家や良家が評議会を開いています。
その下にはエリート層として、
はいあがって奴隷から解放された
経済を実際に握っている者たちがいる。
そういうのがパラレルなんです。 |
糸井 |
経済を実際に握ってるのが奴隷なんですか? |
青柳 |
そうです。 |
糸井 |
うわー、じゃあビルゲイツは今そこなんだ! |
青柳 |
地方都市ポンペイのトップが
都に引っ越したらどうかというと、
せいぜい騎士階級の一番下のあたりです。
そういうピラミッド性がきれいにできています。
そういうかたちでローマ帝国ができていたので、
ディレクトリがきちんとできているんです。
日本の場合はそういう構造ができていませんし、
例えば他にアメリカのような競争社会を
持っていたときの問題はですね、
敗者が単なる敗者になってしまうんです。
アメリカの場合はあるクラスで敗者になっても
その次のクラスでトップになったら、
その部分での住み心地のよさはあって
そういう構築性はありますが。
日本では今まで競争社会は持ちこまずに
「領分」という言葉を使っていました。
鎖国であるから富も例えば100しかない。
誰かが金持ちになると誰かが貧乏になる。
だから富の移行はそんなにされなかった。
それが今変わりつつあるというか、
そういう構築性のないままに
この社会を続けていいのかというところで。 |
糸井 |
おそろしいですね。
かと言って国際的にひらかないままで
存立するというのはありえないわけですし。
ローマとポンペイの経済基盤は交易なんですか? |
青柳 |
貿易と農業と商業、その3つが
うまーく絡んでたんですね。
古代人は土地の立地条件を非常に考えます。
立地条件が悪かったけれども時代的な要因で
栄えたところというのは、必ず滅びています。 |
糸井 |
中国で言うと風水にあたるんですね。
日本の都市の場合は立地条件って
政治的につくってきたものですからね。 |
青柳 |
人工的ですよね。
そういう経験があるからこそ今でも
遷都なんかが可能と思われているのでしょう? |
糸井 |
人工的な構造のなかに遷都を考えているけど、
さらにマクロな視点で考えてみると、
また違う議論になりますね。
|
青柳 |
都市に重要なものは
その都市の持つ歴史性だと思うんです。
それを見て見ぬふりをして都市をつくるのは、
都市構築ではないですね。 |
糸井 |
ブラジルは失敗しましたよね。 |
青柳 |
それからオーストラリアもそうですよね。
そういう先例があるのになぜ?というように
ヨーロッパのひとたちは日本について言います。 |
糸井 |
おもしろいなっていうのは、
ブラジルについてもオーストラリアについても
失敗したんだけど別の大衆権力のようなものが
自然に名のつかない首都を組みなおしますよね。
その構造というのがまた愉快ですよね。 |
青柳 |
日本ではわれわれ市民の側に果たして
それだけのエネルギーがあるかですよね。
エネルギーがないから人為的に無理して
つくったものをいつまでもサポートしていく。
そうすると無理な負担で財政赤字が増える一方。 |
糸井 |
サポートしつづけますからね。 |
青柳 |
それこそメンツにかけても。
結局われわれに借金がふりかかる。 |
糸井 |
全部古代にヒントがあるんですね。 |
青柳 |
確かに失敗例をかえりみないというのは……
ぼくは今日本人論をしてるのではないのですが、
例えば日本の軍隊は、負け戦のときに
自国の戦記を全然取ってない。
これは世界でも非常に特異なところらしいです。 |
糸井 |
おそらく言霊思想から来るんじゃないかな。
「縁起が悪い」ということでそうなっちゃった。
「精神的なありかたがすべてを決定する」
というある種の唯心論みたいなのが
その根っこにあるとぼくは思うんだけど。
昨日友達にきいたんだけど、
交通違反で呼ばれたときに、そいつが
「子供が病気なんで、それの送り迎えがある」
と警察に届けを出しておさめようとしたらしい。
「病気じゃない子供を病気と言うなんて。
本当になったらどうするの!!」
と、奥さんが烈火のごとく怒って、
あやうく離婚寸前まで行っちゃった(笑)。 |
青柳 |
(笑) |
糸井 |
つまりその奥さんが持っている、
病気ではない子供を病気と言ったことで
人生全体を覆ってしまうような苦しみが
出るんじゃないかと思う言霊の要素があって、
一方では暴走族あがりのアメリカナイズされてる
ぼくの友達のほうが「えいっ」って言って
子供を病気にさせてしまったというその過程で
喧嘩があったというのがすごく「今」ですよね。
戦記を取らないのは直らないでしょうね。
ぼくはそういうことについて学んじゃったので、
おかげで失敗があったときに話しあうというのは
「ほぼ日」ではなるべくやるようにしてるんです。
キャッチフレーズ的には
「過去は変えられないけど未来は変えられる」。
過去については悔やむんじゃなくて、
変えられない過去を現在からじっと見て、
そこではじめて次がはじまるんだ、と。
まあ失敗の連続ですけど、おもしろいですね。
今食えてるということに対して
過剰に心配しないというのが
一番大事だとぼくは思うんです。
たぶん官僚制度についても軍隊についても、
未来につながっているって考えないままに
「あぶない」という負のイメージを持ったら、
何も前に進ませられないんでしょうね。
でも今日ごはんを食べられているのがあれば
他のことは考えないでどう開拓していけるか、と、
ここのところが日本の未来を考えるときの
ポイントになるんじゃないかなあ。
オプティミズムというか。
過去を変えたり資料を組みかえたり、
捏造しようとすると、絶対失敗しますね。
野球解説者がほとんど文句しか言わないのは、
あれ、ひとがやっているときはそうで、
自分がやるときはぜんぶ逆になるよね。
スポーツ見るときの仕組みみたいなのから
変えていかないかぎりは。 |
青柳 |
ポンペイ展は当初の計画で言うともう今ごろ
30万か40万人くらいまで達していいわけです。
それがなぜ来ないのか……?
計画段階でいいものをつくりさえすれば
わかってもらえて、新しい仕組みの展覧会だから
興味を持ってもらえるだろうし、これだけの
いいものを出せば評価してもらえるだろうと、
ぼくたちはそこまでしか考えていなかった。
ところが一方でわれわれ大学のなかでも、
教育レンジ(幅)として研究をどう広めるか、
最終的な成果を易しくて魅力的な言葉で
広めていかないと終わらないんだ、
と言われだしているんです。 |
糸井 |
それは国際的にですか? |
青柳 |
そうです。 |
糸井 |
いいですねえ。 |
青柳 |
いいでしょう?
まだそこまで行ってないんですけど。
そうやってレンジを広げようとしているなら
ポンペイ展といういい素材があったときに
どうしてもっと早くからストラテジーを
考えなかったのか、と反省しているんです
最終的には展覧会をたくさんのひとに
見ていただくわけなのに、なんで
見てもらえる努力をもっとしなかったのか、
それを今、自分の研究レンジの拡大と
てらしあわせて思います。 |
糸井 |
どこの国がそういうのに熱心なんですか? |
青柳 |
おそらく現在の潮流で言うと
アメリカでしょうね。アメリカは
いいものがあったら外からひきつれてくる、
外から来たひとも宣伝してこなければ
決して安定的には着地できなないのです。
そういうようなことがあったから
この手法が世界的にひろまったんですけど。 |