糸井 |
北イタリアの市民レベルの豊かさのなかに
ポンペイの当時には誰もがいたんだろうなあ。
「無駄がないと生きていく価値がない!」
きかれもしないのに毎日主張してるというか。 |
青柳 |
あの装飾はわれわれにとっては
うっとうしいくらいになのですけど、
おそらくヨーロッパのひとたちにとっては
そうじゃないんでしょうね。 |
糸井 |
温度高いですよね。 |
青柳 |
ほんとに濃密ですよね。 |
糸井 |
ぼくはバリ島が好きなんですけど、
あそこに住んでいるひとたちも
装飾しないと生きていけないですよね。 |
青柳 |
そうですね、芸術的に濃密ですね。 |
糸井 |
すごいですね。市民レベルっていう
言葉があっているかどうかわからないけど、
どんなに技術のない人でもカゴのひとつ位は
今すぐ編んでやる、みたいなの。 |
青柳 |
ブルーノ・タウト
(ドイツ建築家。1880〜1938年)
なんかも言っているのですけど、
濃密さとは逆にわれわれ日本人は戦前だったら、
例えばこの部屋空間で椅子もどけて絨毯もどけて、
そういう非常にラディカルな建築の構造や
無の空間がなければ、満足しなかったわけですよ。
ちょっとでも無駄なものがあったらはずせ、
という逆の装飾をしてたんですよね。 |
糸井 |
マイナスの装飾をしてたんですね。 |
青柳 |
マイナスの装飾、そう。かたや
どんな机の脚一本でも猫の足の装飾をしないと
気がすまないポンペイのひとたちがいるんです。
我々も逆の意味でのマイナスの装飾をもっていた。
それがないまぜになってきていて、
しかもおそらく日本は今、
循環文化から蓄積文化に転化していますよね。
循環文化は伊勢神宮に象徴されるように
台風で家が壊れたら、材木を集めて
もう一度同じものをつくる。
家の形式の発展はないけど、自然のなかで
いつまでも対応できる文化をもっていたんです。
ところが戦後に2LDKの住宅のようなものが
つくられはじめたので、いわゆるヨーロッパ型の
蓄積文化にすこしずつ転化しはじめています。
民族博物館の調査によると、家のなかに
どれだけのアイテムがあるのかというと、
日本の場合は2500点くらいあるんですよ。
ヨーロッパの住宅の装飾はその半分もいかない。
それ以前の本当の循環文化をやっていたときには
何でも消していくみたいなことをやっていて、
それが逆にいろんなものを洗練させていたのに、
そのマイナスの装飾をどう洗練させて
どう美的なものをつくるか、の方針がないまま
部屋にがさがさ放りこむようになったんです。 |
糸井 |
そうするとそこで消してしまったものは
「装飾を殺していく快」の法則というか、
美というかそこなんですね。残念ながら。
あの、青柳先生って何年生まれですか? |
青柳 |
1944年です。 |
糸井 |
ぼくは1948年生まれの団塊の世代で、
青柳先生はちょっとだけ前ですけど、
このひとたちは知性で豊かさを求めたというか、
装飾を殺す快の法則をある程度知っていながらも
高度経済成長のなかで自分をつくっていったので、
「あるような気がするけど見ちゃいられない」
そんな風にやってきてしまった。
この余裕のなさのようなものが
ずうっと今の日本をつくっているんです。
ただ、心残りではあったものなので、
今この年代のひとたちは、旅をすることや
歴史を学ぶことでそれを無理やり買いつけている。
これはまあ俺らっていうのは
つまらない育ちかたをしたなあ、と思います。
つまらないけどほかに選択しようがなかった。
今までぼくたちが見られるのは、
アメリカしかなかったんですよね。 |
青柳 |
そうですね、残念ながら。 |
糸井 |
ええ、残念ながら。
そんなときにポンペイ展を見せられたら、
「あ、違うな、アメリカも探してるだけだ。
結局あいつらも買いつけてるだけじゃないか」
と思います。それに今こんなに不況で
価値観がこれだけ解体してしまったので、
買いつけでないものを育てることがやれるぞ、
と感じて、ちょっと愉快な気持ちになりますね。 |
青柳 |
そうですね。
買いつけ品ということで言うと、
戦前は「舶来品」という名で入ってくるという
フィルターがあったわけですね。
そこでかなりの上流階級や三井三菱などが
わざわざ向こうから何かを買うというときには、
向こうでいちばんいいものを取ってきてるんです。
だから日本で舶来品とは「いいもの」と同義語で。
戦後になると舶来品へのイメージは残りながらも
日常的にアメリカのものがどんどん入ってきて、
買いつけのシステムがごちゃごちゃになってきた。
フィルターさえもなくなって、そのうえに
金銭的にも豊かさに転換していくときだったから、
たまたま買いつけることができたんでしょうね。
その途中でどっかに国家的にフィルターを
つくるというのは誰も提唱してこなかった。 |
糸井 |
ぼくらの世代って自分の不得手なところに
もっとコンプレックスを持っていたほうが
おそらくよかったのかもしれないですね。
ぼくらは例えばビートルズの世代なんです。
ビートルズは好きなんだけど、その一方で
あんなに長いことやってるクラシックだとか
歌舞伎だとか落語だとか伝統芸術的な、
そういう「まだ残っているもの」への驚きを
持っているべきだったんじゃないかなあ。
ぼくが自分についてちょっとよかったと思うのは、
そのへんに軽いコンプレックスがあったことです。
だからぼくは、自分の好きなものを
自分の自由のために求めていたんです。
「まだそういうひとがいる」
というようなものを全部認めちゃって。
さっきので言えばぼくは、「貝の法則」を
手にいれたいひとの人口分布みたいなのを、
いつも図面に描いて生きてきたようなものです。
下手すると風俗営業を特集してる
男性週刊誌みたいなものですね。
「この店でこういうサービスがあるぞ!」
とわいわい騒いでるそういう人間をつかまえる
何らかの価値や快楽原則がそこにあるわけだから、
もうつぶすだのつぶさないだのではなくて、
「ある」を前提にしようと思ったんです。
だから、積極的に賛成ではないけど
つぶさないという立場にいたかったんです。
今で言うとコギャルが山姥っていうくらいに
めちゃくちゃな格好してるけど、でもあれ、
直ろうが直るまいが彼女にとっては気持ちいい。
だから責めるつもりはないんです、ぼくは。
国立演芸場に行くようなひとがあれだけ
もういるんだから、守っていくんじゃなくて、
これはこれで「ある」ことを認めようと。
一番多いのが何なのかをぼくは知りませんよ。
それは小室哲哉の音楽かもしれないけど、
残っているものの数をしっかりと見ていかないと。
風俗ギャルも認めるし山姥もいるし、
クラシックのちっちゃなコンサートも、
もうお金のなくなっちゃったジャズマンが
ブルーノートで演奏することも、全部認める。
なぜなら、そこにはお客がいるんだから。
これを今言えるかどうかが、次の時代を
しゃべるときの鍵になるんじゃないかなあ。 |